千田先生の著書にあった文句だ。
「矛盾してない?」
「してるよ」
自己実現している人は正反対の視点を持っている。故に、視点がひとつしかない神経症者には矛盾していると思えるのだ。
神経症者は自己実現している人と会話していると、混乱する。
ひとつの世界しかないからだ。全部同じ視点の話に聞こえている。
「あなたは矛盾している!」
「常識的に考えておかしい!」
必死になって僕の視点をひとつにしようと、何時間でも僕がどんなにおかしいか怒りを撒き散らして説得にあたる人がいた。
おかしい!おかしい!
そう言い続けながら、二年。
普通の人でも、他人が何を言っていても間違っていると思っても、それを正には行かない。
自分が正しいと認めさせるため、自分と違う人を排除に回っている人だ。
が、それは突如起きた。
僕も瞬間を目の前で見たのは、まだ二度目だ。
神経症が治ったのだ。
気付いた。
何を言っているのか。
世界をふたつに分けた。
教えられた正しい世界に囚われていた彼女は、私の実際の世界を取り戻した。
気付くと、驚きに涙を溢れさせた。
二年間、散々「きちんと説明してちょうだい。あなたの言っていることはおかしい!」と繰り返してきた。
これだけでも、権利無視の行為である。
わからないから教えろ!私は納得出来ない!
別にこっちは納得してくれと頼みに言っていない。向こうからやってきた。
母親でもない、保護者でもない、指導者でもない。権利はない。他人には他人の自由がある。
彼女はパニックだった。
心理的に混乱するので、僕に安心させてもらいたいのだ。
自分のこれまでと一致しないと、安心できない。一時はブログを見張っていたと言う。
私生活を費やして、二年。
僕は脱力したが、彼女は一気に開けた視界に涙して、言葉も無かった。
脳内で記憶のドミノ倒しが始まった。
一気に記憶が塗り変わる。
「初めから…」と過去の記憶を振り返りながら彼女は言った。
「私はずっと勘違いしてた。」
泣きながら僕に詫び、ありがとうと言った。
世界は拓けた。
自分の世界を取り戻した。
普通は時間も手間もかかりすぎるから、完治を目指さない。
だが、僕は常に完治を目的にしている。
自分の知る世界と一致しないと、自分のこれまでの生き方を肯定するべく違うものを排除しに行く生き方。
本人の世界は既に無く、最初に親に取り込まれているので親の正しいとする世界の生き方を守っている。
守ると安心。
彼女は世間では!常識では!みんなは!と連呼していた。
「あなた、今、すごく重大なこと言った。私は常識的である事が第一なんかじゃない。私にとって一番大事なのは…私がどうしたいかだった…。」
正しい人生をしっかりと歩んだ。
正しいと言われることをするために、ひとつの視点しか無く、他人と理解し合えず、誰とも心を通わせず。
時間の流れは彼女には無く。変化しないし、今は、もない。
人はその時の状況や、経験により考え方も言うことも変わっていく。
だが、決められたものを守り続けるため、成長の変化を拒んだ。
何も変わらないまま、人生は半分以上進んだ。
時が止まった家族と共に。
彼女は、気付くと10分後には、別人だった。
そのくらい、大変な変化なのだ。
視点が増えた、人の話が理解出来るのだから。何を見ているのかを。
もう、安心だ。
長かった。
僕は自分の人格を奪われないよう、彼女がどこかであったのと同じ目に合わされ続けた。
社会で「間違っている」 と思う人をひとりひとり追いかけて自分が支配できるまで戦っていたら、キリがない。
キリがないが、自分の変化を捨てた人に出来ることは、世界を自分のために変化させる事なのだ。
彼女はもうしない。
今は僕も過去を思い出し、言葉もない。
ただ、良かったと思う。
ラッキー、華、他のみんなも、ありがとう。
君たちが見えない力を貸してくれていたよ。
ありがとう。
あの人がおかしいことにならないと、私が間違っていることになる!
私と違うことを正しいと言うから!それは間違っていることにならないと、私は正しくならない!
この視点から脱した彼女はもう戻らない。
ようこそ、こちら側の世界へ。
これからが、楽しみだ。
彼女はこれからどんどん人生が楽しくなるだろう。
最近は、みんなが上手く行き出す話を次々聞く。
春到来。
いい年になりそうだ。
今、連日出先のホテルだが、早く書きたくてしょうがない。
治る。やはり治るのだ。