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毒親育ちだから幸せになれない ~無料記事~

 私は毒親育ちだから幸せになれるわけがない

 そんな結論をよく聞く

 これは「結論」にしかならない

 他人がそれを否定しても、「でも」と反論が始まる

 つまり本人が出した結論は、本人がそうなるように生きると決定したことなので何も変わらない

 ここで議論する人たちは元が後ろ向きだ

 それ以前の問題で、そもそも生きてもみないうちにどうなるかはまだ決まっていない、というのが現実だ

 しかし、人の話を聞いては「じゃあ私もだ」なんて自己暗示をかけている人は、最初からどちらにせよ決めることなどできない話は聞かないほうがいい

 まだ生きてもいないうちに結論を出せば、「やっぱりそうだ」と確認するために生きるだけの人生になる

 そのような結論が指している「しあわせ」とは、「他人がどうするか」の話であり自分はそこに存在していない

 存在していないのに他人がどうするかの結論を出すのだから、今からやることは「他人が結論通りのことをしてくれるように仕向ける、思い込む、決めつける」しかない

 自分が決められるのは「自分の行動まで」であり、他人がどうするかは自分に出せる結論ではない

 自分の行動範囲を超え、決めることができないことまで決めようとしているが、実際には決められない

 だから「決めつける」しかなくなるのだ

 既に他人がどうするかまで知っているならば、やる気もなくなるし、何をしても「無駄」という気になってくるだろう

 そこで「違う結果を出しそうな他人」を求めるわけだが、それも自分は関係ない話だ

 他人のすることなのだから

 後ろ向きな人の思考は、根本から現実の仕組みを無視している

 現実には不可能なことをやろうとしているから、どうにもならない

 努力しても無駄なのは「私が~だから」ではなく、論理的に考えても不可能なことばかり繰り返しているからだ

 可能なことを実行すれば、結果は出せる

 可能なことは「自分の行動を変える、自分の意識を変える」など、常に自分に操れる範囲でしかない

 他人を自分の手足のように使うことは無理に決まっているのだから、望ましいことをさせることもできないが、望ましくないこともさせることはできない

 本人は自分でも言っていることがおかしいと気づかないのだが、だいぶ摩訶不思議なことを気分だけそれっぽく言っている人はたくさんいる

 自分の気分で天地を創造できるわけではないのだから、自然の仕組みを変えようとする無駄な悪あがきとも言える

 少なくとも、ネガティブ思考で結論を出しまくっている人の言葉ばかり耳にしていれば、段々と「そうでしかない」ような気がしてくるだろう

 それは「~だから大丈夫」の一般的に良しとされることの強要にも見られる

 その場合は「だからいつか幸せになれる」の結論に至るのだが、それもわからない

 その場合も「自分以外の何かが望ましく変わってくれること」を期待しているからだ

 今を生きる場合は、常に「私は~できた」で完結する

 先に他人がどうするかの結果を決めて、そして何を言われても反論している人

 これは仏教で言うところの「苦と悩みが多い世界に生きている人」でもある

 自然の法則的に間違っている思考を正し、自然の流れに合わせて行動すれば解決していく問題だ

 詰まるところ「知能が上がる」ことなので賢くなったほうがいいと僕は勧めているが、今の自分の考えは間違っていない、自分は自然の摂理や法則を正しく理解した元に生きている、と一切疑わずに自分の完璧さを当たり前のように信じている人が多い

 僕自身も、常に「今の思考はどこかおかしくなっていないか」と確認している

 それを一切することなく、最初から自分自身が神のように何もかもの法則を正しく理解した思考で考えている、と自信満々で生きているのが悩んで苦しんでいる人たちだ

 自分がこれから苦しみたくない、と思うならば、まず自分を疑って確認することが最優先だと思うが自分は一切の間違いがないと思い込んでいる人は他人の間違いを探すことしかしない

 先のことは因果関係を理解して、よく考えなくては予測すらできない

 思い付きや思い込みで現実が生まれてくるわけではないから、いちいち「おかしい」と言い出す羽目になる

 しかしその際も「私の思考には一切の間違いはなく、現実的で道理が通った思考で常に生きている」と自分のことだけは信じて疑わないのだ

 本当に自分がわかっていない人は、自分自身を疑わない

 自分が正しいと思っている結論ではなく、自分の考え方がおかしいのではないか?と疑わない

 自分が当たり前だと思っていることは、本当に確実に現実に起きることなのか?と疑わない

 「現実に起きていないぞ?」と新しい事実を体験した時に立ち止まって考えない

 ただ、嘆いたり人を責めたりして突き進んでいくだけなのだ

 しかし、こうして親に捨てられた毒親育ちの僕が日々不満なく生きているのだから、「毒親育ちだからしあわせになれない」は間違いであると断言できる

 僕も普段から、ネガティブ思考になることは取り込まないように気を付けている

 できるだけ「今を生きる人」を眺めながら、自然を失わないように俗世間にどっぷりつからないよう注意して生きている

 頭の中だけで結論を出して、「これこれだから絶対に大丈夫」と他人の行動に期待している人は、いつもいつも嘆いている

 事実起きてることを確認しなくては、起きたことすらわからない

 しかし「ねえねえ、あなたってこうなの?」と人に聞く

 自分の中で結論を出さないのだ

 人の言うなりになって生きている人は「自分が不自由を強いられている」かのように思っているが、そんなことはない

 いちいち他人に結論を出してもらおうとしているだけだ

 誰かに話して結論を出してもらう

 他人の頭脳と判断をあてにして、自分で考えて結論を出さないのだ

 自分で出す結論以外に自信の持てるものなどない

 「誰誰が言うから間違いない」と思い込むだけなのだ

 間違いない、と確信をもって断言はできないのだ

 そんな考えで生きていれば、これ以上ないくらいの権威主義になり大きな力に縋り付いて信者のようになっていくのは当たり前だ

 「自分」という存在を最初から放棄した人は、どうしてもそうなる

 そして不安の中を生きていくのだ

 迷い続け、苦しみ続け、それでも「自分をあてにはしない」

 良い言い方をするならば、「自然に抗い神に挑戦する人生」と言えるだろう

 「毒親育ちだからしあわせになれるわけはない」と断言するその自信で、神に対抗しているのだから

 一度口に出してしまったら、その通りにするしかない

 自分が神になるためには「しあわせにならない」ことで「私は正しかった」と証明できるのだから

 「ほら、言ったとおりになった!」

 だから私は神に勝ったのだ

 勿論、違う人生も選ぶことはできるのだが

 神になることを選ぶか、ただの人として生きるのか、それが悩ましいところなのだろう