成長していくためには、自分が面倒を見ることも必要です。
ある人の話がいい話だなと思ったので紹介します。
その人は、本人がいつまでも親のこと過去のことにとらわれてグズグズと他人に甘えてしまう人でした。
しかし、自分より頼りになりそうな人に縋り付いてきた自分が、逆に縋り付かれることがあったのです。
話を聞いても聞いても、自分のことばかり。
話しながら泣いたり、結論を出すこともなく愚癡を言い続けたり。
そんな人にすっかり依存されてしまったのです。
しかし、その人は「私は変わらなくては」と思って努力していたので、あっさり、ばっさり、厳しくしてくれる人に出会い、同時に依存され面倒を見ていて、気づいたのです。
私は今までこんな風だったんだ。
今まではいつまでも縋り付ける人を求めていたものの、「なんで私に」と本人は思うのにやたら頼りにされるようになり結局は自分が「厳しいことを言われた」と感じていたことを言いたくなったのです。
というか、言ってしまったのです。
自分中心の人は、周りの人のこと、聞いている相手のことを考えません。
しかし似たような人に出会い、聞く側になってみると「話に出てくる他の人たち」のことも客観的に考えられたのです。
「本当の愛情は、甘やかすことじゃない。厳しくしてくれる人の方が自分のことを考えていたんだ。」
そう実感する体験をしたそうです。
それは良い体験をした、いい話だ、と僕も思いました。
外から自分がやってきた、ならば、それなりに努力してきたということです。
因果は必ず巡ってきますから。
「結局、気分で動くからダメなんだ」
そんな話を聞き、よくそこまで気づいたものだと感心しました。
事実と気分を分けられない。目的に向かって動けない。
気分で現実を破壊していくのが「心の世界を生きている人」ですが、現実に沿って動いていけば、悪いことなど「起こす」ことはないのです。
気が済む済まないで感情をぶちまけている人は、自分が知らない状況を知る気がありません。
気分の場合は「こう思える」「きっとこうに違いない」の妄想ですが、「そうだったんだ」という確実な何かをつかむまで、冷静にいられないのです。
自分の想像など自分の人格から生まれる妄想でしかありません。
当然、まるっきり違う人格の人たちは自分が想像もつかないことを考えています。
結局、想像の中を生きていけば「自分と似たような人」だけが残るということになります。
世の中には知らないことが沢山あります。
他人のことなどわかりませんし、知りもしないうちに想像を膨らませる努力をすれば、全員が自分だったらという決めつけしか起きません。
「まだわからない」
この時点で動く人は、悪くもないものを悪いものに決めつけ、良くもないものを良く決めつけ、要は自分一人で作った世界を生きていくことになるのです。
と、思える。
この時点ではまだわかりません。そんなことは誰でも思いますが、普通は口には出しません。
現実と感情的妄想の区別がつくからです。
大抵のことは「思い過ごし」なので、口に出さずただ現実に沿って行けば何も悪いことは起きません。
やはり、経験は大事だ、と思いました。
今回の話を聞き、様々な経験が人を成長させていくのだと改めて実感した次第です。