どうしてもお母さんになりたい「親子逆転した人」 https://www.refresherblue.com/?p=6810
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親の愛を知らない、と聞くと、愛されてこなかった人は、愛されたら「自分の思い通りにしてもらえる」「我儘を聞いてもらえる」という形に勘違いします。
親子が逆転していた人の想像する「良い関係」はやはり問題があります。
必ず支配関係になり、必ず片方が我慢を強いられます。
この関係に、矛盾した関係を知らない人は捕まりません。
矛盾した者同士でないと、どうしても続かないのです。
うまくやれていても、役目が間違っているから成功しても失敗したと思うのです。
愛は体験です。
体験してから、自分自身が愛する力を身に着けて「あれが愛だったのだ」と知るのです。
神経症の人にとって「矛盾しない関係」は未知のものであり、未体験のものです。
体験したところで、それが何かわからないのです。
少なくとも望んでいることではないので、良くないものだと思うのです。
望んだ形が叶った時には
「私はあなたのお母さんじゃないのよ!」
という夫婦が作られています。
それが既に成功であるということに、気付かないのです。
望んだとおりになった時には、「何もしてもらえない、何かしてあげ続ける関係」になります。
それを望んでいることに本人が気づいていません。
気持ちの面では望んでいないのに、行動ではそれを望んでいることをしています。
言っていること、やっていること、相手を自立させず我が子にしようしようとしていることに、本人が気づいていません。
好かれたら、要求を受け入れてもらえたら、「自分が何かしてもらえる」と勘違いしているのです。
これまで認めてもらえなかった自分を認めてもらえたら、相手は自分に面倒を見てもらおうとするのが当たり前なのです。
母親をやっているのですから。
本人が自信がないのは「母親として」であり、子供としてではありません。
子供にならないようにならないように、母親になろうなろうとして生きているのです。
だから苦痛なのです。
最初から間違って覚えているということが、こんなに恐ろしいことなのかと思えるほど、人生を誤解して使ってきています。
「そんなこと自分でやりなさいよ!」
と嫌そうな顔で怒るのは、親ではなく子供の側の役目です。
「そんなこと自分でやってよね!」
それが子供です。
「そんなこと自分でやりなさいよ!」
と迷惑そうに怒り、子供に罪悪感を与えているのが子供に母を求めている親です。
罪悪感を抱えながら、子供は母親の役割をして「これでいい?」と認めてもらおうとします。
面倒くさいから、どうしたらいいのかわからないから、言っていることは子供なのに、態度と口調だけは親のものなのです。
ずっと我儘な子供の面倒を見て「これでいいのかな」と自信無く親を続けているのです。
そして母親のように生きて、母親のように面倒を見て、自立させず自立せず、誰かと共に絡み合っていくのです。
うまく行かないと「こんなに頑張ったのに!何も悪くないのに!」と嘆く結果に
うまく行くと「なんで私ばっかり何かしなきゃいけないの!」と怒る結果に
どちらにせよ、満足する関係になどなれないのです。