なんという卑劣な人間だろうか。
親を人間扱いしていないのだ。だから親の子、人の子ではないのだ。
人の子は、親を人間だと思っているし、そう扱っている。
親だってしてもらえなかったことは、できなくてもしょうがない、と思っている。
愛されずに育った親が、それでも子供を愛されて育った親のように愛せないと批難される。
親は必死になって完璧な人間を目指さなくては、子供が許してくれない。
親が人間であることを子供は許さないのだ。
神経症の人は、人の道を踏み外している。
「やりたくてもできないことがある」という人間として当たり前のことを許さないのだ。
そして自分のことについては、「できないのは他人のせい」なのだ。
愛されずに育った、親は愛する能力がない、とわかったら、自分の子のためにも自分は愛するとは何かを考え、愛する能力を大人になるまでに育てていかねばならない。
そうしないと、また次の子も愛されずに育たなくてはならないからだ。
自分と同じ苦痛を子供に味わわせることをなんとも思わない。
親にも子供にも完璧を求める。
親ならなんでもできなくてはダメだと思っている。
生まれてきた子供が親を評価し、人間として正しいかどうか裁く。
それも他人の力を借りて。
親が逆らえない何かを味方につけて、親が死ぬまで搾り取るのだ。
正に地獄だ。
それを親が子に、子が親に、繰り返し続けているのだ。
受け身な人の悪質さなのだ。
受け身で生きている人は、自分ができないことは代わりに他人がやってくれて自分が困らないように世話してくれると思っている。
自分ができないなら、それまでのことだ。
ほしくてもないものはないのだから、諦めるしかない。
頑張ってもできないことはある。手に入らないものはある。
それが現実であり、人間だ。
親を恨むということは、自分は努力をしないということだ。
親も手に入れられなかった、身に着けられなかったものを、辛い目に遭いながら次まで同じ目に遭わせる道を選ぶ。
そして愛することもできず夫婦は不仲になり、子供にはそのうち恨まれたり逃げられたりする。
そこまでいっても、自分が親に愛されなかったのに、愛する能力を育てる努力を怠ったことを反省しない。
親も親で辛かったのだと、親を人間として受け入れない。
そして神のような偶像を求め、推し活をして誰かを崇拝したり、宗教に傾倒したり、社会の権威や学術を完璧な神の教えのように崇拝してはいつまで経っても気づかないのだ。
求めているものは、最初から存在していない。
自分が手に入れられないのではなく、そんなものは最初からこの世に存在していない、自分の頭の中に自分が生み出した偶像なのだ。