餓鬼。
もらってももらっても、まだ足りない。
「既に生まれてきたから、これから自分は死ぬのだ」
その現実を直視せず、生まれた時から何が足りないとか誰が悪いとか、周りに対する批判ばかりしては怒りや憎しみを携えて生き、誰も愛せないまま、幸福を感じることなく嘆いて死んでいくのだ。
今の毒親ブームは、やはり恐ろしいものだ。
親が死んでからでは手遅れなのに、世間では子が親を恨んで生きることは「当然の正義」かのように扱われる。
どっちが正しいかなんてどうでもいいが、それでその人の人生はどうなるのか。
その人の人格はそのままでもより良く成長していけるのか。
これからもっと幸福になれる道を進んでいるのか。
その道は間違っているのではないのか。
本当に「愛されなかった」のか。
親も頑張ってもそれしかできなかっただけなのではないのか。
本当に、そこまで親が悪質で、できることもしてくれなかったのか。
それとも、自分が悪質で、できないことをやれなかった親を悪人のように仕立て上げて孤立させようとしているだけではないのか。
毒親のブームに乗っかって過去の気分を盛り上げてしまい、親を叩きのめそうとした人たちは、もう二度と戻れる道がない。
酷い親から生まれた私。
それでもう、死ぬまで存在するはずもない偶像がどこかにいると求めて彷徨うだけになってしまう。
今は沢山の人が書いているのだろうが、加藤諦三先生と共にいた人たちもみな彼に導かれて「いつか」の幸せを求めて、正義の使者として親や他人と戦っていくのだろう。
間違いなく何かがおかしいと思っていた。
僕は本当に目が覚めた時を覚えているから、自分で自分を自覚した後は、あんな風にならない。
と知っている。
自分を救う人は、他人を救わない。
不幸は消え去っていくものであって、形ある世界で何かを変えて幸せになれるわけではない。
僕は遠くから見ているだけだが、これからぞろぞろと、ひとりずつ順番に、親を敵として反対に進んだ人たちが、死んでいくのだろう。
自分をわかってもらってすべてを受け入れてもらえる、楽園のような未来を目指して向かっていた人たちが、何にもなれないまま、誰にもわかってもらえないまま、自分がしたのと同じように恨まれながら、この世から消えていくのだろう。