心理的に未成熟な親の子たちへ、それでも心理的に早く自立していった僕が思うことを書きます。
毒親、特に僕が見ている限り「母と娘」の関係は深刻に絡み合っていて、こと「自分は愛情があると思い込んでいる母親」は手が付けられない状態だと断言してかまわないでしょう。
「愛情を持っている母親役」をやり続けることしか、生きる道が無くなっています。
そしてそのような母親の子、また権威主義で能力ばかり求めるような父の子など、よくある光景の中で育った人達が溢れているのが現状です。
勿論、僕自身も子供時代からの虐待の影響に悩まないわけでもないですが、あくまでも現実的に、悲観せずに生きているだけです。
実際に起きたことは変わりませんが、過去の体験が変わらなくても自分自身の内面の変化で生き方は変えられます。
僕自身が母とは「別の人間」とハッキリ区別して生きてこられたのは、親子の問題そのものから離れたからです。
見ても聞いてもキリがないほど今も毒親の話はありますが、そこに注目していたらいつまでも自分が親から離れられません。
道は無理やりでも這ってでも切り開いていくという強い決意が必要だと思います。
そして、親と人生を分離させなくてはなりません。
そのためには親のことを考えながら何かを編み出すのではなく、最初から「独立した人間」としての自分の道を考えた方がいいです。
僕の場合は、ブッダの教えと一族の教えの影響があってのことだと思います。
たまたま知能が高かったせいもありますが、聞いて理解できる人ならば同じような方向性の方法で実際に解決していくと思います。
僕が自分の存在に気付いた子供時代、最初から「天下に我一人」という意識で人生を始めました。
自分自身の存在そのものが、既に独立した唯一無二のものなのだと気づいたからです。
「あなたも唯一無二の存在だよ」と言われると、大抵の方が「いやいや、私なんてそんな…」となぜか遠慮するような態度を取ります。
しかし、本当に唯一無二なのだから、そうなのです。
自分が沢山いても、気持ち悪いでしょう。
皆さんも唯一無二で、他の人たちと変わりません。
それぞれがひとりひとり同じように一人の人間です。
誰かに聞いて生き方を決められるわけではありませんから、わからないままで走り出すしかないのです。
僕の一族のように、戦国時代を生き抜いてきた武家の一族は最初から未来の目的を見るように育てられます。
よく言われたのは「子子孫孫」です。
自分の命は次につながるものなのだと教育されます。
どこかに消えていくものではありませんし、親子は同時に存在していても別の時間を生きている別の人間です。
つながりとしては親の方が前で、自分は次に続く存在です。
目の前に親はいないので、誰にもけん引してもらうことはできません。
前向きとは、未来に進むことですから、わからない未来に向かって走るしかないのです。
最近、自我を確立していくためのツールを用意しましたが、正直ベースが僕とは違う人が多いだろうと思うので、どこまで使い方を理解できるかはわかりません。
「真剣にやれば、少なくとも今周囲にいる、家族などとは全く違うレベルにまで発達する」
と断言していますが、実際やればそうなるはずです。
殆どの方は「修行」という概念がないまま生きているようですが、生きている限り修行は続きます。
精神の向上は常に心掛けなくてはならないものであり、疎かにして年だけ取ればいいわけではないのです。
特に親のことは過去の体験から様々な強い感情が湧いてくると思いますが、このような感情的な体験については必要なことに気づくだけで雲散霧消していきます。
離れられないのは諦めがつかないからです。
「~してほしかった」という過去の自分自身の怨念が今もついて回っています。
なかったものはなかったと諦める必要があります。
諦めることにより、未来の道が用意されていくものです。
何もかも表裏一体。辛い過去があるのはわかりますが、未来まで辛いものにしないためには「どんなに大変だったか!」と感情的になってそこにしがみつくことなく、そこにしがみついていると全く興味がないとは思いますが、未来の自分を現実的に考えて執着を捨てていくことです。
どうしても社会的な問題として取り上げると「可哀想な人達」というイメージが付いて回ります。
しかし、今可哀想な人になったらこれからも可哀想な人として生きていかねばなりません。
いずれは「そんな過去もあったけれど、そのお陰でこんなに幸せになった」と感じられる未来にするためには、恨みつらみを捨てて未来の自分のために決意して「明るい未来」のために進んでいくことです。
独立した自分の人生は「最初から自分一人」の道を進み始めて作られて行きます。
その自分を応援したり支えたりしてくれる人はいなくても、それでも一人で始めるのです。
支えがあって安心できればいいですが、そうでない場合もあります。
そうでなくても、それでも少しでも未来に希望を持ちたいならば過去は諦めてたった一人で始めるのです。
皆さんは自覚がないと思いますが、殆どの人は「自分が話したことがない状態」です。
皆さんが自分だと思っている自分は、まだ自分ではないです。
自分がある人と「自分」で話してみたらわかります。
自分に関心を持つ人が「自分はどんな人なのか」を知りたがっていますから、必要とされた時をきっかけに自分を生み出していくことです。
いざ必要とされた時には、自分を出せない、という状態では自分が困ります。
なんでも本気でやることです。
実行するのに軽いノリ、という人は何も身に着けられませんし、何も変化しません。
本気で生きてもいないのに、人のせいにして嘆くなど言語道断です。
自分自身の人生は自分しか体験しないものなのですから、血反吐を吐くくらいの真剣さで生きねばなりません。
母親の与太話のせいで自分の人生に呪いをかけられたかのようになっている人たちは、真剣に考え生きることです。
本物の人生なのに、他人の脳内の世界に巻き込まれて自分が存在さえできていないことを、もっと深刻に受け止めた方がいいでしょう。
僕は今も、前向きに向上することしか考えませんし、そのために役立つものを作る気しかありません。
皆さんも「気が済まないから」なんて理由で今を過去の為に使い、自分の未来を不安なものにしないで欲しいと願っています。
そして毒親とは関係なく
「いつかパッとすごいことが起きてくれる期待」
を持っている人たち。
それはただの煩悩、欲ですから自分を戒めて「現実は努力した人が勝つ」と当たり前のことを当たり前に受け入れて夢みたいなことは考えないように。