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沖縄尚学の優勝を見て、努力することの素晴らしさと感動~無料記事~

 沖縄尚学が優勝しましたね

 感動しました。高校野球には毎日感動をもらいました。

 沖縄尚学の優勝も嬉しかったですね。
 沖縄のことが色々思い出されましたが、沖縄の人たちの地元愛がよくわかりました。
 彼らはやはり琉球民族としての誇りを失っていないのだと、感動しました。

 僕もとても嬉しかったです。

 優勝した瞬間、選手たちが走ってきてマウンドの上で歓喜していました。

 それを見ていて、僕も過去の気分が蘇りました。

 やはり、只管自分の道を努力して進んでいくのが一番だ、と思いました。

 なんでこんな目に遭うんだろうと嘆いた時も、どうしてこんなひどい奴がいるんだろうと許せない気持ちになった時も、誰にも言わず、ただじっと耐えて耐えて、関係のない人たちにまで悪しきものを運ばないよう気を付けながら、納得できない窮地の中でも少しずつ少しずつ前に進む。

 一年や二年は毎日思い出しては怒りや憎しみが湧いてくる時もありました。

 それでも、決して口に出さない。堪える。

 今何も知らずに接している仲間たちのことを大事にして、少しずつ一人で進む道を作り出していく。

 他人に助けを乞う時は、人のせいにせずただ必要なことのみ話して力を借りる。

 許せないほど不誠実な人間がいても、そうでない人たちにより感謝して共に進む。

 言う事がコロコロ変わるやつ、裏切るやつ、気に入らないと手のひら返しで態度が変わるやつ。

 都合のいいことばかりで何を聞いても嘘しかつかないやつ。

 色んな人間がいます。

 それでも、陰口を叩いてそのままの今を続けない。

 妄想ストーカー女子の悪口も、僕は言わずに進みました。

 だから今彼女を知っている僕の周りの人たちも、彼女のことは決して悪くは思っていません。

 悪く思われたとしたらそれは僕の責任ですから、立場上嘘でも彼女という立場にいたので、相応の扱いをしていました。

 彼女が間違ったことをしていると思うからこそ、人には言わないのです。

 彼女は反対に、無理やり付き合いを強要しながらありもしない僕の悪口を友達に吹き込んでは僕を悪者に、自分を被害者にして争いを起こす人でした。誰を相手にしても似たようなことをして、いつもいつも「可哀想なお姫様」をやって遊んでいました。

 恋人を周りの人に悪く思わせる真似は、僕の中ではしてはいけないことです。

 仲間の陰口悪口を言い、目の前ではコソコソと平気な顔でいるという裏切りもダメです。

 もし僕が恋人の悪口を言っているのに、彼女の前ではまるで本当に好きかのように嘘をついていたら彼女はその時点で既に孤立させられています。

 僕によっていじめられているのです。何も知らない彼女を騙し、陰では悪口を言ってバカにする。

 自分の彼女にそんな扱いをしていたら、僕が大事にする恋人なんてどこにもいなくなります。

 僕の中ではそれは男が下がることはあっても、上がる行為ではありません。

 そんな真似はできないと思うからこそしませんが、妄想ストーカー女子は僕に酷いことをする理由をこう述べたことがあります。

 「ゆうきは絶対に人の悪口言わないから、何をしても他で私の悪口を言わないだろうし平気だと思った」

 彼女はいじめが好きでした。幼稚園の頃から友達をいじめていた、と自分で言っていましたが、出会った時にも女友達の一人を孤立させ、複数人でSNSを使いいじめをしていました。

 楽しいそうです。いじめは楽しい。みんなで一緒にいじめをするのが楽しいからやるのだとハッキリ言っていました。実際楽しそうにいじめをしていました。

 僕をいじめる仲間に娘を引き入れようとして、娘が嫌がって大きな声で「やだ!やりたくない!」と言った時もありました。

 彼女にとっていじめはいいことなのです。みんなで楽しむいいことなのです。

 頭がおかしいと思ったものですが、この彼女を庇う人達も病んだ人には沢山います。

 そして、相手がどうでも関係ないのです。
 
 彼女は今も人をいじめながら、バカにしながら、人の悪口を言いながら自分だけ被害者みたいな顔をしてお姫様扱いしてくれる人を待っていることでしょう。

 本当に悪口が酷い人でした。こんなに悪口を「男の前で」言う女がいるのかと驚きました。
 正直、男に少しでも好かれたかったら男の前で悪口は言わないと思います。

 「この女、性格悪いな」と思われても、見ず知らずの人を悪く言ったところで自分が良い人だとは思われません。

 彼女は僕に好かれたい人ではなく、「この人は私が好きだ」と勝手に決めつけていじめをしたいだけの人でした。

 他の妄想恋愛ストーカー女子もみな一様に勝手に僕が自分を好きだと決めつけて、結局はいじめがしたいだけの人たちでした。

 それでも、これだけ色々話していても彼女たちより遥かに酷い人がいました。

 こうした話も今はもう笑いながら話せるから話すのであって、それでも彼女たち個人を知る人たちには決して悪く思われないようにしています。

 それはあくまでも僕が接した彼女たちであって、他の人たちに嫌わせるような真似は不当です。

 それでは僕が悪口を広める側になりますから、彼女たちがいつどこで僕が知る人に出会っても決して噂話の偏見で見られることがないよう、人として最低限の配慮はしてきました。

 だからこそ、我慢してでもとにかくその時は堪えて進むのです。

 自分の口を憎しみや怒りで汚してはならないと思うからです。

 何年もかかることですが、それでも悔しい思いや辛い気持ちを抱えて少しずつ努力して進んでいけば、やがてはそんなことも考えなくなります。

 誰も知らないけれど、自分一人で思うのです。

 「あの時はあんなに辛い憎いと思ったものだが、努力して進んできて良かった」

 どれほど苦労して進んできたか、どれほど苦痛だったか、それは自分だけが知るところです。

 自分だけが知ることにして進んできたからこそ、他の関係ないものまで「悪い出来事」に巻き込むことなく、平穏無事に育てていけるのです。

 僕にいきなり無理難題を押し付けてきた人のために、そうでない人たちとの関係まで破壊したら僕の人生にとって損です。

 実際、実はもう思い出すこともないんです。

 仕事の上で書かねばならないと思うから、ネタとして出してはきます。

 しかし、彼女たちのことは仕事以外で思い出すことなどありません。

 思い出すのも意識してやることで、あくまでも仕組みとして人間性心理の例にするためであって、彼女たちの存在そのものを思い出すわけでもありません。

 すっかり忘れていきます。

 過去のことなんて、そのうち不要になります。経験として身についてしまえば、もう不要になるのです。

 記憶の中にいつまでも置いておけるのは、今の自分にも必要なものだけです。

 沖縄尚学の優勝シーンを目の当たりにして、感動と共に意欲が湧いてきました。

 真剣に自分の道を生きてこそ、感動はある、と改めて思いました。

 今を生きている。

 たった今の体験に本気で喜んだり悔しがったりする彼らは、たった今、本物なのだと強く感じました。

 そして、その瞬間を目の当たりにしながら、過去の自分自身の感動が蘇るのです。

 泣き言を言わず、愚癡をこぼさず、人を罵らず、ただ只管に進んできて良かった。

 やはりこの道でいいのだ、これこそが自分の進む道だと実感しました。

 高校球児たちのお陰で、僕もとても清々しい感動を体験することができました。

 彼等に心から感謝します。

 そして、乗り越え続けても結局残るのは「いい思い出」の方です。

 仲間たちとの感動が今も蘇ってきて、今の僕にも勇気を与えてくれるのです。

 愛する人がいつも言ってくれた励ましの言葉を思い出して、辛い気持ちも励ましていけるのです。

 やはり、人を大事にしていく生き方の方が、自分にとって正しいものなのだと確信しました。