「弱い者からしか、批判をしてはいけない」
これも、守るべきことだ。
強い立場から弱い立場のものを批判していじめてはならない。
ただ、やはり「自分が誰なのか」が大事なのだ。
僕は武士の一族だ。
教授は「心理的弱者」という言葉をよく使い、勿論自分自身もそれだと言いたいわけだが、武士ならそんなことは決してやらない。
それは人に気を使わせ、身を守る発言だ。
だが僕はもしそうであっても、そんなことは言わない。
武士はそんなこと言わない。
心理的に弱いならば、自分を鍛える。
武士として生きるならば、と考えた時に「武士としてカッコいい」と思えるようでないと僕は困る。
だから僕が思う「勇気ある人」を僕は尊敬する。
心の地獄が脱せないのは、心の世界を見ていないから。
難しく考えて誰が悪いとか親のせいだとか言わなくても、解決することだ。
だが、既に多くの人はそんなものは求めておらず、ただため込んだ憎しみを吐き出すものと、欲を満たして現実逃避するものだけを求めているのだ。
もうこんなものは要らないのだ。
「言っているだけ」で構わないのが今の世の中だ。
僕は要るけど。
そう思った矢先に、勇気ある科学者が意を決しての発言をしていたので、僕も少し述べた。
誠実な人が勇気を出した時、一人にしないために自分もやらねばといつも思う。
孤立してしまうことがどれだけ辛いことか、僕は知っているから。
あの頃、実際起きている時は生きた心地もしない、身動きが取れない状態だった。
本当に起きていることは、誰にも言えない。
特に教授の繋がりから出会った人達には、絶対に言えない。
彼らが尊敬している人なのだから、彼らの前では教授に肯定的な立場でいなくてはならない。
僕なんかただのオマケみたいなものなのだから。
特に、出世した人たち、金持ちになった人たちなど、これから「権威あるところに近くなる人たち」を見ていると、これからのことを想像し気の毒になった。
権威ある人々の嘘の姿を信じているのだと思うと本当のことを言いたくなったが、本人が信じたいものなのだから僕が気の毒がることではない。
全ては自分で気づくしかないことなのだ。
何も知らずに金持ちになったり、彼らを崇拝し信じて進む人たちはこれから更なる地獄を見るのだ。
既に地獄に落ちているのに、「誰のせいか」を決めることに夢中で「ということは、今まで誰かの嘘を信じてしまっている」とは思わないのだから。
確実に自分が正しい、正義だと思ったら自分が間違っていた、ではない。
確実に正義だと思っていた人が、実は嘘つきだった。
こっちの方が、絶望的ではないだろうか。
僕は恐ろしく思う。