自分が不幸になっている時、自分が不幸にしている人がいないか振り返ってみましょう
あなたが不幸にした人は
あなたが願望を叶えさせた人です
願望など叶わないのが当たり前で、自分から現実の世界で他人に願望を叶えさせにいけば、叶えてもらったとしても相手は苦しむことになります
その後、自分のせいで困ってしまうでしょう
だからこそ、最初に意思確認や、頭を下げてお願いすることは人を尊重する意味でもとても大切です
何を理由にしようが、自分の望みを強制的に叶えさせるなどあってはならないことです
口で言わずに罪悪感を煽ったり、そうしなくてはならないかのように思わせるなど悪質極まりない行いです
ハッキリと、「〇〇してください!お願いします!」と伝えなくてはなりません
情動で煽って人を動かし自分の欲を叶えるなど、正に悪魔の所業です
そのあってはならないことをした人は、自分自身が更に苦しむことになります
そして、そのまま相手を助けることなく見捨てた人は、その後更に苦しみます
特に願望を叶えさせた相手を悪者にして優越感に浸る人は、これから更なる苦が必ずやってきます
他人に願望を「叶えさせた」ならば、相手はその後苦しむのは当り前です
それは親子の間でも起きることです
親の「ご機嫌を取る」と言うのは子供の側からの話であって、実際には親が自分の願望を叶えさせ続けるから子供が苦しみ続けるのです
解放されたい子供は外に救いを求めますが、これが二の舞の始まりです
誰に苦しめられたとしても、他人に救いを求めて他の人がしてくれないことを当然のようにやらせてはなりません
何があっても人の意思を踏みにじっていいわけではありません
人を使い捨てて生きる人は、自分が助けて欲しい時は人に救いを求めます
しかし自分が楽になったら、自分のために苦しみを抱えた相手を救いません
今、自分さえ良ければいいからです
心の地獄に落ちている人は、「自分が責めた誰か」に何かをやらせて、楽になった過去があります
自分の気分を他人に何かさせることで解消したのです
今まで出会った人達を尊重して扱ってきたかどうかは、今の自分の心の世界に反映されています
人を使い捨てる人は自分さえ楽になれば、あれこれ理由をつけて人を見捨てても「いいこと」にしてしまいます
自分がそれをいいことにしてしまったので、自分に対して同じことをする人にはいつまで経っても
「わかってもらおう」
とするのです
自分に許したことは、人にも許さなくてはなりません
「私だってやられたんだ!」
そう言いながら、無関係な人に自分を助けさせよう、気分を良くさせてもらおうとした人は、自分に同じことをした人を受け入れ続けるしかなくなります
本当に開放されるためには、自分を支配し今の自分を窮地に陥れた誰かと同じことをせず、同じことをしたら自分が求め続けているように
「困らせた相手を救いに行く」
これしか方法はないのです
それだと自分が悪いことになってしまう!酷い目に遭ったのは自分なのに!
私は可哀想な目に遭ったから、救ってもらえて当然なのだ!
と思う人は、責任の求めどころ、つまり自分を救う人が「困らせた人ではないのはおかしい」とわかっていません
困っているならば、困らせた人に責任を取らせるしかありません
無関係な人は助けなくてはならない義務がありません
責任もありません
困っているところを無関係な人に助けてもらう
それどころか、ただの自分の願望を他人に叶えさせたならば、その責任は自分でとらなくてはなりません
幸せになるためには「願望を叶えるしかない」と思っている人がいますが
生きて幸せになるためには、困らないように生きる、未来を考えて生きるのが現実的なやり方です
ここは夢の世界ではないので、頭の中に思い描いた願望を現実を生きる他人に叶えさせたら他人は困るに決まっています
他人の願望を叶えてやって、それで相殺しようとする人もいますが、「人の願望を叶えるなど相手の幸せには関係ない」のです
相手に願望を叶えさせる、自分も願望を叶えてあげる
それが「お互い幸せになる方法」ではありません
願望など叶わないと諦めて、当たり前に「必要な協力」をしあいながら、自分のことは自分で考え、決め、他人に対しては「お願いする」
断られたら「諦める」
最初からそのように付き合わねばなりません
都合よく途中から部分的に「正しいこと」をやって、自分はやったという嘘も当然ですがまかり通りません
誰を騙しても誰を見捨てても、心の世界では必ず見張り番がいますから、それで心軽やかに安心して生きていけることなど決してありません
あなたが不幸にした人がいるならば、償いをしなくてはなりません
その時、心の世界の「絶対的に正しい私」はいなくなりますが、現実の世界で必要な償いをしていけば、必ず現実は味方になります
実在の人間の味方になって生きていけない人は、現実を敵に回して「想像しただけ」の話を鵜呑みにするような自分をよく見てもいない人に「都合のいいこと」だけ言ってもらい生きるしかないのです
この人生は本物です
生きてひとつくらい、どうなるかわからない未来に勇気を持って進まなくては、自分自身の道は切り開けません
人を蔑ろにする人は、自分が悪者にされる、悪口を言われることには物凄く敏感なのに、人のことは平気で悪者にしたり悪口を言ったりして喜んでいます
一緒にいる時には相手に好意的かのように見せていた人が、見えないところに行ったら相手をバカにして大喜びしているのです
人を見下して喜んでいるような人間が、人が犠牲を払ってしてくれたことに感謝もせずに生きていれば地獄に落ちて当然です
僕は最初の一回で、自分のために犠牲を払って付き合ってくれていた友達を助けるため現実に出ていきました
自分に都合のいい世界を続けようとしていたら、今も地獄を彷徨っていたでしょう
他人の犠牲は想像をしないとわかりません
自分がやってあげた分は想像などしなくても体験しているからわかりますが、他人に苦労をわかって欲しいと求めながら、他人が払った見えない犠牲は無視する
そんなことをしている人間が、誰と共にいようが「本当に美しい心ある関係」など作れるわけがないのです
なにせ、自分がどこから見ても「美しくない」のですから
成長しない人は、反省と後悔をしません
幸せになりたいならば、自分が苦しめている人がいないかを考えてみましょう
人を苦しめている人は、必ずすぐにこう思うでしょう
「そうだ!あいつは私を苦しめたのにそれがわかっていないから、地獄に落ちて当然だ!」
この態度で生きている人、反省ができない人がいつまで経っても地獄にいる人です