まだ見ぬ友人へ

君は知っているか 難易度5

まだ見ぬ友人へ

 この文章には難易度を設定している。

 最も簡単なものを難易度1として、難易度5だ。
 つまり簡単ではない。

 理由は、本質的なことを比喩を用いて説明するからだ。
 想像力を使わなくては、理解できない。

 故に、難易度5だ。

 理解できる人がいることを願う。
 それなりに知識や経験も必要となってくるので、わからなくともただのヒントとして覚えておいてほしい。

 君は、子供のころヒーローが好きだったか?
 正義のために戦う戦士たちに憧れたか?

 君は当たり前に正義と言うものを知っているか?

 ヒーローのような人を、覚えているか?

 あれは空想世界だけの話だと思っているか?

 現実にはヒーローのような正義は行わずとも良い、現実の正義は違うものだと思っているか?

 正義とは何か?
 正義と悪の違いがわかるだろうか?

 正義とは愛と優しさを伴うものであり、守るために戦い情けを知るものである。
 悪とは、常に一方的で相対するものを排除または同化していくものである。

 では、聞こう。

 君は正義の人か?

 君は正しいことをしているか?
 正しいことを言っていても、正義とは限らない。

 なぜならば、自分の正しいを拡大していくために、相対するものを排除または同化しているならば、それは悪と呼ぶからだ。

 悪も、自分たちのしていることは正しいと思っている。

 悪とは考え方そのもののことではなく、実行する手段のことだからだ。
 自分の目的のため、自分の考えで悪行を行う者は悪人だ。
 他人や社会の理想のために、理想的でないものを排除また同化・強制していく者は「悪の手下」と呼ぶ。

 もう一度言う。
 悪とは考え方そのもののことではなく、実行する方法のことだ。

 人や考え方が悪なのではなく、実行する方法を悪と呼ぶ。
 実行する方法まで伴わなくては、正義ではない。

 正義は悪を止める。
 人を尊重し、その行動を止める。
 また排除される誰かを守る。

 正義とは、一方的に排除される者を守るものである。

 悪は守る者がなくとも、正義を実行する者、または悪の正しいとするものに反する者を、一方的に排除しようとするものである。

 悪の目的は、常に「自分たちと違う者の排除」であり、そのためならどんな方法を取っても良い。
 人を攻撃することも、排除することも、また集団でリンチすることも許される。それが悪だ。

 また悪は、勝てない相手に出会うと自ら同化して身を隠す者だ。

 では、それを踏まえた上で、もう一度聞く。

 「君は正義の人か?」

 正義のために生きる人は、相対する者がいてもいなくても、守る者を常に守っている。
 子供たちを大切にしなくてはならない、と訴える人は、日ごろから我が子のみならず子供たちのために尽くし守っている。

 正義を行う人は、自らが「これは良くない」とすることをせず、その反対を常に実行している。
 それが日常であり、当たり前なので「正義を実行している」という自覚は無い。

 自覚無く、当たり前のこととして行っている行動が、その人の本質である。

 「これは良くない」と指摘することを本人はせず、またその反対を常に実行している。
 実行できない時は反省し、改善している。

 さて、では君に聞こう。

 社会では正義が当たり前に正しいとされているか?

 正義を行っていると、正しいことになるだろうか?

 または、悪を実行すると正しいことになるだろうか?

 君は、正義の人の子として生まれただろうか?
 または、悪の人の子として生まれただろうか?

 

 君は、現実の世界は平和であり、ヒーローたちが生きた世界とは全く違う安全なところだと思っていないだろうか?

 例えば君が、既に悪の支配する世界の中に生まれ、知らずに悪を正しいと思い込んで生きてきたということはないだろうか?

 例えばその世界では、正しいとされることを実行していると、自然に君が未来を失い、生活に苦しむことになるなんてことはないだろうか?

 そしてその理由が何かのせいだと教えられ、それを排除さえすれば助かると思い込まされていないだろうか?

 頑張れば頑張るほど抜け出せない迷路に迷い込み、自分自身は報われていないのに「正しいこと」のために「間違っていること」を排除して回るような、悪の兵隊になっているということは無いだろうか?

 そう、例えばもし、この社会を悪が支配していたとして、それに気づいた人はどうするだろうか?

 皆に気づけとメッセージを送るのではないだろうか?

 君はスターウォーズを見たことがあるか?
 Episode Ⅰから連なる三部作で、悪の親玉の表での姿は、世界の平和と秩序を訴える尊敬される人だった。
 正義の人として生きていた子供を、恨みと憎しみを持つように仕向け、彼の愛する人を利用し、やがて自らの手下にした。

 母を失うことで彼は憎しみに燃え、愛する人を失う恐れから悪に服従した。

 これが現実に起きていたとしたら、どうなるだろうか?

 そして正義を訴えノーベル平和賞を受賞した人たちが、実は嘘つきだったという話は、現実にある。

 正義を訴え戦争を起こした。後に大ウソだったとバレた。

 正義は戦争など起こさない。

 社会の構造は頂点に続く。
 そして頂点を中心に、枝葉の流れが作られる。

 君は、どのあたりで生まれ育っただろうか?

 最初から知っていたのは、どこまでだろうか?

 また、どこまで登り詰めて確認できただろうか?

 社会の正しいが逆転する瞬間を迎えただろうか?

 これまでの正しいが一瞬にしてすべて罪になる瞬間を迎えただろうか?

 君は正義と悪、どちらのために生きているだろうか?

 僕たちはインターネットにより、常に監視されている。

 街には監視カメラもついている。

 ネット上の発言により、君が正しくないものを排除する優秀な僕だと認めてもらえれば、二階級特進するような名誉あるお役目を頂戴できるかもしれない。

 優等劣等で人を分けていくつもりの人たちがいる。

 社会の理想を掲げる人たちだ。
 だが、その優等には何よりも生まれ育ち、つまり血筋が入っている。

 勿論、よく従う優秀な人間は認められ、彼らのために命を賭けるという栄誉を与えられる。

 君が正しいもののために、正しくないものを排除している人ならばきっと認められる。
 命を賭けるお役目が、最も栄誉だ。

 昔、大戦があった頃、戦争に行く必要がない人たちもいた。

 研究者や、教える立場の人、特殊技能で生み出す人。
 つまり学が無くてはならないが、当時の高等教育の場は最初から家柄の良い人たちが行くものだった。

 その時代が終わり、今はどんな世界だろうか?

 どこで生まれても、正義の人も悪の人もいる。

 君は見分けているだろうか?
 次の戦争は、女も行くことになるだろう。
 既に軍事のために新しい省庁も誕生している。

 現在の頂点は、僕たちが命を賭けると外に宣言しているのだから、優秀な人からきっと選んでもらえるだろう。
 既に日ごろから理想のために人を排除できる優秀な人々は、選別されているかもしれない。

 人を排除する、叩くという行為は、できる人とできない人がいる。正義のためなら人を殺す人が、やがて必要になる。

 それは、日常的に正義のために人を攻撃しに行けるような人がふさわしい。温厚で争いを嫌う人など、戦争には必要ない。
 頼まれなくとも出向いて行って、個人を攻撃している人が望ましい。

 君は、このネットワークがどういう構造になっているか、知っているだろうか?

 データがどこを通っているのか、どこを「通らなくてはならない」のか知っているだろうか?
 我々庶民が全く知らない大問題を命がけでリークした天才がいて、世界中で大騒ぎになったことを知っているだろうか?

 それが日本では騒ぎにもなっていないことを、知っているだろうか?
 彼は今、ロシアに亡命している。そして日本人に警鐘を鳴らし続けている。

 僕は、優等種だけ生き残る考え方に賛同しない。
 だが、今の日本国民の生き方は、最初から選ばれた者たちが上に立ち、下々はそれに従うことを望んでいる。

 認めていただくため、立派な兵隊として目立てるように日々努力している。

 君が今の正しいに賛同し社会の理想に従っているならば、血筋や家柄の良い人なのだろう。
 または、栄誉の死を賜るお役目をいただきたいだろう。

 社会では、頂点の正しいが正しいとされるので、誰に聞いても同じものが正しいと言われるだろう。

 君には君の考えがあるだろう。
 考えずに従っていたら、いつしか悪になるのが当たり前なのだから。

 社会で理想とされるものが何のためにあるのか、最終的にはどうなるためのものなのか、知らずして従いはしないだろう。

 社会では正しいことではなく殿である頂点の考えが正しいことになるので、理想的に生きようとしている人は殿の考えに賛同している。

 納得がいかないならば、従わないからだ。

 従ったならば、納得したことを行動で示したことになる。

 僕は若くして、社会の現実に絶望した。
 これまで夢や希望をもっていたものは、生み出された偽物だと知った。
 こんなものを本気にして、信じてきたのかと落胆した。

 すべては金のため。これが現実かと、落ち込んだ。

 大儀とは、正義とは、志とは何かと考えた。

 社会にいる大人たちは、もっと尊敬できる志を持った人格者たちばかりだと思っていた。

 きっとここだけだと思っていたら、どこに行っても社会は似たようなものだった。

 現実なんてこんなもん。

 ところが、正義はあった。

 現実逃避をして受け身に変わると見えなくなっていたものが、内から起きる正義を信じて自分で判断し動くようになると、見えてきた。

 世界は常に、こうなっているのだと気づいた。

 正義は見えないように、常にそこにあった。

 戦いも、悪も、この現代社会の形の中に、既にあった。

 あったんだよ。

 今までも、これからも、そして

 たった今も

 気づいている人といない人がいるだけで、それは最初から存在していた。

 憎しみは変装がうまい。

 誇張した正義を声高に叫びながら、排除すべき悪を探している。

 そう、あのナチスドイツがそうしていたように。

 正当な選挙で当選し、国民のためだと声高に謳い、悪だと決めた人間を大量に殺戮した。

 最初は罵り、叩き、追い詰めて追い詰めて、最後には次々殺した。

 次々殺したのだ。

 少しならば良いのではない。殺していないなら良いのではない。

 殴らなければいじめにならないわけではない。

 もし、目の前で「良くない」とされることを言った人がいたら、次々自発的に攻撃する人が集まり、口々に同じことを正しいと言い出すようならば、もう準備は万端だ。

 「非国民だ!」

 と叫びながら正義を振りかざした人たちは、もう一度戦争に行きたいのだ。これだけすべてが見られている世界で、「自分こそ優秀な兵士!」と志願しているのだから。

 君がもし、自分はやんごとない家柄の人間ではないから、と思っているならば、「もし自分もやんごとない家柄に生まれていたら」と想像してみるといい。

 理想を声高に主張し、自分たちが決めたことに従順に従う人たちは「こいつらならなんでもやってくれる」と思えるから。

 「こいつが悪いことをしていました!」と密告してくれる兵隊がいたら、「正しいことだと言えばなんでもするやつ」だと思えるから。

 それでいい、えらいね、と褒美でも与えれば、なんでもやってくれる人間に見えるから。

 そして考えて判断して動く人間は、兵隊にはできないと思うから。別の使い道を考えるから。

 想像してみるといい。君が支配者になったつもりで。

 捨て駒とそうでない駒を、どう見分けるかを。
 誰を選ぶかを。

 言われたことを復唱して真似するだけの人間は、最もランクが低い位置にしか使えないと思うから。

 君は自分がなれないものになったつもりで考えたことがあるか。

 人の身になって、人の立場になって、その人として想像の中で生まれ育ち、今を見たことがあるか?

 それができないと、人の言っていることは理解できないぞ。

 想像するためには、相手と同じような経験と知識を実際に体験し、想像の範囲を広げなくてはわからないぞ。

 「聞いただけのこと」なんて想像の材料にはできない。
 「体験したこと」しか想像の範囲には入れられない。

 「聞いただけのこと」は「聞かされただけのこと」かもしれないのだから。

 とはいえ、これはもしもの話だ。

 実際にはどうかって?

 そんなことは無い。

 この社会は問題もあるが、家族はほぼ仲良くしているしみな生活もできている。
 災害が立て続けに起きているが、復興も十分行われているし、なんの問題もない。

 経済や政治の問題は「我々が考えなくてもえらい人たちが全部決めてくれること」だし、僕たちはただ言われたとおりに生きていればいいのだ。

 何の問題もない。
 僕たちは常に従順で、良い子にして、何も悪いことはしていないのだから。

 万が一、僕たちが正しいと教えられていることが間違っているか、または僕たちが理解できていなくて間違った解釈をしているならば話は別だが。

 だが、全員が義務教育を受けているので予備知識はきちんとある。

 政治や経済についても、また過去の政治である歴史についても、きちんと覚えていて現実の生活の中で、体験するたびに理解を深めている。

 だから何も問題ない。

 経済は徐々に回復傾向で、ここ何年かは僕たちの暮らしは楽になってきている。
 いじめや虐待をする人がいるが、都度始末されている。

 問題を起こす人がいたら、すぐにみんなで始末しているから大丈夫だ。

 何よりも僕たちは、日々人を大切にし、できる限りのことをし、教育にも熱心に取り組み仕事も勤勉にこなし、優しさや思いやりにあふれているのだから。

 そうでない人がいた時は、みんなで悪いことをした人を即排除しているので、常に良い状態が保たれている。

 安心安全な世界だから、これからもみんなで頑張っていけるんだ。

 僕たちは自分自身が優しく思いやりを持っているのに、家族でありながら、伴侶でありながら、思いやりや優しさに欠けた人たちを見る。

 しかしそんなときも、すぐに周囲に報告し、優しさや思いやりのない人間はみんなで排除し、真っ当になるように厳しく教育に努めているから、彼らもそれに従い優しい思いやりある人間になるだろう。

 完璧な世界だ。

 もう人間などどこにもいない。

 神のように自分に欠点のない人が溢れる、素晴らしい日本になったものだ。

 問題があるとすれば、実は僕はそんなに立派ではない。
 多くの人たちと違い、間違いを犯した人を許してしまうし、理由を理解して他の道を探させてしまう。

 きちんと人に優しくしない人にも、優秀ではない人にも、人にケチをつけている人にも、平等に接してしまう。

 なので僕はそのうち排除されるだろう。

 なんせ僕は、自分の家柄が悪くはないのに、そうではない人たちが気づかないまま生きていくのは気の毒だと思っているのだから。
 認められるために頑張っている人たちを、邪魔するような真似をしているのだから、立派な兵隊の数を減らす不届き者だ。

 決められたことは守らなくてはならないし、優しくない人は許してはいけないんだからね。

 大きな力の決めたことにこれからもみんなで従順に従って、いつか頑張りを認めて僕たちの喜ぶ顔を「権力が見たがってくれる日」をみんなで待つのが良いことなのだから。

 家の中からそうやって頑張ってきたのだから、社会の両親がいつか認めて望みをかなえてくれる日まで、社会の両親を信じて良い子にして待たなくては。


 我々の平和で優しい世界のために。

追伸・・・

 古い家に生まれた僕から、ひとつ君に忠告しておく。

 君が家に伝わる厳しい教育を受けたことがない人ならば、自分たちと違う始まりの人たちを真似して、同じになろうとしない方がいい。

 なぜならば、僕たちは最初から家の中で凄まじく厳しい教育を受けていて、それは外では教わらないものだが外に出るまでに叩き込まれているから。
 家の教育は外に出るまでに身につけさせるものなのだ。

 それは染み着いたものなので意識しなくとも行える。

 ある人に僕が食卓で手を伸ばすとき、袂に手を添える動きをしたと指摘された。
 無意識にやっているが、幼いころからよく注意されたものだ。

 習慣は癖として身に付き、自覚なく行っている。

 だから後から真似しても身に付くことは無い。
 絶対音感と同じだ。
 一般的に言うマナーの範囲より幅広いことを教わってきている。

 教わっている人たちは、みんな同じだと思っている。
 それはできて当然だと思っている。だから互いに何をしているかは知らない。

 教わっていたら上ではないし、同じにならずとも良い。
 真似しても認められるわけでもなければ、「やっているつもり」の人を彼らが見抜けないわけではないから。

 無意識にやっている人は緊張して意識的に「きちんとしている」人がわかるから。

 自分を捨てることなく、必要に応じて頑張っているのだ、とそのままの自分でいれば、認められるから。

 自然体である人が、一番認められるから。
 大切なことは作法を知っているかではなく、態度の方だから。

 僕たちは、まず「分を弁えよ」と教わる。
 最初から家柄にランクがあるからだ。
 上下を見極め、粗相の無いようにするためだ。

 自分の方が下である時に、「自分にも同じことができる」と見せるのは喧嘩を売る行為であり、敵対してしまうからやめた方がいい。
 少なくとも、自分が何かしていただくことのある相手に対しては、決して張り合わないこと。
 ひとつも恩恵を受けられなくなるから。これは基本だ。

 出過ぎは良くないのだ。

 結果を持って出過ぎれば、引き上げられる。

 なので態度は出過ぎず、結果で出過ぎれば良い。

 結果は大きく、態度は小さくだ。

 実力が備われば備わるほど、姿勢は低くするものだ。

 実力は有無を言わさないものなので、バランスを取るために態度は低くするのだ。

 謙虚とは、そういうものだ。

 実力の無いうちは、教えていただく態度で。
 先輩方の胸を借りる気持ちで接することだ。

 上から見れば、自ら誰かを密告するような輩は「こいつは危険なやつ」だと思える。
 みな同じにしか見えないのに、「あいつが悪者です!」と言ってくる人間は危険だからだ。

 仲間を売っているようにしか見えないのだ。

 上に立つ人は、集団の中で何をしているかをまず見ている。

 背後の誰かを守るためではなく、自分が何かをもらうために戦っている人間は、すぐにわかるから気を付けた方がいい。

 一緒になって誰かを叩かないように。

 70年ほど前には、これまで安心して正しいと言えたことが一瞬にしてひっくり返った。
 だから正しいものは自分で考えて決めておくことだ。

 正しいことがひっくり返った瞬間、自分は悪者になるから。

 そして本当に価値あるものは、持つ人たちが「持っていない」ものなのだから、真似するために最初から持っているものを、捨てないように。

 君が与えられた最初の装備を、大切にしてくれ。

 社会的に価値あるものより、自分が最初から持つものに真の価値があることを覚えておいてくれ。

最上 雄基