理解の難易度が高いと思われる内容を書きます。
殆どの人はこれを読んでも理解できない可能性が高いと思われますが、理解できる人もいるかもしれないので考察を書いておきます。
「親子」の存在についての認識、自分の存在についての認識です。
昔から親は自分の前世と言われていました。
それは、無自覚に行動している部分は親の模倣をしているからです。
それ自体は心理学方面でも確認されていますが、感情面も同時にそっくりになっています。
他人に言われなくても、自分が誰かの子である限り自力で確認可能なことです。
しかし、どうやら殆どの人は「自分」の存在を自分で創作しているようです。
親と子の繋がりにおいて、肉体は遺伝子レベルで同一の存在です。
無意識部分についてはそのほとんどが模倣です。
同じ行動をとることにより、内面も同じになっていきます。
自分がやられて嫌だったことを、いつの間にか無自覚に自分もやっている、といった行動にそれは現れます。
内面が同じになっているのです。つまり中身が同じなのです。
異なる部分は「意識の部分」です。
意識の部分は人間の行動を操るたった5%前後程度です。
つまりほんの僅かなのです。
その程度しかないのに、「傲慢」な人は5%で全てわかっているつもりなのです。
小さな行動としては、「人のせいにする」の積み重ねで意識の自分はより思い込みを強くしていきます。
無自覚にやったことも自分がやったと自覚していく人は、「気づく」ことでより多くを自分の意識で変えていきます。
無意識にやっていたことに気づく。そして自分で意識して変えていく。
これで、自分が納得いく部分がひとつ増えた、となる。
自己啓発的なこと、心理学を使ってやっていく改善的なことは殆どこれです。
何かを習慣化することも、意識して改善していくためのものです。
「こうするといい」と言われていることを意識して行う。それにより自分の変化を期待する。
これは殆どの人が理解できるところでしょう。
しかし、より深く考える場合は更に「こうするといい」と言われていることを実行して何かを改善し、自分を「良くしよう」としているのは何を目的にしているためなのか、を自覚します。
無意識の動機は、他人にはわかりません。自覚するしかありません。
それが難易度の高い方です。
「なぜ、自分は自分を変えようとしているのだろうか?」
こうした点は、自問自答でしか解決していけません。自分で気づきたくないことを避けていると、気づけません。
「意識している自分」だけが自分だと思っていると、自分がどんなに頑張ってもうまくいかない人生になっていきます。
「こんなに自分はちゃんとできてるんだ!他の人は褒めてくれるんだ!」
そんな風に威張りながら、しかし結果望んだようにはなっていない、ということになっていくでしょう。
うまくいかない癖に、威張っている。自分は正しい、間違いない、と言っている。
誰が正しいと言ってくれたとか、褒めてくれるとか、自分のせいじゃないとみんなが言うとか、他人の「せい」にしながら自分を肯定して威張る。
この時点で、厳しい言い方をするならバカ丸出しです。
目的は「期待していた未来の結果」で、「誰が正しいか優劣を競うこと」ではなかったはずなのに、最終的には「期待した結果になったかどうか」はどうでも良くなっているのです。
結婚を失敗した友人が、「あの人は本当に酷い人だった、あの人はこういうところがダメだった」と十年経ってもまだ言っています。うちの母と同じことをしています。
「どっちがより良い伴侶役を演じられるかの勝負」をしていたのです。
「こんなに素敵な妻ですよ」をやり遂げると、愛されて幸せになれると思っていたのです。
結婚も恋愛も、勘違いしているのです。
自分をバカにした親を恨み、自分が「こんなに立派にできるんだぞ!」と見せびらかしたくなっているだけなのだと、気づかないのです。
これは、人生そのものが始まっていない時の人間です。
自分は親の来世、親は自分の前世。
自分は親の子として生まれてきた。
これを自覚するのは、難しいようです。
この親の子だ、となれば、親を評価などできません。
「もっとこうであってくれれば」
と思う視点自体が、今の自分に対する自己執着の強さであり、個人的欲求から来る感情を基に生み出した発想です。
その視点を離れ、今の自分の「我」を捨てて物を見ることができていません。
例えば、僕の場合は母に事実でもないことを決めつけられ、常に罵られ続けましたが、その時に「母が言ったこと」を軸に考え、それに対して生まれた自分の感情面から物事を見ると嘆くことになります。
これは母の言動を発端として生まれたものなので、僕自身の考えから生み出したものではありません。
母親主体に考えた場合の結果です。
親を親として考えた場合、同じ流れになりません。
母が罵声を浴びせ続けていることを客観視して考えます。
なぜ、我が子にこんなことを言うのだろうか?と考えます。
子供の中から憎しみや悲しみが生まれてきます。子供とは、自分のことですが、客観的に見るので「自分」とは考えません。
子供の中から怒りや憎しみが生まれ、親を恨むようになれば親にとって利がありません。
また、感情が生み出されたことにより子供が親と同じ行動を他人を相手に実行するようになります。
親と子は、そっくり同じ行動をとるようになり、相手に対してもやられた側の時に生まれた感情を生み出させるようになります。
細かい状況が同じであるわけがありませんから、本質的には同じことを繰り返しているという点で同一であると確認できます。
意識の上では親と自分は違う存在だと思っているので、同じことをしている気はありません。
実際には同じ行動を取っていても、「中身は違う」と思いたがる自分が意識の自分です。
その自分は「誰ともつながりのない存在」です。
自分だけが特別だと思っている自分であり、誰の子でもありません。
その誰の子でもない意識の自分が、「この人の子として生まれたのだ」と自覚して、自分が親の子として生きていく人生を「始める意思があるかどうか」がこの世に生まれてくる気があるかどうかです。
嫌でもなんでも、その親の子としての人生しか始められません。
「あんな親」と親を憎み拒否して救いを求める人は、誰の子でもないこの世とつながりのない存在として生きていくことになります。
死ぬまで頑張っても、「あの親」としか繋がりはない存在です。
親がいないと生まれてこなかったので、その親の子としての人生しか生きていけません。
そうなると、「親を違う親に変える」を試みるようになります。
生まれてきてもいい、人生を始める気になれる親になってくれれば、人生を始めてもいいのです。
「あの親の子として人生を始めるくらいなら、遊んでいた方がいいや」
そんな感じになってしまう人が大多数です。
社会には楽しいことも沢山ありますから、「人生」などどうでも良くなります。
そうなると、なんの経緯もない、繋がりもない、ただ単独でこの世に存在している自分として生きていくことになります。
存在そのものが、誰ともつながりの無い存在なのです。
親そっくりな行動をとっていると気づいても、内面的に「同じだ」と自覚して親になれる人はなかなかいないようです。
難易度が高いどころか理解できないとは思いますが、僕はその経緯を理解して親が自分の前世であると理解しているので、自分の行動を生み出す内面的なものが「どこから来たのか」と考え母の過去やご先祖様の過去まで遡って考えられます。
だから「これは自分がやりたいことではない」と自覚して、やめることもできます。
親子の繋がりを自覚していると、解決方法もわかります。
親が過去にしていたことの理由、当時の内面を自分が体験することによって知ることができます。
親子だから成せることです。
自分が自分ではない者の意思で行動していると、これからどうなるかもわかります。
自分のものがわかるようになると、他人のものもわかるようになります。
人は人の模倣をするだけ。
それは、加藤諦三先生の本を読んだ人がそっくり同じように精神分析を使って「気に入らない人」を変えるために説明したがるのと同じです。
皆さん加藤諦三になっていくのです。
自分を捨て、加藤諦三になっていくのです。
彼が自覚したくないことを、他の人も自覚せずに済むようになります。
同じ行動をとり続ける人は、中身が同じなのです。似たような人たちが群がるのはそのせいです。
独立した意思がある人は違います。考えあって自分が生きているからです。
僕が「フランケンシュタイン」と呼んでいる人たちは、親のみならず、そのように権威ある何者かなど、自分が強いと思う人間の模倣をし、同化を試みて生きている人です。
自分はどこにもないのです。
自分の意識が自分を操れているかどうかが重要なのに、行動のすべてが「他人の模倣」なのです。
それで自分の人生を生きていけるわけがありません。
たった5%程度、意識して操れても、意識してすぐに変えられるものは「言葉」しかないのですから、それでは何も変わらないでしょう。
頭の中でどんなに理解していても、行動が伴わないと意味がありません。
どうしようもない結果しか出てこない時、たとえば僕が子供の頃のように「お友達と仲良くなりたい」という願望を持ちながら、やろうとしていることは「自分が目立って注目され、尊敬されたがる行動」になっていた時のようになります。
この場合は、「友達と仲良くなりたいなんて思っていない」と気付けばいいのです。
無意識と意識の時間がズレたのです。
いつも言う通り、過去の未練が自分の時間をズラしていきます。
絶対にうまくいくことがありません。
だから時間のズレは修正した方がいいのです。
意識と無意識の両方を正しく理解できないと、意識の方が「そんなことない、自分はみんなと仲良くなりたいと本当に思ってる!」と無意識の自分を見捨てていくのです。
無意識の自分を見捨てると自分を嫌いになります。自分を嫌いになると他人にも嫌われるような気がしてきます。
だから、意識の上でどんなに友達と仲良くなろうとしている「つもり」で頑張っても、人を疑い、憎み、そして実際に取っている行動も「より目立って尊敬されようとする行為」になっていくのです。
そもそも、意識の自分が「この自分しか自分がいない」と思い込んでいるからそうなるのです。
傲慢ですね。
正直、大したことではないです。
人生そのものはなんにもいいことがない人生になるかもしれませんが、大したことではないです。
ただ自分の人生が自分で意識しているものとは全く違うものになっていくだけのことであり、仕組みを考えれば「普通」なので特に騒ぐことでもなく、気にするほどのことでもありません。
大それたことに思えるのは、自分のことを特別な存在だと思っているからであり、そんな人はごまんといるので気にするほどのことではありません。
どんなに不幸に嘆いて生きることになっても、親も似たような人生ですから一人ではないのです。
世の中にも沢山いるのだから、寂しくもないことです。
皆と同じであるという、「最大の目的」が叶っているので平気です。
幸せになりたい人もいれば、「皆と同じ」になりたい人もいます。
みんなが不幸なら自分も不幸な人生がいいのです。
親を拒否して人の子として生まれてこない場合、「自分だけがみんなと違う」と思うしかないので、どうしても他人と同化することで繋がりを持とうとするのです。
それでも、どうしても「あの親の子だけは拒否」であるのだから、自分で選んだ道です。
どんだけ嫌な親だとそんなことになるのか、と思いますが、どうしようもない親なのかどうかは、子供自身しか知る由もないのです。
難易度が高い理解のようですね。
わかるようになると大変便利だと思いますが、難しいようです。
親子の場合、親の内面を知ることは可能です。
他人の場合は確実に知るなんてことは無理なのですが、親の場合だけはわかります。
見えないものを確認できる、たったひとつの存在が親です。
そのつながりを持って確信を得るしかないのですが、どうしても「親が嫌」ならそれもまた致し方ないことです。
その拒否もまた、親とそっくりになっているはずですから。
ただ繰り返されるだけ。ただずっと代々同じことをしているだけなのです。