あなたを選んでくれる人を選びたいならば、条件付きで人を見ている人だけは避けることだ。
相手の存在より前に「条件付き」という人がいる。
金がある地位がある、若さがある、美しさがある、とにかく「こういう条件を備えた人」がまず先にある人は、人を利用する人である。
あなたの存在価値ではなく、あなたの物品としての評価を気にしている人なので、商品として売られていくつもりでなければ、選ばないことである。
結婚生活も、実際始まってみれば夢のような生活ではない。
日常は変わり映えのない日々である。
当たり前に人生の苦労は付きまとう。
生活の苦労、仕事や周囲との人間関係、親の介護や子供の教育等々…。
それらは当たり前にみなにあるものだ。
だが、それらを「誰と」一緒に乗り越えるか考えた時に、何も変わり映えのない日々も一緒にいて楽しい人を選べばいい。
あなたと相手がいて、二人ともが同じように笑っているやり取りができる人を選ぶのだ。
片方だけでは駄目なのだ。
コミュニケーションは一方通行ではない。
互いに一緒に笑う会話ができるような相手がいい。
会話も協力である。
会話こそ、最も簡単にしょっちゅう行う、共同作業である。
この共同作業がうまくできる人と、一緒にいるのが楽しいのだ。
ご機嫌を取るわけでもなく、テンプレートのように決まりがあるわけでもない。
たった今、初めて作られる新しいシナリオだ。
過去のシナリオを真似しているわけではない。
たった今遭遇した、自分と目の前の人のやり取りは過去に聞いたことがないのだから。
今つくられる新しいシーン。
そのやり取りは、互いの協力あって良いものになる。
自分が片方を担う。
互いにフォローもし合う。
この共同作業はうまくいくかどうかわからない。
互いの気持ちや方向性が最も重要だ。
気持ちがひとつになっていれば、必ずうまくいく。
楽しいシナリオを少しずつ作っていけば、いつしか自然と二人の物語は良い話になっているだろう。
どこかで聞いた理想の話ではない。
現実の自分たちに起き得る、可能な範囲で作られた良い話だ。
自分たちだけの物語だ。
積み重ねていけば、いつしか本当にドラマのような物語が出来上がっているのだ。
二人の記憶に作られた物語が同じ物語になっていたならば、話は進んでいくのだ。
二人でいながら違うシナリオを作っているならば、二人の関係は最初から存在しないのだ。
片方はうまく行っている物語を、片方は憎しみの物語を書いているようならば、関係そのものがすれ違っているのだ。
同じシナリオに共に登場できる相手がいた時が、奇跡のシナリオを作り出すチャンスなのだ。
過去から続く自分の知らないシナリオを作りたい人だけは、共に物語は作れない。
相手のこれまでのシナリオは、自分には無い体験なのだから。
今から作り出す新しい物語を作ってくれる人を、探すのだ。
過去を捨て、たった今の自分たちに可能な物語を作りたいと願っている人を、探すのだ。
長い物語を共に生きる人とは、焦らずに丁寧に、作っていくことだ。
長い物語を共にしたい人とは、丁寧に作っていくことだ。
そのひとつひとつが、後の展開に影響していくのだから。
心がすれ違わないよう、同じ物語に参加できるよう、互いに協力していくのだ。
相手の中の物語が、自分とは不一致になっていないか、自分に都合の良いシナリオを一人で書いていないか、互いに気をつけながら少しずつ書いていくものなのだ。
どんなに短い付き合いでも、時に忘れられない良い物語が作られる。
しかし、何十年一緒にいても、不一致な物語を作る場合もあるのだ。
それはとても孤独な物語。
自分以外の人とは共有さえしていない、不幸な自分だけの物語だ。
自分しか主人公のいない物語は、他人と共に作ることなどできようはずもないのだから。