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なぜ恋愛で失敗するのか、いつまでも気づけない人

 なぜ、自分の恋愛が、結婚が、失敗したのか?

 いつまでも気づけない人が恐らく勘違いしているであろうこと

 以下はあなたにあてはまるだろうか?

 「恋愛は、いいことばかりで楽しくて嬉しくて、これからもっともっと嬉しいことがいっぱいになるのが成功だ」

 と思っている

 更に

 「気に入るところが沢山ある、好きになった人と一緒になれば幸せになれる」

 と思っている

 「恋愛や結婚の成功は、嫌な現実から救ってくれるオアシスのようなものだ」

 と思っている

 このような勘違いをしている人は、恋愛も結婚も失敗する

 最近、有料会員向けに「本当にうまくいく恋愛の作られ方」を配信したが、お陰でその続きを考え今朝また起きたら気づいた

 全然違うので、この勘違いをしている人がいたら考え方を改めた方がいい

 大抵何かに失敗して人を恨んでいるような人は、自分の間違いに気づいていない

 人は「これは絶対に正しい」と思っている、自分自身が「常識レベル」に思い込んでいることはまず修正できない

 なので、これを気づくきっかけにしてほしい

 まず、思い違いをしている人が思うことはこれだろう

 「なんで?それでうまくいけば成功じゃん、何がいけないの?」

 一応、うまくいく恋愛と、そうでない恋愛の違いを体験してきた人間として区別を教える

 ひとつ、これを読む前に冷静に考える姿勢になって欲しい

 何を聞いてもケチをつけることや、張り合うことしか考えない人がいるからだ

 まあ、そのような人に今この注意をしてみても、その話自体冷静に聞いていないから無意味かもしれないが

 その違いについて、まず冷静に考えなくてはならないことがある

 「恋愛は好きになった人とする」と思っている人は、楽しいことばかり、嬉しいことばかり、気に入るところばかり、そんな人と一緒になってうまくいこうとする

 しかし、僕たちが人間関係において「破綻」を迎える時は、気に入るところがないからではない

 「嫌なところ」が許せなくなるからだ

 「だから嫌なところがない人を好きになるんじゃないの?」

 そう思っただろうか?

 そんな人はいない

 あなたのことを、何も言わずにいても、誰もが心の中では「嫌だな」と思う部分がある

 そして口に出してそれを言う人はいない

 なぜならば、相手にとってあなたはどうでもいい存在だからだ

 しかしそれも本質的な原因ではなく、問題は別のところにある

 そして「気に入るところと、気に入らないところ」と考えている人は、既にその時点で自分が傲慢であることに気づいていない

 当たり前に「気に入る人間」を見つけようとしている、その姿勢が傲慢なのだ

 「人と仲良くしよう」としている延長線上にある関係ではなく、最初から「私が気に入る人間」をチョイスしようとしている

 それは人を物扱いする、傲慢な姿勢だ

 別のモチーフで想像するならば、失敗する恋愛とは、「遊びの関係」だと言える

 皆さんは、キャバクラやホストクラブの中で結婚できると思わないだろう

 入れ込んで破綻している人はいるが、とにかくそんなことはできない、と思うだろう

 しかし、同じ内容を現実にやっているだけで、全く本質的には同じことをしている人が沢山いる

 現実にやったら更に収拾がつかなくなるだけだ

 「お店の中じゃないから、同じことしても現実だよね」

 という勘違いをしている人は改めた方がいい

 そして、今僕はまずいことに気づいた

 全部説明できるが、絶対に長くなる

 どうしようか

 このブログは無償奉仕として行っているが、僕は今日やらなくてはならないことがあるし、このまま書き続けられない

 そして僕は書く時は一気に書かないと書けない

 目が覚めるとひらめくから、頭の中で崩れないうちに書ききっている

 説明足らずになるが、一部とりあえずポイントを書くか

 「恋愛がどんどん嬉しいことばかりで埋め尽くされると考えている人は、現実逃避をしたいだけ」

 ここで、もう恋愛が失敗することはわかる

 ちなみに、このような相手は「さげまん」だ

 または「さげちん」だ

 さげまんより、さげちんの方がイメージ的に悲しいな

 形状のことではないとわかっていても、なんだかイメージ的なものが辛いな

 悲しい響きだ

 まあそれはどうでもいい

 「嬉しいことが次々起きるからうまくいっている」

 この発想は、現実の嫌なものから目をそらし続ける人しか持たない

 大事なことは、マイナス面だ

 相手が言った嬉しいことばかり大事にしていて、気に入らないこと、否定的なことは無視してしまう人がいる

 相手にとって大事な部分は、自分の気に入る部分よりも「否定的に見ている部分」の方だ

 それを、どうしただろうか?

 否定的なことについて、素直に伝えることさえ勇気がいる

 なあなあの関係ではまず起きない

 真剣に向き合っている人しかそんなことは言わない

 「これからもこの人と一緒にい続けたい」と思わなければ、問題にすらならない

 何を問題にしているのかで、「相手が自分との関係をどう考えているのかがわかる」のだ

 ただ「私を否定した!」と怒っている人は、論外だ

 または「私は嫌われた」と落ち込んで拗ねる人もだ

 真剣に一緒に進む将来を考えた時に、「何が問題になるか」は先にわかるものだ

 それについて、進む前に話し合っておくことは、大切なことだ

 ちなみに、僕が本当にうまくいった恋愛においては、やはりそれが先にあった

 相手が僕の何を問題にしてくるかで、僕の将来をどのくらい真剣に見てくれているのかわかる

 ただ人を貶している人とは違う

 未来の心配をしている

 真剣に考えてくれているから、実行可能なアイディアや意見がある

 親友でも恋人でも「これはよくない」と言ってくれる時に、「こんなに考えてくれているのか」と嬉しく思ったものだ

 今を否定しているのではない

 「このままでは、良くないことになる」と案じてくれているのだ

 今は一緒にいるのだから、今は好きに決まっている

 嫌なら今一緒にいない

 しかし、このままもっと親密な関係に、恋愛においては「ひょっとしたら結婚まで」という想像が生まれれば、今の関係では問題にならないことも、問題になってくる

 何を問題にしているかで、相手が頭の中で何をイメージしているかはわかる

 昔、僕が本当に愛し合う恋愛をした時も、相手が問題として挙げてきたことから、僕と将来的にもっと親密になっていくことをイメージしていることはわかった

 「一緒に生活する」ことまで視野にいれれば、ただデートをしている時には問題にならないことも問題となっていく

 だから心配しているのだ

 内容的には今の僕がしていることに対して否定的なことだが、「それが問題になる場合、二人はどんな関係か」を想像すれば、相手が今よりもっとずっと親密になりたいと思っていることはわかる

 そこで、否定的なこと、問題点について意見されていても、「こんなに愛されているのだ」と実感できるのだ

 夢みたいなことを考えている人は、後になって「こんな人だと思わなかった」と、まるで自分が騙されたかのような話し方をする

 しかし、自分で自分を騙し、そして相手を騙していたのだ

 相手に騙されていたわけではない

 自分を騙し騙し進んできた結果であり、相手のせいではない

 現実の相手と共に未来に生きることではなく、「夢のような未来」を思い描き

 「この人となら、そこにたどり着けるかも!」

 と自分一人の妄想に浸りいい気分になってただけだ

 そして、破綻すれば現実が残る

 「逃避したくなるような現実」が

 しかし、本当に現実の未来を共に生きようとする人は、「逃避したくなる現実」の方を見ている

 本人がどんなに無視しても、真剣に自分と未来を生きていきたい人は、逃避したくならない現実になるように、未来を案じてくる

 たった今、そこにいる自分を受け入れて共に未来を進もうとした人だけが、未来の現実を真剣に考えてくる

 それがわからないのが「現実逃避を夢見る人」だ

 その関係は、本当にキャバ嬢とお客さんのような関係なのだ

 「遊びしかない」
 「楽しいことばかり起こそうとする」
 「いいことしか言わない」
 「好きなところばかり」
 

 とにかく一緒に過ごす時間は、「楽しい遊びの時間」なのだ

 「リアル竜宮城」のようなものを作りたがる

 そして自分は乙姫様だ

 相手をいい気分にさせるのが、いいことだと思っている

 そして、みな知る通りの結末だ

 「現実に戻ったら年だけ取っている」

 生まれつき竜宮城に生まれたような人がいるが、少なくとも乙姫役が自分ではないから、そうは思えないのだろう

 乙姫様は、お母さん

 そんな竜宮城に生まれている人がいる

 そして自分はそこにいるクズのカメだ

 いじめられているところを、助けてくれた人がいる

 そこでその人を「実家に連れていく」のだ

 自分が夢の世界から出ないから、気に入った人がいればその人も夢の国に連れて行こうとする

 大変な代償を支払わなくてはならない

 現実は戻ったらもうどうにもならない状態になっている

 現実のうまくいく恋愛は、竜宮城に行かなくてもできる

 夢なんていらない

 そして、「現実逃避の楽しい日々」など、現実を生きる人にとっては「現実が心配になるだけ」の関係にしかならない

 よって、この関係は

 「元々、現実が不満でそれを自力でどうにもできない二人」

 だけが進んで行ける破綻の道なのだ

 ただ、この勘違いをしている人は九割以上だと思う

 そのくらい全体が勘違いしていると思う

 成功は形の上のことしかないと考えているから

 最高に派手な竜宮城にいる人たちが、成功していると勘違いしているだろう

 「恋愛はいいことばかり」と思うのはなぜか?

 「現実に不満があるのにどうにもできずにいる」

 これが原因だ

 大人であっても、とにかく遊びでしか一緒にいられない

 正に「遊びの関係」だ

 楽しい遊びをする人と一緒になるのが「結婚」なのか?

 結婚は遊びの延長線上にあるのか?

 「もっと、もっと楽しいことを」

 この勘違いの元、現実を無視して恋愛に入れ込んでいく

 それが実際に生きている人間でない場合は

 「推し活」

 のような形になっていく

 どこかで見たものに洗脳されている

 「うまくいく恋愛」など体験していないのに、先にどうなればうまくいくのか「知った気になっている」のだ

 「こうなればうまくいく」とイメージしているものが先にあるから、なんとかしてその形にしようとして現実を無視する

 現実に起きたことを無視して、「成功する未来へ」という時点で矛盾している

 本当にうまくいく関係に欠かせない大きなポイントは

 「真剣であること」だ

 真剣に話を聞く、考える、そして伝える

 これらができること

 「真剣な話をする」と考える人は、大きな問題について話せばそれが真剣な話だと思っている

 真剣とは何か?

 勘違いしている人は、「話のネタにより真剣かどうかが変わる」と思っている

 怒鳴ったり、大げさに喋ったり、それらは「真剣な態度」だと考えている

 つまり真剣さとは、「感情的であること」という勘違いだ

 真剣さとは、冷静さを兼ねたものだ

 どんなことでも真剣に考えることはできる

 深刻に考えるのではない

 今、遊んでいて楽しい相手との未来を「真剣に考える」

 真剣に考えれば、夢のような未来は思い描けない

 だが、真剣になった試しの無い人は、自分の人生についても真剣になど考えていない

 感情的に嘆くだけだ

 「このままじゃどうにもならない、このまま生きても幸せになれる未来なんてない」

 そこで

 「だから未来を幸せにしてくれる、良い恋愛関係があれば」

 と思いつくのだ

 現実逃避でしかない

 つまらない未来に、楽しい恋愛があれば「マシになるのに」と思っている

 「つまらない未来」をイメージしている人は、どうあってもつまらない未来に行く

 皆さんは、自分が相手ならどう思うだろうか

 あなたは、相手のつまらない人生とつまらない未来を「楽しくしてくれる存在」として選ばれたのだ

 あなたなら、つまらない未来を楽しいものに「変えてくれる」と期待されているのだ

 それがあなたにとって、良い恋愛だろうか?

 あなたが未来に望む良い恋愛は、「相手のつまらない人生を救ってあげる関係」だろうか?

 こんなことを望む人は、自分のことしか考えていない

 相手にとってそれがどういうことになるか、それを想像していない

 真剣に考えていないのだ

 ちなみに、僕の経験では基本的にみな真剣に考えていないが、恐らく元々人の話はよく聞く人だったのだろう

 「自分の哲学がある人が好きだ」

 という僕の言葉を聞いて、どんなことなのか、内容にも僕にも関心を持った人がいた

 それまでは全く考えたことがなく、二次元の「推し活」に夢中の人だった

 本人曰く「苦労して自分で稼いだお金を、湯水のように使って」と言っていた

 これを現実の人間相手にもやる人がいる

 普通に出会った人を「推し」にしてしまうのだ

 しかし、彼女は僕の話を聞いているうちに、新しい考えが生まれ、そして変わった

 それが、最もうまくいった、本当の恋愛をした相手だ

 「そんなこと考えている人、初めて会った」と言っていたが、彼女は僕に影響されて考え出した

 たまたま、きっかけがなかっただけの人なのだ

 それからは、彼女も真剣に考え生きるようになり、本当の意味で「良きパートナー」になった

 互いに相手の未来のことも考える、共に精進だ

 真剣にやることをバカバカしいことのように、軽んじる人がいる

 そして完全に体たらくと呼べる状態になっていても、自分に対していい加減だからまだ遊ぶ

 遊びを積み重ねていても、「他人がなんとかしてくれる」と期待する

 遊びで楽しい時間を過ごしたら、現実がうまくいくのか

 人生を遊興ばかりにしていけばいいのか?

 そんなわけがない

 それで生きがいややりがいを感じるわけがない

 だが、先ほど述べたように、これは「キャバクラと同じ遊びの恋愛ごっこだ」と考えれば簡単に区別できるだろう

 遊びでしか関わらない人は、友人でもいる

 恋愛ごっこも同時多発する

 褒められたい、ちやほやされたい、と下心を持って生きている人は、褒めてくれる人がいたら嬉しい

 好きになってくれた、と思って嬉しい

 しかしそれは「気に入ってくれた」であり、自分は品物ではない

 そして楽しい時間は、殆ど誰とでも過ごせる

 楽しいデートも、やろうと思えば殆ど誰とでもできるし、好きになろうとすれば誰でも好きになれる

 なぜならば、それは相手に対して「適応」するだけでできるからだ

 迎合ではない

 相手に慣れる、嫌だなと思うところも、相手の特徴として慣れていく

 そして良い角度からものを見る

 やり取りに慣れ、相手と楽しくやり取りするコツをつかむ

 それだけで、十分やっていける

 そしてそこには嫌々ではなく、一人一人としてそれぞれ違う楽しさがある

 それぞれ、違う子供を可愛いと思って育てるように、全員可愛いと思えるようになる

 中身が子供だからできるのかもしれないが、とにかくそんなことは難しいことではない

 現実に未来を生きようとする人は、もし遊んでばかりならば、真剣にそれを問題視してくる

 貶すわけではない

 本当の意味での「お母さん」のような役目を担ってくれる

 お世話係は要らない

 甘やかしてくるのではない

 優しくしてくれることもあるが、真剣に頑張って欲しいといつも願っている

 いつも自分を応援してくれる

 それが自分を本当に愛してくれる人だ

 そして自分自身も、相手の身を案じる

 互いに相手の未来を考えた時に、相手と共に生きる未来がイメージできないならば、今の自分ではダメなのだ

 「いいことばかり」の竜宮城みたいな関係が欲しい人は、相手が否定的なことを言わなくなって、褒め言葉を言うばかりになれば

 「うまくいっている」と考える

 自分自身が現実逃避を求めているから、それが成功なのだ

 それは現実から見捨てられただけだ

 「真剣に恋愛する相手、から、遊ぶ相手」に格下げされた時にそれは起きる

 真剣に自分の未来を考えてくれるお母さんよりも、甘やかしていつまでも遊んでいていいと言ってくれるお母さんが好き

 そんな人が多い

 なぜならば、もう現実にいいことなんて何もない

 と自分が諦めているからだ

 本人が諦めて進みたくない、見たくもない未来なのだから、未来へ進む人が共に進んで行ける道など最初からないのだ

 僕もこうして書きながら、キャバクラなるものに一度も行ったことがなかった

 そこで、たまたま機会があり人に連れて行ってもらって行ってみたが、何もいいことはないところだった

 知らない女と、どうでもいい話をして酒を飲むという、更には女が媚びてくる姿を見ながらという、どちらかと言うと行きたくはない場所だった

 金を払っているから、サービスとして提供してくれている

 そんなことをしてもらうくらいならば、友達と酒を飲んだ方がマシだ

 大半の男は、あれが好きだ

 それは知っている

 だが、全くその良さはわからない

 わからないまま生きていこうと思う

 一度は体験した、十分だ

 僕は、近所で出会った95歳のおじいちゃんと酒を飲み、春日八郎の歌を聴いている方が遥かに有意義だ

 「いい人に出会えない」という理由で恋愛がうまくいかない人は

 大抵キャバクラに通って楽しい人と思える人を捕まえているだけの、乙姫様だ

 現実に存在している「竜宮城」など、かつての公家衆の家のようなもの

 きらびやかに見せている陰で、夜中になるとお母さんは地団駄踏んで舞を舞うのだ

 般若の面をつけて

 いっそ、家の表札も「竜宮城」の看板に変えたらどうか?

 僕はキャバ嬢やホストの友人もいたが、彼らは大変な苦労をしている

 その陰ではいじめもあり、争いもあり、し烈な争いを繰り広げている

 女の中には「可愛ければうまくいく」と思っている人がいる

 顔がいい、という意味でだ

 しかし、顔の可愛さなんてものはそのうち老婆になれば消え失せる

 僕は顔の可愛さに心惹かれないように鍛錬を重ねてきたのでそんなところで人を見ないが、社会はそのように人を見るから本人自身も「自分は可愛い顔しか売りが無い」と思って生きていることが多い

 ちやほやされて喜ぶ人など、みな似たり寄ったりの苦悩を抱える

 だが、恋愛で失敗している原因はまるっきり違うところにある

 自分は商品ではない

 他人を商品のように見るならば、自覚がなくても自分を商品のように扱うだろう

 まずは

 「こんな辛い日々から救ってくれる人」

 という

 「道具」

 を探す生き方をやめることだ

 自らも自分の道を真剣に考えて進むからこそ、同じように真剣に考えて進んでいる人の気持ちがわかり、想像もできるようになり、共に力を合わせて進んで行けるのだ