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人の気持ちもわからない人は人として賢くない

 日本人にとっては驚きの事実かもしれませんが、近年ハーバードの心理学者ダニエル・ゴールマンにより発見されたEmotional Intelligence(心の知能指数・指標EQ)の登場により、今までのIQ神話、勉強ができる人が賢いという常識は覆されつつあります。

 アメリカでは既にEQを向上させる教育を導入しはじめる学校も増えてきたそうです。ゴールマンの著書も世界中で翻訳され、その考えは受け入れられ広まってきています。

 『人間コンピューターのように頭脳明晰であっても、利己的で人の気持ちに共感する想像力もないようでは人として本当に賢いとは言えない。』

 平たく言えばそのような話が、これから常識になっていくでしょう。

 命令に従って実行する能力が如何に高くても、人の気持ちを理解する能力が欠如しており、いじめやパワハラ、性犯罪や暴力事件を犯す。

 そのような情動を抑えられない人は人間として賢くなれていないのだ、と聞けば、皆さんも納得なのではないでしょうか。

 既に調査の結果、社会的に成功する人たちの7割以上がIQは特別高くないがEQは高いとわかっています。逆にIQが高い人の方が成功している人は少ないようで、調査によると成功する人は2割程度という結果が出ています。

 普通に考えても、長い目で見たら下の者たちをいじめているような人が長く安泰でいられるわけがない、と思えるところですが、その事実が科学的に脳内で起きることの検証を経て世に出てきたことは喜ばしいことだと思います。

 正しいか、間違っているか。この世界で争っている人は既に時代遅れなのです。
 『教えられた正しいこと』を無条件で続ける生き方は、人間として賢いとは言えないのです。

 状況を把握し、誰も排除されることがないよう臨機応変に対応していく。
 そのような高い適応能力、正解を超えた答えを出す能力が求められる時代になるでしょう。

 なぜならば、AIの登場や機械化が進んだことにより、正しい答えをすぐに出し命令通りに動いてくれる『人間』が不要になってきているからです。

 かつては成功のシンボルとされた、『高学歴で一流企業、行政機関などに勤めたら勝ち組で安泰』という幻想は既に現代社会にはありません。所謂『ホワイトカラー』にしがみつく人たちについての問題点や今後必要な教育などが、最近も東洋経済のコラムに書かれていました。

 僕自身も以前から「直接会って接する」を推奨し自らも生きた人間と接することを重要視していますが、現在ハーバード大学にも「オンラインにおける人間のコミュニケーション能力の喪失」に抵抗し、新たな方法を生み出そうとしている研究者がいます。

 今は時代の変化の境目にあり、ヒューマニズムに生きる人々が機械化され人間性を失わせる流れに抵抗していると言えるでしょう。

 勝ち負け根性で生きる人は「正しいか間違っているか」に固執しますが、そのような姿勢の裏には必ず怒りや憎しみがあります。

 如何に恨みを捨てて争いを超えた世界に進んでいけるかが、人間性・EQの向上を目指す鍵になるでしょう。

 人間は殆どの情報を非言語的コミュニケーションで伝えていますが、生身の人間とのコミュニケーションを避け、オンラインでのやり取りばかりしていると本来持っていたコミュニケーション能力が失われていくことは既にわかっています。

 精神的に病んでしまった人が無表情なのに口だけで笑おうとするように、人間が自然に持ち合わせていた能力は段々と損なわれていくのです。

 特に、食事の際は人の内面が見えてきます。
 食事と心理のつながりを専門に扱う西洋のある研究者は『食事を共にすることでその人の人間性が見えてくる』と述べています。

 僕のように大雑把な人間は細かい説明抜きで食事を共にし人を理解しますが、人間としての自然な活動はやたら決まり(マナーとも呼ぶ)を重視してしまうことで、本人の生来備わった能力を失わせることにもつながるのです。

 『悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。』

 心理学では有名なこの言葉は行動が感情を生み出すことを指摘していますが、実際やたらマナーを重視した食事をしていると心の中に隔たりを生んでいくこともあるのです。

 僕の経験では、家の教育において「口を開けて人前で笑うこと」が禁じられていたため(口の中を人に見せる行いは品がないとされていた)、口を開けることなく笑うよう気をつけていたら、楽しい時も思い切り楽しいと感じなくなった時期があります。

 友達と話していて笑いたくなったら、家の中で叱られたことを思い出し咄嗟に笑うことを制御するのです。友達との楽しい会話より『マナー』を重視した結果です。

 この話は僕が小学生の頃のことですが、その後見習いたいと思う友達を手本にし、必死に口を開けて笑うよう矯正して楽しいと感じる時に自然に笑えるようになりました。

 今こうして皆さんにお話しすると笑い話にしかなりませんが、当時は家の中でひとり口を開けて笑う練習までしていたものです。

 ちなみに、我が家の教育では口を開けて笑いたくなる時はどうしたらいいのかと言うと、『口を手で覆う』が正解でした。

 今思うと公家の流れを汲んだ武家氏族の一族らしい教育だったのだろうと思いますが、既に時代は変わり本質を残して形を変える必要があると思います。

 人間性を損なわせる社会の仕組みを問題視し、現在抵抗しているハーバードの研究者 エル・カリウビーも、イスラム教徒として厳格な父の元に生まれ『従順な娘であること』『従順な妻であること』が当然とされる世界に疑問を持ち、飛び出していった人です。

 人々がみな幸せに生きるためには全く意味のない「しきたり」に疑問を持つ人々が、各集団から逃れ新しい道を模索しています。

 僕自身、家柄を知った途端にいきなり偏見で見て時に攻撃してくる人に出会うことがありますが、そんな時も怒りを生み出し争いを始めることなく、情動を抑え偏見の根源を追究し、生まれた家や民族、国や宗教がどうであろうと、同じ人間として平等や平和を追求し続け、手を取り合い新しい道を模索していく必要があると考えます。

 人間がより賢くなれば、争うことなく互いが寛容に認め合う世界になる、という事実が近年認められ広まりつつあることは大変喜ばしいと僕は思っています。