自分のことを知るだけでも大変な苦労があるものだとつくづく思っていますが、あなたは間に合いますか?
それぞれがどこかの誰かとして生まれてきたわけですが、自分が生まれてきた経緯を知るだけでも昔と違い一苦労どころでは済まない苦労があると思います。
自分が生まれてきた経緯がわからないと、自分の命の責任の重さは感じられません。
自分の存在に責任を感じないと、使命感も生まれないし、自分の必要性も感じません。
世間での役目に対して責任感が生まれたとしても、それは世間での役割の中の話であって自分自身の存在そのものに対しての責任感ではありません。
現代では自分の存在そのものには価値を感じないものの、仕事の役割に対する責任感は人一倍強い人が多いです。
それこそ、家族を顧みることもなく仕事に没頭する人も少なくないわけですが、自分の存在そのものに責任を感じていればむしろ仕事は他の人でもできるので、家族が一丸となる方を優先するでしょう。
僕は家族を優先する人生を送っていますが、その分仕事においてより大きなことを成し遂げるなどには興味がありません。
できるだけ社会的に地位のある人になろう、またそのような人を求める人は生まれてきただけで自分に存在価値や責任がある、という感覚はないと思います。
存在に価値があるかなしかを確認したくて他人の反応を求める人も、自分の存在の経緯をよく知らないのだと思います。
誰もが生まれてきただけで責任も必要性もありますが、その時に世間を見ているようでは「生まれただけで」という内容とは逸れてしまいます。
過去については本当に興味がない人が多く、自分の存在を知りたい人も大変少ないです。
しかし、自分の存在に本当に価値を感じたいならば、自分が生まれてきた経緯を実感を持って自覚できるように、自分たち一族の経緯、両親や祖父母なんて間近な話ではなくもっと前からの流れを知るといいでしょう。
僕は若い頃に、ご先祖様の苦労を実感するために、戦国武士が行った行動を模倣してみたことがあります。
想像可能な体験をしてこそ実感が湧いてくるのですから、自分がどのような経緯で今ここに存在しているのか自覚するためにも必要な行動だったと思います。
見ず知らずの人たちに何を説明して褒められようが、自分自身の存在価値は感じられません。
他人は「何かがあるから」の前提でしか寄ってこないわけですから、「ただ存在しただけで」を実感したいならば、過去の経緯を知ると良いでしょう。
しかし、皆さんはまだ間に合うでしょうか。
冗談抜きで「手遅れ」ということも当然ありますから、できるだけ早いうちに知った方が良いと僕は思います。