逆に僕が聞きたい話。
ここ、どこだと思ってます?
僕はここが現実の世界だと思っています。
僕はただの大衆の一人で、僕を特別な存在として見ているのは親兄弟くらい。ところがその親兄弟は僕を見捨ててくる人で、特に両親は幼い頃に僕を捨てていきました。
僕は生きていかねばならないし、いつか死にます。
それまでどう生きていけばいいのか、最初から仲間がいないので、誰かと協力していかねばなりません。
その他大勢の中から多少なりとも何かしてもらえる立場になるには、僕も何かしなくてはなりません。
同じ現実の問題を解決するために協力していかねばなりませんから、仲間は大切です。自分が信用に足る人間であることは勿論、何かあっても他人は僕を助ける義務はありませんから、僕自身が一番僕の未来を考え、計画していかねばなりません。
自分一人が進む道は本当に僕一人で、最初からいるはずの家族は支えてくれませんから自分一人で試行錯誤していくしかありません。一緒に僕の身になって考えてくれる仲間は、滅多に現れない宝です。
自分の身を案じてくれる親がいなかった僕にとっては、自分の身を案じてくれているだけでもありがたいことなのです。
これからも、何があっても生き抜いていかねばなりません。
信頼は一朝一夕で作られるものではありませんから、人付き合いも大事です。なあなあで仲間みたいな顔をしたいわけではなく、現実を生きる仲間が必要です。
特別な関係、ではなく、それ以外の関係を大事にして、小さなことができてから時々、たまたま、その時が来たら誰かに出会い真の友情や愛情を育てることもあります。
それも現実の活動があればこそ。生きていればこそです。
一人で生きるのは怖いと子供の頃から思っていますが、それでも生きていかねばならないのですから、自分の頭で考えて決めていくしかありません。
で
「誰か認めてくれる人が現れたら」という人が一体どこだと思って生きているのかがわかりません。
僕たちは本物の命を与えられ、今生を生きています。
過去を嘆いてもないものはないし、準備してこなかったもの、身に着けてこなかったものは使えません。
ちなみに、僕は「身に着けるもの」の中でも「目に見えない力」を養ってもらうために活動しています。
人と仲良くやっていけるのは、想像力があるからです。
しかし想像力を働かせるためには、まず自分が今「他人と同じ現実の世界」を生きている必要があります。
自分がどこに生きているのか、それが重要です。
ここがどこだと思っているのか?
これまで皆さん何十年も生きていれば、病気やけがをしたことがあるでしょう。いつかは尽きる命で生きています。
死について僕は真剣に想像しますが、皆さんも死にます。
いつかは死ぬなら、計画は死を最後にしたものになります。
大まかな流れを決めるにしても、たどり着くところがわからないと決められません。
「僕はいつか死ぬんだ」と自覚したのは十歳の頃です。一人で生きていくのが怖くて怖くて、家に帰っても泣きつける母もいないので本当に不安でなりませんでした。
「じゃあ死ぬか」と考えましたが、それも怖い。
「生まれたからには生きるしかない」と覚悟を決めましたが、当たり前のことなのに「いつか死ぬ」が僕にとっては最も恐ろしいことでしたし、今もそれは変わりません。
「誰も助けてはくれないんだ、僕を守る義務なんて親にしかないんだから」
そう思ったのは五歳の頃です。なんとかして生きていかねばならないのに、右も左もわからない。呆然としたものです。そのころは話し相手もいないので、よくお釈迦様に話しかけたり木に話しかけたりしていました。
神経症の人は、僕が五歳の頃に自覚した「他人は誰も守ってくれない」をまず自覚した方がいいのではないでしょうか。
誰が持っている力でも物でも、何もかも自分のものではありません。
使うために持っているものですし、どうであっても自分のものではないのであてにはできません。
自分に必要なものは、自分で準備するのが当然なのです。
他人様のお力をお借りした時には、与えていただいた恩を忘れないようにしなければ、もらうだけもらって泥棒するような人間になってしまいます。
そして、「いつか死ぬ」ということ。
それを自覚しなくてはならない人もいるのではないでしょうか。
僕たちが生きているこの世界は現実です。
夢みたいなことは一切起きませんが、夢みたいなことを思わせるために作られたものなら沢山あります。
より多くの人を意のままに使いたいならば、現実ではないものを現実だと思わせなくてはならないからです。
カルト教団が破綻すると、目が覚める人がいます。
その人たちは元々何かおかしいとどこかで思っていた人たちです。絶望しても立ち直れる人もいます。
しかし、「そんなわけがない」と言い張る人もいます。
他にすがるところがないからそう思い込もうとするだけです。
アメリカのニュース記事に、今のトランプ大統領について、そのような心理状態で支持する人もかなりいるだろうという分析が載っていました。
「どうすればいいのかわからない」
その不安に直面したくないから、誰かがなんとかしてくれると思い込む。思い込むことで不安を避ける。
しかし避けたのは現実の問題ではなく「気分」の方ですから、想像するときは常に「最悪」を想定しなくてはなりません。
僕の人生は最初から最悪でした。だからそれ以上はない、と常に思っています。親にも見捨てられ、他人は知らない人ばかり。
最初からそうだったので、親も兄弟も「自分を見捨ててくる」を前提に生きていました。
その時が来たら、僕自身に仲間もいない、人とやっていく勇気もない、引きこもっているだけ、では困るのです。
すべては先にわかっていることです。
親の死も、自分の死も。
だから計画的に生きていく必要があるのです。
僕は十歳の頃に計画したことが、四十になってやっと成功しました。
親子仲良くやっています。
それでも、現実の困難は次々やってきますから、誰もが立ち向かわねばならない現実の困難とは向き合っていかねばなりません。
本当に次々ですから、休んでいる暇も嘆いている暇もありません。
今、こうしている時間にも「考えているやつ」がいます。
考えて行動している奴がいます。それは僕たちの身近にいる誰かではなく、もっと大きな力を持つ人たちです。
その力に巻き込まれただ翻弄されないように、信頼できる仲間たちと力を合わせて戦っていかねばならないのです。
で
皆さんは今まで、どんな世界にいると思って生きて来たでしょうか。
もし「自分だけ死なない、幸せになって終わる世界」であれば、そんな世界は早いとこ破壊して夢を見るのをやめないと、現実がどうにもならなくなって泣いても喚いても誰も助けてくれない、という事態になります。
皆さん自身が自分の人生の主人公ですから、自分のためにはなりふり構わず生きるために生きていかねばならないのです。
自分自身の不安や恐怖に打ち勝ち、自分だけが知る人生の中で泣きながらでも勇敢に進んだ時、自分こそがこの人生の主人公である、と実感できるでしょう。