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過去をやたら話すな

 人間関係を円滑にするために、守るべきことがある。

 今、そしてこれからに必要ない自分の過去をやたら話さないことだ。

 やたら過去を話す人は、自分に気を使ってほしい。

 黙っていたらしてもらえないことを、要求している。

 笑い話にしてみんなを楽しませたいわけではない。
 自分の過去に配慮して「私の過去に適応する努力をしろ」ということだ。

 しかし、人は気を使わなくてはならないことは避けたい。
 配慮などしなくてはならない人は面倒くさい。

 今その人がどうかだけならば楽なのに、今に関係ない過去の何かに配慮して扱わなくてはならない。
 それだけで、人は避けたがる。

 自由を奪われる。

 知らなければなんともないことも、知ってしまったら遠慮する。

 だからやたら過去は話さないほうがいい。

 過去の未練を断ち切るには、過去を利用しないことだ。

 過去に思い残しや恨みがある人は、過去を利用して未来の人間関係を作ろうとする。

 過去のためにこれからの人生を使ってしまう。

 「過去にあれこれしたかった、してほしかった」

 これを今からの時間で叶えようとしてはいけない。

 今は今で、人間には必ず何かの欲求が生まれているから。

 今の欲求を今満たせば満足するが、過去に叶えたかった欲求を今満たしても、満足はしないから。

 まず、今の結果を受け入れることだ。

 できなかった。

 思った通りにならなかった。

 「どうしたら思い通りになるか」を考えるのではなく、まず「できなかった」という事実を受け入れる。

 そして、これからどうしたいのか考える。

 例えば、結婚を失敗した人が何度でも同じことを繰り返す。
 今度こそ、と繰り返すことはチャレンジ精神旺盛だと言えない。

 なぜならば、その結婚自体後ろ向きな恋愛から生まれたものだからだ。

 今の自分で生きようとしない人は、過去を利用する。

 そして人に気に入られるために「将来の期待値」を上げようとする。

 現実に今何かできるわけでも、結果を出せるわけでもなんでもない。

 説明によって未来の期待値を上げようとする。

 実際の自分より高値で人に売りつけようとする。

 たった今の自分こそ、最も大切な価値だ。

 たった今の自分の価値で生きることこそ、大切なことだ。

 今の自分が、今の自分自身だけで今を生きる。

 それが全員にとって当たり前のことなのだ。

 自分と同じことをする人がいたら、ぜひ選びたい。

 そんな自分であることだ。

 過去は一度利用して味を占めると手放せなくなる。

 過去を手放せなくなったら、今を生きられなくなる。

 「今、ここにある自分」をそのまま受け入れる。

 そこに是非など必要ないのだ。

 そうなのだから。

 理由はどうあれ、そうなのだから。

 そして他人には理由など関係なく、今どうなのかだけしか必要ないのだから。

 過去を語らなくなれば、人は自分に対して勝手な想像で接してくる。

 その勝手な想像の中身に、相手の人格が出る。

 だが、過去を利用せず、自分の価値を底上げせず、ただそこに今ある自分として接してもらえた時、人は「受け入れられた」と感じるのだ。

 どんなに相手が受け入れてくれる人であっても、自分が今の自分で勝負できない限り、受け入れられたとは感じない。

 自分として生きている人をいくら受け入れることができても、自分を今のまま出せなければ、今の自分の意思を伝えられなければ、受け入れられたと感じることはない。

 理解しあうということは思うより遥かに難しく、一方的に受け入れるだけではだめなのだ。

 互いが自分の自然な姿を出していて、初めて成り立つものだ。

 今の自分じゃなくて、これからの自分を見て接してほしい。

 今の自分は過去のせいだから、今の自分だと思わないでほしい。

 そのようにして、今の自分を存在させないならば、誰も受け入れることはできない。

 自分が受け入れない限り、誰にも受け入れてはもらえないのだ。

 そこにまず自分が存在することが必要なのだ。

 過去を語り過ぎれば、相手のすることがいちいち許せなくなる。

 知らなければ許せたものも、許せなくなる。

 だからやたら過去は語らないほうがいい。

 過去は今の自分に必ず関係している。

 過去があって今があるのだから、いちいち語らなくとも今の自分でいればいいのだ。

 それが現実の結果なのだから。

 絶対に何があっても受け入れる他人がいない人が、他人に絶対の安心など求めるものではない。

 出会った時からが勝負だ。

 過去は決して変えられないし、消せない。

 だからこそ、黒歴史の過去など残さないことだ。

 自分の人生でやり直しは聞いても、相手との人間関係に「やりなおし」はないから。

 一度経験したら、二度と忘れないから。

 今の関係があることも、過去があるからだ。

 過去にあったものを無いものにするために努力することは不毛だ。

 無いものにしたい過去ならば、自分が作らなければいい。

 言い訳したいような過去ならば、やらなければいい。

 しかし、その時はそれしかできなかったのだ。

 それが、自分の実力なのだと受け入れることだ。

 過去の失敗は、失敗であっても自分にとっては最大限の自分だ。

 後悔はいくらでもできるが、実際にやったことはひとつなのだ。

 言ったこともやったことも、ひとつなのだ。今はひとつしか残せないから。

 そのたったひとつの今を、どう生きたか。

 それこそが、自分の価値だ。

 それが自分なのだ。

 あらゆる理由があったうえで、どうしたかなのだ。

 過去をこれから作るなんてことはあり得ない。

 たったひとつの今にそれを選んだことそのものが、自分にとっては意味あることなのだ。

 自分がそのたったひとつを選んだのだから、結果がどうあっても過去の自分を責めないことだ。

 そして他人を責めないことだ。

 誰が悪いかなんてどうでもいいし、決められない。

 ただ、「そうだったのだ」という事実があるのだ。

 過去を繰り返そうとせず、完璧に叶うまで何度でも同じ夢を追わず生きることだ。

 失敗した過去も、今を生きればやがては輝く軌跡となる。

 振り返った時に、過去が輝く軌跡に見えるような今を生きることだ。

 今を生きるしかないのだから。