百年前、女性が意見を持つことはよくないと思われていました。
本当に男尊女卑の時代です。
今の世の中はそうではありませんが、我慢しなくてもいいのに我慢している人もいます。
我慢して欲求不満になれば、やりたいことではなく「見返すためのこと」をやりだします。
大昔の良妻賢母なんて生きるために女性が演じたキャラです。
意思もない、なんでも許せる人などいるわけがありません。
我慢して爆発させると大事にしかなりません。
普段から当たり前に人として思うこと、感じることを「自覚して」表現していきましょう。
おかしなことだと思いました。
目の前の人は期待していないのに、「意思を言ってほしい」と願っても「女性は意見などしてはならない」という誰かの命令に従うのです。
この旦那さんは普通に意見があれば聞いてくれる、という旦那さんを前にしても、「女性らしく素敵な奥さん」であろうとします。
旦那さんにとって求められている奥さんではないのです。
どちらにも言えることですが、「女らしい」のイメージが大昔のものになっています。
時代は変わりました。
別に欧米人になれというのではありません。
常に、たった今自分がどうであるのかを表現できるようにしていればいいのです。
意思を確認し、判断する。
意見しないようにしてきた人は、感じることを無視する癖がついています。
決まりきったセリフをしゃべることに慣れています。
もうそんなことをする必要はないのです。
やったところで喜ばれません。
求められないことをしているのですから、百年前の理想の人になっても意味はありません。
正当化する理由が先に必要なのではありません。
どうなのか。
事実だけでいいのです。
長い歴史あってのものですから、少しずつ慣れていくほかないでしょう。
そしてここに百年前の歌の動画を貼っておきます。
まるで今のようですね。
つまり百年前には自覚できるほどの変化だったということです。