やる気のない、現実や人をバカにした態度の子供を育てる親
僕が小学校一年生の頃のまま、大人になったような人です
友達がうまくできていないことがあると、「あの子がやれてない」と告げ口します
友達より早く終わると、友達のしていることに口出ししたり「もっとこうした方がいい」と指図します
嫌がられる子です
ある時、先生に告げ口をしたら窘められました
「それは友達の分だから、あなたは何もしなくていいのだ」
と諭されました
僕の中では「上手にきちんとできること」が正しく良いことであり、誰もがそうなるべきでそうするためにやっているということになっていたので、「全員が同じように完璧を目指すのだ」と思っていました
自分のしていることは良くないことなのだと諭され、
「他人から見て気になったとしても、本人がすべきことに口出しをしてはいけないのだ」
と理解しました
しかし、このまま大人になるとどうなるでしょうか
子供のやることに指図します
何かをしていて苦戦していると、父や母が横から口出しします
「もっとこうやったら?」
この言い方が優しくても厳しくても、同じことです
親がもどかしくてなんとかしたいだけなのです
時に子供がやっているところで手出しします
取り上げて代わりに母親がやってしまいます
「はい、これでうまくできたでしょ」
子供は母親が代わりにやったものを渡されます
何をしていても、口出しされます
うまくできない時には、どうすればいいかを答えてしまいます
指図するのです
子供がどうしたいのかを聞き、または察し、子供自身に解決させるというやり方ではないのです
段々と子供はやる気が無くなります
自分で考えて自分で決めてやるから意欲もわいてくるし、失敗してももう一度チャレンジしたくなるのです
他人から見て「できない」と思えても、本人は「やりかけ」であるかもしれません
今やろうと思っている時、どうするか考えて苦戦している時、横から口出しされるとやる気が無くなります
感謝されたい親は、自分の方が確実にできる時にやたら口出しをします
子供は大人よりできないことばかりです
大人は子供を相手にすれば、自分がすごくできる人間になったかのような錯覚に陥るほど、子供と大人は能力差があります
子供を相手に優越感を感じたい親は、子供に劣等感を植え付け、優越感を獲得します
子供は段々と「結果優れているかどうかが大事なのだ」と思うようになります
そして、「自分は何もできない」と思うようになります
「お父さんすごい!」「お母さんすごい!」
子供の頃は誰でも思います
親は自分にはどうしたらできるのかわからないことを、次々やってのけるのですから
そして親は子供に尊敬され、優越感に浸れるのです
代わりに、子供自身は「自分は何もできない」と劣等感を抱え、何をやるにも本気で懸命にやることなく、適当に人をバカにした態度でやるようになるのです
意欲無く、真剣にやらないのに苦労しているかのように文句が多く、親同様に人を見ては批評ばかりするような人間に育っていくのです
せっかく今やろうとしていたのに!
今考えてたのに!
まだあきらめてないのに!
何よりも
自分だってできる!
と思っているからやっているのです
まだ諦めるほどやってもいないうちに、自分のやるべきことを親に横取りされて自尊心も地に落ちていくのです
そのうち大人になれば、何をやるにも
「私は上手にできないんで」「やったことないんで」
とまず言い訳するようになるのです
子供の頃は「やる!」とだけ言えた人も、大人になると「やったことないんで」と言い訳しつつ、他人に「大丈夫だから、誰でも最初はそうだから」と宥めてもらいながらでなくては、何も始められないような人になるのです
思い当たる人は、何かをするときに言い訳しないことです
いちいち人の手を煩わせてしまうのだと理解して、やるならやる、と言うのです
そして、その時は本当に「やる」のです
少しずつ、小さな行いを繰り返して過去の体験を上書きしていくのです
上手にやれたかどうかではなく、やると決めて自分の力で四苦八苦してやったかどうかこそ、本当は大切なことだったのだ、と自覚できるようになるでしょう
その頃には、意味なく失われていた自尊心も少しずつ取り戻していることでしょう