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親子仲良く、家族は力を合わせて ~無料記事~

 いろんなことを教えてきましたが、明確にしなくてはならないことがあると気づき、ここで伝えたいと思います。

 世に悩んでいる人は多くいますが、僕が目的としているゴールは

「親子仲良く、家族は力を合わせて」

 このような生き方をしていくことです。

 毒親育ちだと自称する人は、殆どが親をやっつけたいだけです。

 親に憎しみをぶつけて親が改心してくれて、そして優しい親に変わって、という現実に経緯としてあり得ないことを考えている場合がほとんどです。

 人間ですからそんなことは起きません。

 僕の先生である加藤諦三先生も、酷い親の元に育った人を被害者として位置付けています。そして「冷たい人」とは関わらない、「優しい人」とだけ生きていくという閉鎖的な方向性で「幸せ」を追求していますが、僕はまるっきり正反対です。

 部分部分、方向が違っていても言うことが似ていると思います。

 それぞれがどんな目的に向かっていても、自分が正しいと思っていることは同じなのです。

 ただ、「でも親が酷い人だからしょうがない」と言い出したら、実際に正しいと思うことは実践しなくなります。

 僕の場合は慈悲を持って憎しみを制する方向です。

 なんとかして自分の思い通りにしようとするのが人を苦しめている人ですが、自分がそのような生き方をした場合、身近な人を苦しめるだけなので僕が目指している「家族は力を合わせて仲良く」には決してなれません。

 加藤諦三先生が言う「優しい子がいじめられた」の話を僕は勘違いして聞いていたので、自分と似たような人たちなのだろうと思っていました。

 つまり、慈悲を生み出したのだろうということです。

 「親にもここまでしなくてはならない理由があったのだ」と考える。

 自分がどんなに辛く当たられても、それでも親を信じる。

 それが僕の思っている「優しい子」です。

 皆さんが辛く苦しい時につい八つ当たりをしても、望ましくないことをしたとわかっていても、その時の理由を分かってほしい、と思うことでしょう。自分には自分の理由が常にあるので、表面の言動だけで判断してほしくない、自分の気持ちの方を分かってほしい、と他人に対しては望むでしょうし、それが優しさだと考えているのは皆さん同じです。

 しかし、自分のことは「表面上の行動だけで判断してほしい」のです。

 それは矛盾しています。だから自分中心の世界を脱せないのです。

 親に対して子は絶大な期待をします。はっきり言って、人間には不可能な期待を子供は親に対してしているものです。叶えることは無理です。

 親はなんでもできる、正しい神様のような存在だ、と人間は無自覚に当たり前のように思っています。

 それは誰もが同じです。期待が大きいので必ずがっかりします。

 どんなに家族仲良く生きている家の子でも、どこかでがっかりした経験があります。そして親を馬鹿にします。期待しているからです。

 しかし自分が生きてみれば「他人の期待通りの理想の人」になど自分自身もなれないのです。そして「人間にはできないのだ」と受け入れていくのです。

 僕はどんな仕打ちを親に受けた人であっても、命をもらっているのだから親を恨むことなく生きる道を進んだ方がいいと思っています。

 方向性が違うやろうとする行動も変わってきます。

 僕は加藤諦三先生の勧めに従い「自分のことを書く」をしてきましたが、「そんなことしたら僕がまた人を嫌いになっていくのに、なぜなのだろうか」と思っていました。

 それは人間が嫌いになっていく方法だと、やめて変わった僕は知っているからです。

 彼はそれでいつか幸せになると信じているし、みんなのためにやっていると信じていました。

 しかしそれでは親子の争いだけで人生が終わります。時間が止まってしまいます。

 過去の不幸は未来を決めるものではありません。

 過去の体験から生まれた自分が、これからどう生きるかで未来は変わります。

 未来は先に決められますから、その通りに生きればいいのです。

 僕は「親に仕返しをして勝利し、人を支配するゴール」ではなく、今は憎しみを抱えている親でもいつか心から感謝できるよう、心の中にいる家族が憎い家族ではなく、慈悲ある家族になるゴールを目指す方向性で教えています。

 恨みを晴らしたり、人を思い通りにしたり、それは教えるところが沢山あります。被害者として生きる道を守ってくれる人、団体も沢山あります。

 なので、僕のところにいると時間が無駄になるでしょう。

 「親を悪者にして自分が正義になったら、生涯親子関係は良くならない」

 これは実行前にわかることですが、それでは諦めがつかないから、なんとか人の親子として終わりたいという人は僕のところで学ぶ意味があると思います。

 生きてしまったらおしまいなので、先によく将来のことを真剣に想像して結論を出した方がいいでしょう。

 僕も恰好をつけていた子供の頃は、「酷い親の元に生まれて不幸」なんて気取っていましたが、実際は強がっているだけで母に辛く当たられることがとても悲しかったものです。

 ただ「お母さんなんでかわいがってくれないの?やさしくしてくれないの?」とメソメソしているのは恰好が悪いので、強がって不幸な子供として気取っていただけです。

 世の中を馬鹿にして遠くに見ているキャラを演じていれば、誰も気づいていなくても自分は特別な主人公という位置付けで冷めた目で人を見下していられたからです。

 しかし本当の僕はそんなに気取っていられる人間ではなく、心の中ではやっと再会した母に大層いろいろ期待していましたから、母にかわいがってもらえないことで泣きたい気持ちでした。

 中身は本当に幼稚園児と同じでしたから、外に出て気取っていても、自分をひけらかしたり、人に尊敬されたがったり、家の中で満足にしてもらえなかった「幼児の頃の夢」を叶えようと必死になりました。

 そのせいで、ろくに仲の良い友達もできないという体たらくでした。

 「お母さんはなんで頑張っても頑張っても優しくしてくれないんだろう」

 とメソメソしていましたが、恨みだしたら自分が母の子ではなくなります。母と敵になるのは母の子ではありません。

 体は誰でも誰かの子ですが、心は誰の子にもなりません。

 僕は「心のつながり」が欲しかったので、母の子として生きることにしました。母の味方として考えれば、「きっと何かあったんだ」と思えます。

 僕が母の味方として生きる限り、家族は敵同士になりません。

 そのような道を選び、少しずつ「万が一僕が母を恨んだ場合」とは違う方向に進み、母に感謝し母も僕に詫びて楽になる、という結果に至りました。

 ちなみに、母を恨んで一族の敵となった姉は、今でもいつもいつも怒ってばかり、人を馬鹿にしてばかりです。

 兄弟であってもそれぞれが違う道を選んで進むことができます。

 家族は家族の人数分存在しているので、それぞれがどんな家族でありたいかにより違うものとなっていくでしょう。

 僕の目指すところは、「家族が仲良く仲間として生きていけるゴール」です。

 本当にありきたりなただの仲良し家族として生きて死んでいく。

 それだけの簡単なことですが、その簡単なことも努力しなくては叶わないことです。

 皆さん無自覚ですが、「そんなことは努力すれば叶うのが当然だ」と思っていることは、殆どの人がやろうともしません。

 他人に尊敬されたい人は、今の自分が「そんなことできるわけない」と思っているものを手に入れようとします。だから手に入らないのです。

 「努力すれば手に入って当然、普通のこと」

 そう思っているのに持ってもいないものを、努力して手に入れて、まずは「当たり前だと思っている家族」を作っていく方向で、そのために乗り越えるべき困難を乗り越えていく方法を僕は教えていきます。

 僕は仲間同士の争いに加担する気はないので、それだけは皆さん知っておいてください。

 相手が変わらなくても、自分は仲間と争わない姿勢を貫いていくために、怒りや憎しみも乗り越えていきたいと思います。

 社会の「すごいもの」なんてろくに手に入るわけがないのに、なんでもない庶民のくせに「仲良し家族」ですらない。

 そんな惨めなことはないと僕は思っています。

 「仲良し家族」は自分次第で誰もが手に入れられるものだからです。

 そこで「あんな親ではしょうがない!」と恨んでいる人は、自分こそが「家族を破壊する人間だ」と自覚していません。

 慈悲の心を生み出せる人間が現れれば、どんな家族であっても「人の子」として記憶に残していけるでしょう。

 もし、僕の子供時代と同じように「本当はかわいがってもらえなくて泣きたいくらい悲しい」のに、カッコつけて平気ヅラで生き続けている人がいたら、本当に勿体ないことだと思います。

 偉そうな態度で生きていたら、欲しいものは手に入りません。

 今後どんなに頑張っても、傷ついて泣きたい自分を抑えて無視すれば望んだものは手に入りません。

 だから、死ぬまで何十年もあるのに勿体ないなと思うのです。

 可能なものくらい、手に入れた方が死ぬまでに満足できるので良いと僕は思っています。

 そしてご先祖様に感謝するようになれば、自分がなんでもないただの人でも十分だと思えるようになるでしょう。

 沢山の人が生まれて死んでいきます。

 その中でひとりひとりが身近な人くらいにしか知られることのない人生を全うします。

 名もなき人の一生の苦労を何代も重ね、今の自分があるのです。

 代々の苦労を背負って生きてるのですから、自分の命には沢山のご先祖様たちの人生の責任があるのです。

 名も知られることなく消えていったご先祖様のことを、繋いだ命をもらっている自分くらいは大事にしてあげた方がいいと僕は思っています。

 それができないのに自分の人生を他所様に大事にしろと求めるなど、寝言でしかありませんから。