まだ見ぬ友人へ
やあ、元気か。
このどうしようもない社会に飲まれて、くだらない目先のことに目くじらを立てているんじゃあるまいな。
つまらないことに人生を費やすのはやめたまえ。自分の格が落ちるぞ。
ムカつくやつが大好きな人は、好きな人に目を向けないものだとつくづく思う。
昔出会った女子にも、デートだというのに口を開けばムカつく父親の話しかしないという人がいた。
ムカつく父親の話を聞いて気の毒に思ったら、ロマンチックな恋愛に発展するなど聞いたことがない。
可哀想から発展するのは、ときめきではない。
さて、そんなわけで君は好きな人がいるか?
今、なう、でなくてもいい。
何かしてくれたから好き、というありがたさの好意ではなく、ときめきの好意だ。
素敵だなあと見ていて思う人。明るくて優しい、と自分相手でなくても思う人。
クラスの中でも人気者で、愛されている人はいたな。
美少女でなくとも愛されている子はいた。
とにかく、君が「いいなあー」と憧れて、「あんな人と付き合えたらなー」と思う相手が、今までいたことがあるだろうか?
そういう相手がいたならば、嫌いな人をやっつけることよりその人に好かれる方が重要だ。
ムカつくやつといくら戦争をしても、すっきりする日なんて来ない。
だが、人は現金なもので、自分がうまく行くと戦争している相手のことなんかどうでも良くなるものなのだ。
戦争にしか目が向かない人は、なんでも戦争につぎ込むからもうどうしようもない。
だが、そうでないなら話は別だ。
ちなみに、「好きになってくれる人募集中!」をやると、客観的に見て君を軽んじる人が集まりやすいから、気をつけた方がいい。
好きになってもらわなくてもいい、好きになれるなら。
好きになってくれる人が百人いても、全員嫌いな相手ならどうしようもない。
頼むから好きにならないで!と追いかけてくる百人から君は逃げるかもしれないぞ。
僕は追いかけられるのが好きではない。そういう動物ではない。
自由がないからだ。追いかけるのは自由なので、そっちの方がいい。
僕は自由が好きなんだ。
もし、「あの娘はいいなあ」と思う娘がいたとする。
君はどうする?
他の異性にもモテモテだ。
早速誰か声をかけにいった。あれこれ理由をつけて、どこかに誘っている。
こんな様子を見て、君はどうする?
「やばい!出し抜かれる!」と慌てるか?
「どこに誘ったのかな…?俺もどこかに誘わなきゃ…!」と焦るか?
それとも勝負を諦めて「別に俺は気になってないからいいけどwww」と嘘をついて、「こいつなら大丈夫そう」な安全パイ選びといくか?
大丈夫だ。いい女は、相手を選ぶ。
声をかけられても、あれこれ理由をつけてホイホイと誘われていったりしない。
やばい感じは見抜いてくる。下心ありありな男はすぐに見透かされる。
それが愛され女子だ。それも「親に愛され女子」だ。
親に愛されないのに自分も愛さないならば、愛され女子になることは不可能だ。
それは「愛されたい女子」だ。
君は「愛されたい男子」ではないだろうな?
男子はそうならなくていい。「愛する系男子」になっておけ。
人気者の女子にはすぐに異性が寄っていく。そういう時は、放っておけ。
慌てるんじゃない。慌てる乞食はもらいが少ない、と昔から言うものだ。
愛され女子の心を射止めたいならば、くだらない私生活を送るんじゃないぞ。
「あなたそんなことする人だったんだ…」とバレたら幻滅するような、人付き合いをするんじゃない。
ネットで悪口どころか、最近の事件では「困らせてやろうと思った」なんてものがあった。
ムカつくやつを困らせるために、相手の揚げ足を取ったり叩いたりしている男がいたら、どう思う?
例え見えないところでやっていたとしても、それをやっている男と、そうでない男、人格に違いが出てくるに決まっているだろう。
なにせ「ばれたくない」ことを抱えている人間は、必ず挙動不審になる。
自分で想像してみるといい。確実だ。
そこで、出会いはいつくるかわからないから日ごろの行いは大切なのだ。
「今日入ってきた新入社員の子、すごく素敵な子だった!」
そんな時、昨日までだらだらと怠惰に過ごし、自分のためにちっとも時間を費やさない生き方をしていたらどうなると思う?
仕事でちょっと会話をしたら、ドキドキして「デートに誘いたいな」と思うかもしれない。
「誘いたい!」は君の願望だ。君の欲求だ。
だが、そのときの君を後押しする力は、日ごろの君の行いなのだ。
「でも、俺デート服持ってないし…」
「普段から外に出ないから店も知らないし…」
「気の利いた会話なんてできないし…」
そこで行き着くのはネットだ。
「今、人気のデートに使える店ベスト10」
「今どき男子のデート服」
「女子ウケする会話と女子には禁句の話題」
そんな感じのことを、次々調べて「こうすればいいのか!」とその気になるのが
関の山だ。
更には、一番乗りもできない。他の男子が声をかけてどこかに誘う。
断られているのを見て喜びながら、「そこ、俺も誘おうと思っていたのに…」と怖気づく。
そう、どいつもこいつも似たり寄ったり、それが「ステレオタイプ社会」だ。
だからこそ、いいんだ。簡単で。
そんな時こそ、気にするな。
よく相手を見ろ。どういう話題を振ろうなんて考えるな。
目の前にいる人を意識するな。地蔵だと思え。
可愛い地蔵だと思え。
お地蔵さまは、愛されている。だから殆ど変わらない。似たようなものだ。
狙われている系女子は、自ら「可哀想話」や「困ってる話」をしない。
どうしよう、と困っていることがあったら即「どうしたの?!」と男が寄っていく。
俺が俺が、と始まるから、気にするな。
相手をよく見ているんだ。
どんな人なのか。良いところもあるが、欠点もあるはずだ。苦手なもの。
よく観察しているとわかる。何に強くて何に弱い人なのか。
人は弱点を気にする。だからその弱点をカバーしろ。
「この人、これじゃあ困ることがあるだろうな。」
と先に予測していろ。目立とうとするな。
相手の弱点を目立たないように、カバーしてやれ。
愛するということは、あくまでも影に徹するということだ。
自分が目立ったら意味がないんだよ。
自分が目立っていいのは、相手の何かを目立たなくするときだけだ。
自分が目立つことで、何かを霞ませるのだ。
それは例えば、僕が天才であることによって、馬鹿の馬鹿を目立たなくするようなものだ。
余計に目立つと思うだろう?違うな。現実は変わらないんだ。
差が変わらないのだから、僕が謙虚になって「俺なんか普通だよ」と言ってしまったら、相手がよっぽど馬鹿みたいになるだろうが。
だから僕は天才でいいんだ。
「お前がバカなんじゃねえ、俺が天才なんだ。お前はちょっと足りないだけだ。」
という優しさだ。
これに張り合ってくるやつは、本当の馬鹿だからしょうがないんだ。
そんな時は、「君はすごいね!」と馬鹿にしてあげればいい。喜ぶから。バカだからな、仕方ないんだ。
せっかく自分で墓を掘ったのだから、入るのくらいは手伝ってやるといい。優しさだ。
せっかく掘ったのに、勿体ないからな。
話を戻そう。君は相手が必要としそうなものを予測しておけ。
想像力、推理力、観察眼、色々使え。
そして自分のことも怠るな。
自分のことを怠って人を助けたところで、相手は喜ばない。
罪悪感を与えるだけだ。困っている人間に助けてもらっても、相手は嬉しくない。心配になる。
だからまず自分のことを頑張ってやれ。
自分のことを頑張っていれば、その時その時余裕が違うだろう。
あくまでも余力で助けるんだ。
余力がない時は、仕方ないのだ。
精神だけは余力を持っておけ。物質的なことには限りがあるから。
精神は鍛えればなんとかなる。物理的なものはいきなりは無理だ。
精神もいきなりは無理だろう。だから日々鍛えておけ。
小さなことしかできないならば、その力は一点集中させろ。
その小さなひとつが、急所に直撃するようなものであればいい。
できれば
「そんなこと気づいた人いなかった…」
と感動されるくらいのことにしろ。
話をするなら、相手の話をまず聞け。
質問攻めにするな。自分が「良い話をしてやろう」とすると、相手を値踏みするように質問攻めにする。
それでは相手は警戒する。気軽に話しても平気な話題にしておけ。
言葉は少なく、でもいいんだ。
向こうが知りたいと思う事なら、向こうから聞いてくるから。
正直なところ、自分からアピールして「モテる」ということはあまりないのではないかと思う。
普段から人に優しく接していろ。
日ごろの行いは自分の評判を決めている。集団に後から入ってきた女子は、自分ではなく周りの意見も聞くのだから。
周りの扱いから、その人を知ることも多いのだから。
一人で気張っても駄目なのだ。
相手を楽しませようとか、気楽にさせてあげたいとか、安心させてあげたいとか、そういう精神が必要だ。
「と、いうことをしたら好かれるだろうから…」は一切考えるな。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、だ。
この人のために最も自分を捨てて尽くした人になる、と決めろ。
本当にその方がいいのだ。目立つ必要はない。
好かれたい人は、目立とうとする。
だからそこに下心があると感じ取られる。
何よりも、君自身がカッコいい男であることが第一なのだ。
アピールしたくても、「この子にだけ」と親切にするな。相手は気が引けるから。
自分だけ特別扱いされたら気が引ける。
それが愛され女子の特徴だ。
皆のことを常に考えているのが、愛され女子だ。
特別扱いしたら喜ぶと思っているだろう?違うぞ。
それは「愛されたいけど愛されていない系女子」だ。
他人と比較されることを嫌う。自分が優位でも嬉しくはないのだ。
全体の一部として、大事にするだけでもいいのだ。
自分にだけ優しい、を求めていないからだ。
「みんなに優しい人」の方が、愛され女子には愛される。
愛され女子は、意思がある。自分が欲しい時は自分から手を伸ばす。
故に、自分から好意を持つと自分から声をかけてくる。
愛され女子が素敵だなと思う人は、「自分がなりたい部分を持つ人」だ。
だからそれでいいのだ。
向こうから声をかけてくる。愛され女子は偏見が少ない。
君がダッセえな!と思うファッションセンスでも、頑張ってオシャレをしたときにはそれを嬉しく思うのだ。
「頑張ってオシャレしてきたんだな」という頑張りを見抜くからだ。
「うわ、ダッセ、この男ねえわー」という冷たい目はないのだ。
心優しい人に出会ったら、君も素直になった方がいい。
君は自分を安心させてもらおうとだけはするな。
そんなことは求めなくても、できる人はやろうとする。
君はできる限り、相手が安心できるように尽くせ。心を尽くせ。
良いことを言うのも、格好をつけるのも、大きく見せるのも、全部自分が安心したいがためだ。
ひとつも相手のためにしていることはない。
だからそんなことをしている人は、嫌われるのだ。
劣等感がどうしようもない人になると、好きな女に近づいては優しい声をかけられて、それを自慢にして優越感に浸るという馬鹿なことをする。
そんな男が多い世の中もまたいいのだ。
勇気もないのに近づく奴がいるからこそ、勇気ひとつで選ばれていけるのだから。
周りをちょろちょろしている男がいるならば、自分は堂々としていろ。
自信が無さそうにするな。相手が気を遣うから。
誰だって自信がないところはある。
だから堂々と「俺こういうのが駄目なんだよね」と弱点を出していろ。
相手はその方が安心するから。
そして「俺すげえ」と思ったはいいが、こんなことは自慢にもならないようなことを、その時の驚きを込めて自慢していろ。
くだらないことでいい。どうせ人間なんてくだらない生き物だ。
くだらない生き物は、基本くだらないことばかりするものだ。
くだらない生き物だからこそ、時々ある良いことが素晴らしく感じられるのだ。
チョロチョロする男がその辺にいるとどうなると思う?
落ち着いてそこにいるだけで、相手からは良く見えるのだ。
「ありがとう、チョロ男」と引き立ててくれることに感謝しろ。こっちは何もしていないのだから。
落ち着きのないやつはいる。自信がないやつだ。
自信がなくてどんよりしていても目立つが、男がチョロチョロしているのは嫌なものだな。
大切なものは気持ちだ。姿勢だ。
何もできないならば、せめて精神的には自分の愛で包み込むくらいの姿勢でいろ。
君は女に「好きだ」と言ったことがあるか?
どんな時に言うのが効果的だと思う?
せっかくなので教えておこう。
言葉は気持ちがこもらないと、相手に響かない。
だから「こういう場面で告白だ!」とルールを決めないことだ。
「告白にピッタリのデートスポット」なんてところに行ったら、最低だ。
周りの雰囲気は大事だ。
だがな、それも自分で考えろ。
君が考えなくては意味がないのだ。告白するのは君なのだから。
そしてお見合いではないのだから、もっと心に響くドラマチックな体験にした方がいい。
それは、気持ちが高まった時だ。
感情を伝えるのだから、感情が最高に高まった時が一番いい。
一緒にいると、心から湧いてくる強い感覚があるだろう。
そうだな、「このまま押し倒せないだろうか」と思うような感覚が高まってくる時だ。
「この女と結婚できないだろうか?!」と思いついたりするような場面だ。
そんな時、ドキドキしながらも「ようし、今度いい場所を見つけて、そこで告白するぞ!」と思う男は後で失敗する。
今度なんて、ねえんだよ。
今なんだよ。
今起きているもんは、今なんだよ。
「こいつが好きだなあ」と気持ちが高まってくると、じーんとするものがあるだろう。
込み上げてくるものが。
つい、話を聞き逃しながら見ていてしまうだろう。
「なに?どうしたの?」
と聞かれて、君は慌てて「やばいやばい!話聞いてなかった!」と返事をしようとしないだろうか?
込み上げるものがあるなら、込み上げるものを感じ切れ。
今起きているのだから。今必要なんだ。
相手の顔を見ていたら、愛され女子は「なんかついてるかな…」とか思うかもしれない。
それでも高まるものがあるならば、それを感じ切れ。
愛され女子はお優しい。だから「今の話、あんまり興味なかった?」なんて気を遣うかもしれない。
誰だって、相手が黙っていたら不安になる。
だか高まっているものがあるならば、「これは今この人に感じているのだな」としっかり確認しろ。
そして、相手に「興味なかった?」なんて聞かれて、慌てて「そんなことないよ!」とぶち壊しにするな。
体の内側から感じるものをしっかりと自分自身で受け取り、会話の流れはぶち壊していい。
内から起きるものをしっかり込めて
「好きだ」
と言え。
確実に、100%、起きている感情を全て込めて言葉にしろ。
気持ちを伝えるには、今起きているものを今込めなくてはならない。
派手に演出しても、人気スポットを選んでも、周りの雰囲気と「憧れの流れ」に喜んでもらっているだけでは意味がないのだ。
自分はこいつが好きなのだな、とまず自分が感じ切れ。
自覚して、感じ切って確信を持って伝えろ。
そうでなくては、どんなにいい言葉を言っても軽く聞こえる。
言葉に意味があるのではない。気持ちを込めて初めて言葉は意味があるのだ。
その言葉に込めた感情があれば、たった一言でも相手は感動する。
それこそが、「本心」というものだ。
できるだけオシャレで雰囲気のある場所、それもいい。
だがそんなものに後押しされて、気持ちではついていけていないならば後はどうする?
気張った時だけうまく行っても、付き合いが始まればこれからがあるのだ。
これから共にい続けたいならば、無駄に格好をつけるな。
いつもの自分の枠内から生み出したものでいい。それが君なのだから。
君は心を込め切った言葉を吐いたことがあるか。
自分の言葉に自分が感動するぞ。
その感動ごと、相手に伝わるのだ。
その気持ちを受け取れる人は、必ず受け取る。
本心を、心を込めて伝えようとすると、それが案外難しいことを知るだろう。
なんとかして次のデートにこぎつけようとか、告白をオッケーしてもらおうとか、打算的なことばかり考えて今を見ていないと、「自分の気持ち」を見過ごしてしまうのだ。
最高に高まった時に勇気が出せず、駄目になってしまってから「あの時の気持ちを伝えたかったのに」と後悔するのだ。
「今度」じゃねえんだよ。
次にいつ、この気持ちが高まるかなんて自分にもわからないのだから。
好き、という気持ちが高まった時に、伝えた方がいい。
僕はそうしてきた。
例え既に向こうから好きだと言われていても、既に付き合っていても、気持ちが高まった時には
会話の流れはぶち壊しになっても
気持ちを伝えることにしている。
今しかないのだ、と思うからだ。
気持ちが高まっていない時は、余計なことを考える。
自ら用意した告白の場で「どうしたの?なんの話?」なんて聞かれて動揺する。
「いや、その、話ってほどのもんじゃないんだけど…」なんて軽いノリにして、自分を安心させるために突っ走ってしまう。
もし断られたら、なんて考えるな。
答えが欲しいんじゃない。
好きだと伝えたい。それが告白だ。
好きだから、好きだと伝えた。それだけだ。
だから答えなんて期待するな。
何かしてもらうために伝えるわけじゃない。
この気持ちを伝えるために、伝える。
それが告白だ。
「付き合ってください!」は「お願い」だ。
お願いにはなんの気持ちがこもるのだ。自分の願望でしかない。
相手はご褒美をくれる存在ではない。勘違いするな。
伝えたいのが「好きだ」という気持ちならば、「好きだ」と気持ちを込めて言えばいい。
それだけの気持ちが生まれてきたことに感謝するのだ。
「この人に出会わなければ、この気持ちは生まれなかったのだ。」
という奇跡に、感謝した方がいい。
人を好きになるのは素晴らしいことだ。
まして異性ならば、努力とかいう問題ではない。
好きだという気持ちがそこまで高まるには、それなりにやり取りがある。
それなりに体験が伴って、込み上げるほどのものが生まれてくる。
少しずつ相手を知って、より好きになっていく、の繰り返しだ。
好きだという気持ちがあるだけならば、何も起きない。
「付き合ってください!」があって初めて「お願いだけに断られる」があるのだ。
だから本当に振られるのが怖いならば、何も期待するな。
嫌われるのが怖いならば、何も期待するな。
ただ、「俺はこの人が好きだ」という気持ちを大事にしていろ。
本当の気持ちを込めた言葉を伝えた方がいい。
本心がこもる言葉には、自分が感動するから。
その言葉を口にして、自覚するのだ。
「俺はこんなにこいつが好きなんだな」と。
遠回しに伝えて、間接的に伝えて、または傷つかないように軽いノリで伝えて
「求めている理想の反応」
を引き出そうとするな。
自分自身の感動体験を、ひとつ犠牲にするから。
恋愛の価値がわかるか?
友情とは違う価値だ。
友情でこんなことは起きない。
「俺たちでやろうぜ」
「後は頼んだ!」
「次は俺がやってやるからな。」
「てめえはほんとムカつくやつだな。」
「お前に会えて、良かったよ。」
そんな言葉に、気持ちは込められている。
だが、そこに込められる気持ちは恋愛のそれとは全く違う。
もっと温かい、じんわりとするような、柔らかい気持ちだ。
それが友情だ。
恋愛は違う。
強く、燃えるような、突き刺すような、苦しいような、泣きたいような、辛いような、心の中から言葉と共に何かが噴出してしまうのではないかと思うような、特別な感情だ。
決して悪い感情ではないのに、伝えるのが辛い、言葉と共に涙が出てくるような強い強い感情だ。
「お前が好きだ」
と言うと、愛され女子は感情をそっくり受け取る。
自分をバカにしている女子とは違う。茶化したり台無しにしたりしない。
「これは本物の感情だ」とわかるから。勇気を出したとすぐにわかるからだ。
それを受け取らないと相手は傷つくと知っているからだ。
それが「拒否」になると知っているからだ。
覚悟を決めたら、気持ちを伝えて相手の目をじっと見つめられるだろう。
愛され女子はその気持ちを受け取り、しっかり感じ取るだろう。
自分の目から涙が流れてきたら、相手も涙を流すだろう。
愛され女子は、心を開いて生きている。
だから心の扉を開けてきた人がすぐにわかる。
心と心を通わせたら、相手も同じように感じてすぐに覚悟してくれる。
そして彼女は君の目を見て、涙を流してこう言う。
「私もあなたが好き。」
それが真の両想いだ。
告白なんかいらない。お願いなんかしなくても、互いの気持ちを確認できているから。
そして、「好きだ」という言葉が「愛してる」に変わった時には、もっとすごいものがこみ上げているから、それは自分で確認したまえ。
こういう話はあまり教えたくないのだが、世の中には愛が必要なのだと思うので君には教えた。
もっといい恋愛をした方がいい。
父親や母親の代わりに異性を愛したところで、こんな感動は味わえないのだから。
覚悟を決めて、君は君自身で、傷ついても失敗しても、自分に正直に生きてくれ。
君が君である限り、どんな失敗をしても、君はカッコいい。
「この人の心さえ手に入るならば、何もいらない。」
そのくらいの、大恋愛をした方がいい。
うまく行ったやつを真似なんかするな。ただ自分に正直でいろ。
傷ついてもいい。バカにされてもいい。失敗してもいい。
心を開いて信じる勇気を鍛えていろ。
今までの苦労は、全てのこの人に出会うためだったんだ。
と感動できるような出会いだけは、無駄にしてくれるな。
友人よ、僕は君が生涯にほんの数えるほどしか起きない感動に巡り合えることを、心から願っている。
君の生きる糧になるような感動が、君の人生にやってくるように。
好きになりたくても、自然と心から好きだと惹かれる人に出会うことなど、人生でそうそうないのだから。
その一回を、決して逃さないでくれ。
君の友人
最上 雄基