これは人格なんて問題ではなく、真理と言ってもいいだろう。
騙されて生きる人には特徴がある。
・本気になったことがない
・自分は特別な存在だという設定で生きている
この二つを備えている。
騙されて生きる人は、騙されていることに気づいていない。
勿論騙されているのだから、自分では何もおかしくないと思っている。
そして騙され続ける。
たどり着かないゴールを目指しながら走り、向こうからやってくる幸せを待ち続ける。
これでもない、あれでもない、と出会うものを捨てて生きる。
そして妄想の世界にしがみつく。
まず、本気になったことがない、という点について何が問題なのかだが、本気になったことがないということは、他人が本気かそうでないかを「見分けられない」ということになる。
本気になった時、つまり自分の中で本気とそうでない時の違いを体験して、初めてその区別は可能になる。
だから本気になったことがない人は、他人が本気で言っていることと冗談で言っていることの区別もできない。
他人が本気かどうかは、自分で勝手に作ってしまう。
「そう思える」
それだけで世界を創造してしまうのだ。神のような存在だ。
勿論、自分に都合がいいことが起きているといかに決めつけたところで、妄想は現実にはならない。
事実、本気の人とそうでない人がいる。
だが当然「自分に都合がいいこと」を勝手に作り出したら、嘘をついている人も本気で言っていることになってしまう。
実際に起きてることは変わらないのだから、起きていることを「間違って判別する」ということは自分の未来に危険しか生み出さない。
それでも気分で起きていることを解釈して、自分の未来を暗闇に変えていく。
もし、本気で言われたことを嘘だと判定してしまえば、逆に嘘をついている人を誠実な人にしなくてはならない。
「都合のいい部分だけ本当のことにする」なんてことはできない。
人は本人自身が本気で生きているか、適当に生きているか、どちらかしかない。
適当に生きている人は適当に生きている自覚すらない。
自分が本気になったことがなければ、他人の本気もわからない。
「言ってるだけの人」と、「本気で言っている人」の違いがわからないのだ。
だから「まだ本気出してないだけ」の人は、確実に騙されていると言える。
そして自分を特別な存在だという設定で生きている人。
この場合は、当然自分以外にも特別な存在を生み出さなくてはならなくなる。
理想の存在だ。
だがそんなものはいるわけがない。いるわけがないので、身近で接する人たちはみな理想的ではない存在として近しくなればなるほど貶さなくてはならない。
現実に近しくなる人たちとは悉く破綻するしかない。
代わりに、遠くにいて直に接することができない人には理想の人が存在している。
知っているわけがないのに、表面だけ見ていれば理想的に思える人のことを「本当に理想的な人」と断定し、事実そうであるということにして生きていく。
勿論、近しい人たちとの関係が破綻するのだから、自分が実際に生きている人生では心通う関係などあるわけがない。
自分を特別な存在として生きるのだから、それなりの代償を負わなくてはならない。
それが「現実の自分の体験においては、重要な関係がすべて破綻する」という結果だ。
自分のことは、意識して作った部分や嘘で言っていることを「本当の私」としてキャラクター化する。
それと同時に生み出し続けるのが理想の存在だ。
勿論、自分だって親しい関係になればボロが出る。
だから互いに遠い存在のままで運命を感じる関係こそ「最高の関係」になる。
アイドルとファンの関係のようなものだ。
それが最高の関係となり、その関係を維持することで理想的な自分を保つ。
すべては、自分が特別な存在として成り立つために必要なことだ。
このように、道理で考えれば自分が獲得する代わりに捨てなくてはならないものは見えてくる。
そして遠くにいる存在のことなど実際にはわかるわけがないのだから、表面の見せかけを「本物だ」と思い続ける限り「騙されている」と言えるのだ。
メディアを鵜呑みにする人は、「メディアの裏側」と言っていればそれが裏側なんだと考える。
真実など「自分が知ることなどできない」という現実が理解できないのだ。
芸能人は商売でキャラクターを作っているのが当然の職業だ。
だから外側に見せているものは作っているキャラであって普通なのだ。
それでも、ファンを獲得するのが仕事なのだから、本人たちが勝手にやるわけではなくてもバックストーリーや設定は作られている。
夢を見せてもらえればそれでいいのがファンなのだから、別にアイドルが悪いわけではない。
そして自分を特別な存在だと思っている人は、特別な存在らしい解釈しかできない。
つまり、この世の主人公のような図々しい解釈をする。
「みんなが私に求めてばかり」
これが超がつくナルシシストの悩みだ。
みんなが自分に何かをしてほしがっている、という解釈しかできなくなる。
「みんなは私に理想の人になってほしいんだよね?」
これが当たり前だと思っている。
「一体私にみんな何を求めているの?!」
そんな風に嘆く。まず、普通の人間だと思っている人は死ぬまで言わないセリフだ。
僕もそんなこと恥ずかしくて言えない。相当自意識過剰でないと言えない。
私に、ではなく「何をしてほしいのか」は考えるが、「誰でもいい」と考えるのが普通だろう。
何かをしてほしい人の場合は、目的が「何か」の方なのだから、できれば誰でもいいのだ。
しかし特別な存在のつもりで生きている人にとっての「みんなの」理想の人は私、それしかない。
みんなに求められている主人公、みんなの中心。特別な存在、それが私。
だと思って生きているから、解釈が全部間違っていて、他人は何を言っても「わかってもらえない」ので腹立たしくなったりがっかりしたり、とにかく他人の期待には一切応えない人間になる。
他人との協力もできない。
神経症と呼ばれる人は、現実に接する他人を排除して生きながら、遠くにいる神経症者を守る役割をしている。
互いに「表面だけ」を見ることにより、互いを「特別な存在」として成り立たせる。
つまり、本当の家族や恋人、友人関係を犠牲にする道を選んだ人たちなのだ。
彼らは「夢を守るため」に生きている。
だから騙されて生きているというよりは、自分で選んでいるだけなのだ。
特別な存在だという設定を大人になっても維持できていることはすごいと思う。
特別な存在だという事実を「いつ知ったのか」を考えてみれば、先に結果を体験していないとおかしい。
最初は驚くだろう。ただの人間の子なのだから。
周りからの特別な扱いがあって、初めて「自分は特別なんだ」と思えるものだ。
例えば王族に生まれたなど本当に現実に「特別な存在」として生まれてはじめて「自分は特別なんだ」と思える。
それでも、実際には他国にも王族はいるから、王族に生まれれば似たような立場の人たちとの接点ばかりの人生になるから、「自分だけが」とは思えなくなる。
「自分だけが」ということは、もう「人間ではない」という結論に至るしかない設定なのだ。
「自分だけ」なのだから、他の人たちと同じであるわけがない。
あるわけがないから、現実に接する人たちはみな排除していくか、見下していくか、表面だけの付き合いを維持し続けるしかないのだ。
実際に特別な存在ならば、結果が先にある。
まだ結果が出ていないのにそれでも「自分だけが特別」と思い込めるのは、それを維持してくれる遠くの存在があってこそだ。
現実の体験はどうでもいいのだ。
というよりどうやら「実体験」と、見ているだけ、聞いただけ、のことが脳内で区別できない人もいるらしい。
実際に「体験したのか」を重視しているのが現実を生きている人だ。
知らないことは知らないとわかっているかどうか、それが大きな違いだ。
知らないことを知った気になって生きられる人は、頭の中の夢だけは維持できる。
素晴らしいことに、本人は死ぬまでそれを維持できる。
ただ実体験では意識の上で思っていることを実感していないから、様々なところに不調をきたし、ノイローゼになって生きるというリスクを背負うのだ。
僕がよく例に出す昔の仲間たちは、「本気と冗談の区別がつくやつら」だった。
目の前にいるから、本気かどうか区別がつく。
僕も本気で生きているが、相棒も本気で生きていた。
だから冗談が辛辣で、本気で生きていない周りの連中は冷や冷やしたのだ。
本気で生きていない人は、冗談はお笑い芸人がネタをやるように、子供にもわかるように言わないとわからない。
区別をする能力がない人間には、何を説明しても無駄なことだ。
ただ、本気で生きるためにはただの人間として生まれた自分にならなくてはいけない。
まだ特別な存在として生きている人は、特別であるからこそ、本気で生きることがなくてもやってくる幸せを待ち続けるしかないのだ。