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人間は必要な能力はちゃんと持っているから大丈夫 無料記事

 今更な話をしますが、人の気持ちがわかる能力とか、共同体感覚とか、仲間とか、そんなもの無くても生きていけますからね?

 家の中で虐待があったり、親に虐げられて育ったらそれは辛いですよね。

 でも別に、だからと言って僕のように人の気持ちを理解するとか、精神的に精進するとか、そんなことしなくても生きていけるんですよ。

 今、こうして皆さんも生きているでしょう。

 それぞれの「目的」に応じた能力を伸ばしてきただけなので、実際には「ダメな人」というのはいないと言ってもいいと思います。

 それぞれ目的が違うのですから、そのためには努力してきています。

 僕は珍しいパーソナリティだということで、自分のパーソナリティを外から研究者たちが見て特徴を挙げた内容を知りました。

 クラスの中で人気者だった、などとありましたが、僕はそんな自覚は全くありません。人気者になった覚えもありません。

 自分からいろんな子に声をかけて遊んでいただけで、別に僕がアイドルのように注目されてちやほやされたなんてことはありませんよ。

 そうしたことは、何か目立った能力などがあり、遠くから見てもわかる形で成果を挙げた人がしてもらえることでしょう。

 ですから、加藤諦三先生に連れて行かれたものの、彼こそちやほやされている人であり、僕みたいのは殆どの人にとって「目指す必要がない人間」です。

 特に参考になるところがあるのかどうかも怪しいものです。

 僕はただ自分の意思で子供の頃から死までを計算して、「絶対にこれだけは手に入れたいと思うもの」を選び、そのために試行錯誤して精進してきただけです。

 皆さんとは欲しいものが違うなと、悩んでいる人たちを見ていて思います。

 殆どの人は「支配」したいだけです。だから人の心を「操る」ための方法を知りたがっています。

 今のままの自分では手に入らない「環境」が欲しいので、人間を環境の一部として整備していくための支配力が欲しいだけです。

 妄想恋愛ストーカーの話など、本当にひどいものです。どう考えても恋愛ではないし、ときめきなんて一度もないですよ。あんなものが「恋愛」であったら世の中に恋愛なんてありませんよ。

 勇気も要らない、忍耐も要らない、見返りを期待した我慢があるだけ。

 誠実さも要らないし自制も要らない。寧ろ、自制は要らないです。

 感情的になって攻撃することで、相手の罪悪感や恐れを煽り支配するのですから。

 いつも自分の前では作り笑いでいいからニコニコしていればいいのです。

 それがかなりの割合の人の「目的」です。だから僕がやれることなんて、殆どの人は必要としていないんですよ。

 親子のことにしても、自分が親を支配したいだけです。

 自分の方が親に言うことを聞かせて、支配して「子ども側から見た理想の家族」にしたいだけです。

 自分には何もできないなんて自虐的になる必要もないです。

 自虐的になるのは恨んでいるからですが、そのために相手をやっつけるだけの攻撃力と支配力を欲しているのです。

 その手伝いはできませんが、アドバイスくらいならできると思います。

 支配の場合は相手が嫌がって逃げようとしますから、かなり強力な、相手に生きる望みを与えないくらいの支配力が必要だとは思いますよ。

 「もうこのまま、こうして生きているしかないんだ…」

 そんな絶望の中で仕方なく生きるくらいに追い込まなくては、人を支配して生きていきたい人の望む「これからもずっと一緒にいる」はできないでしょうね。

 かなりの、本当にかなりの割合の人の望む「心理的に健全になりたい的な動機」は、「他人に気に入られてちやほやされるため」です。

 そしてちやほやされたら、そのあとは「支配」です。

 自分を好きになったんだから、~してくれるよね?

 この支配の前段階として、「他人に好かれる」が必要なのです。

 平たく言うと、詐欺ですね。

 まあ、いいんじゃないでしょうか。そうしたいのだから。

すっごく我慢し続けてきた、と思う人へ 無料記事

 今回の話は、「こんな風になるでしょ」というお話

 「すっごく我慢し続けてきた」と思う人たちへ

 我慢して相手の言うことを聞いて、相手に「望みを叶えさせよう」としている人の我慢ではないです

 何を考えているのかわからない、でも攻撃的だったり威圧的だったり、立場が上だったり、とにかくそんな支配関係を簡単に作ってしまえる環境の中で「ずっと不安なまま言うことを聞いてきた」という人たちは似たような状況になるでしょう

 「何度でも話したくなる、何度話しても理解できない」

 僕は、自分の師である加藤諦三先生に、すっごく我慢して、実際には忍耐と言った方がいいでしょうけれど、とにかく「なんだかわからないまま」従っていたので、今でも驚きが終わらないなと自分でも思います

 ずーっと息を止めて生きてきたような感覚なので、助かってはいても

 「一体あれはなんだったんだろう」

 といつまでも驚いているような状態になるのだなと、体験して思います

 世の中はバラバラに、点々で存在しているわけではありません

 何か大きな力があれば、そこに集まるすべてがその力の意思の元に流れを作ります

 今ならばフジテレビの騒動がありますが、何かを頂点に作られていた流れがあり、その中で起きてきた様々なことが問題になっているわけです

 日本の悪しき習慣は「完全年功序列」だと思います

 僕の家もそうでした

 はっきりうちは完全連行序列だから、年長者に逆らってはならないと言われてきました

 たとえ間違っていても、理不尽であっても、年上がやることに年下は口を出してはいけないと教えられました

 基となったものは、恐らく武士の教育です

 それを悪用したものだと思います

 年長者が必ず正しいとされるのであれば、どんな人でも年さえ取れば好き放題に下を使っていいことになります

 老人が下を苦しめる支配者になるか、人を見守る統治者になるか、それだけで左右されることになり、全責任は「頂点に立つ老人にある」ということになります

心眼を開く、第三の眼とはなんなのか?

 心眼を開く、第三の眼とは一体なんなのか?

 このように「名前は知っているけれど実際なんなのか知らないこと」に遭遇すると、大抵の人は映画や漫画のことを思い出し「それは架空のもの」のように思います。

 これは「自分がなんでも知っていると勘違いしているから」です。

 心眼が開かない人です。

 僕も最近、驚くことがありました。

 学問で正解するような頭脳は優秀なのに、人としては難ありな人がいますよね。

 知能が発達していないのです。もう、はっきりそれはわかっていることなのですが、頭脳明晰で人として難ありな人は権力ある人たちにこそ多いので、認めたくない、または「できない人には教えてあげるね」という既に私はできてます顔をする人がとても多いのです。

 残念ながら、僕の精神分析の師もそうです。

 度々、いきなり怒鳴られました。でも怒鳴りつけた後はケロッとして元に戻るのです。

 彼にとっては、下の者を怒鳴りつけるなんてことは咳ばらいをしたのと同じくらいなんでもないことなんでしょうね。そこは完全にカットして次に行きますからね。

 たぶん、本人の記憶の中にも「自分がしたこと」として記憶されていないはずです。

 僕としては、恐らく彼の洗脳は本人が亡くなったら少しずつ解け始めるものだろうと思っています。もともと辻褄が合わないところがありますからね。

 ただ、「矛盾していることにそもそも気づいてすらいない人たち」が多いのだと気づきました。

 今起きているのに?!

 しかし、「偉い先生だから、叱られたら自分が悪いんだ」なんて思うのです。

 最近紹介した「心の知能指数」と呼ばれるEQですが、僕は元々非常にこれが高いと思われます。

 強い怒りをぶつけたくなる衝動を抑えたのは、五歳の頃が初めてです。自分の意思で、意識して制御したのでよく覚えています。

 理由は「目の前にいたのは友達だから」です。しかも友達が僕に意地悪をして攻撃してきたわけではないのです。八つ当たりです。

 当たり前ではないでしょうか。友達が戦いを挑んできたわけでもないのに、僕はその時「怖い思いをした」ので、「助けてくれなかった周りの子たち」に怒りを感じたのです。「助けて、助けて!」と叫んでいたからです。傍観していた周りの子たちに怒りを感じたのです。

 自分勝手なことです。助けてと言ったら助けてくれるものだという決めつけが怒りを生んでいるのです。僕が今怖い目に遭っている(具体的には氾濫した川に落ちて溺れていた)としても、僕が怖いのだから友達も助けるなんて怖くてできるわけがありません。まだ五歳です。

 そこで、「大丈夫?」と駆け寄ってきた友達に怒りをぶつけたくなったのです。強い怒りをぶつけたくなる自分を制し、「この子のせいじゃない、この子が悪いわけではない」と自分に言い聞かせ、しかしとてつもなく恐ろしさを感じていたので身体はガタガタ震えながら「だいじょうぶ」と言いました。

 そこで明るく言えるほどの精神力はまだありませんでしたが、今なら安心させるためにそのくらいできるかもしれません。

 僕は元々こうなので、それは「人間にとって自然なことだ」と思っていました。しかし、IQと同じでEQも生まれつきの能力値が高い人もいるようです。違うのはEQは後天的に向上させられる能力であるという点です。

 名前が違うので別の能力だとつい認識したくなりますが、これは同じことです。賢さとは全体で見るものであり、計算が速ければ「賢い」わけではないのです。計算が速い人は算術が得意なだけです。

 世間一般に「勉強」ができることが「賢さだ」という概念が広まってしまっただけで、最初から賢さとは勉強ができることではありません。

 心眼についても、妄想のファンタジーではありません。脳の仕組みを知れば納得する理由があります。

頭がいい人、脳の活性化に関する記事の紹介

 頭がいい人、脳の活性化に関する記事を紹介します

 高齢者専門の精神科医、和田先生のお話
 とても興味深い内容でした

 ちなみに、僕は「頭がいい人」です
 IQもEQも高いのは間違いありません

 後ろ向きも賢くなれば治るので、なんとか脳が活性化するようにと僕は考えているのですが、なかなかその辺は理解してもらえないのが残念なところです

 どうしても「私のストーリー」を生きている人は、現実より「私のストーリー展開」を重視して後ろ向きに生きていきます

 悲劇のストーリーなんて続けるより、賢くなって違う人生を始めた方が建設的だと思います

 学歴や知能については多くの方は固定概念が強く、説明が難しいなと思いますが「本当は頭がいい人」の特徴について書かれている記事も紹介します

 脳の活性化については、和田先生が書いている通りで「いつもと違ったこと」をやると効果的です

 僕が色々と遊びのようなことをしていますが、あれもこれも、全て脳の活性化につながります

 皆さんができるだけ「知らなそうなもの」を選んでいます

 「新しいもの、知らないものに触れよう」ということで、年始にも青森に江戸時代の品を持って行きました

 何かの成績になって数字で結果が欲しい人は、見せびらかしたい人です

 しかし「見せびらかす必要がない人」になるために僕は色々と体験を用意しています

 マニュアル化されていて、既に誰かが、みんながやっていること、脳が衰えまくる後ろ向きな人は大好きです

 本当に頭がいい人は、「人が知らないこと」に興味を持ちます

 「みんな知ってる」に安心もしません

 僕がちょくちょく話す「わりと簡単でどうでも良さそうな日常の話」は僕自身が実践していることです

 実際にそれで脳が活性化するので皆さんにも是非実践してほしいのですが、伝わっているかは謎です

 例えば「玄関に置いてあるものを、季節や気分によって取り換えよう」

 そんな話を何度かしてきました

 殆どの人は「まあ気分が変わるかもね」と思うようですが、「自分の気持ちを癒す」ということに注目してしまうようです

 僕自身は、常日頃脳が活性化するように工夫しています

 これはもう説明できないことなのですが、僕は体感で脳が活性化していないと気づくので、「これはまずい」と思うと意識して新しい活動を始めます

 前向きに生きること、新しい発想をすることなど、頭が良い人が備えている条件を身に着けるために、是非実践してみて欲しいですね

 最近はオンラインでもワークショップを行いますが、自分自身の能力を底上げすることを意識して、「新しいもの」に参加してみてください

和田秀樹が解説「脳が衰える習慣・活性化する習慣」
試練が訪れやすい高齢者こそ楽天主義を徹底https://toyokeizai.net/articles/-/835739

和田秀樹「学歴ではない本当に頭がよい人の特徴」
日本人は頭のよさを固定的なものだと思っている
https://toyokeizai.net/articles/-/835748

本当は頭がいい人の7つの特徴|
「変わってる」と言われやすい理由と、7つの習慣

↓は僕が共感した記事です。すごくよくわかる、と思いました。
バカっぽいのに頭がいい人は戦略的?実は頭がいい人の特徴や理由を解説

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