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心通う仲間の関係を知る人たちから見た話 ~無料記事~

 心通う本当に信頼し合える仲間に「なれる」人たち側からの話をします。

 どうしても説明する時は「悩んで病んでしまった人達の側に向かっての話」をするしかないのでそうしていますが、今回は心通う仲間がいる人たちの方の話をします。

 病んでいる人たち、機能不全家族しか知らない人たちからは想像がつかないものだからです。

 よくある話なのですが、人を疑って責めたりすることがありますよね。

 病んでいる人は平気でやります。

 そうでない人たちは絶対にやりません。

 当たり前にやらないことなのです。当たり前にやる人もいます。

 当たり前にやらない人は、当たり前にやらないのです。

 つまり当たり前にやる人と、関わらないのです。

 「嫌いになって仲間外れにしてくる。謝って仲間にしてもらおう。」

 これが病んでいる人たちの発想です。幼稚園児ではないのですから、そんなことは必要ありませんし、そんなことしても無駄です。

 「この人はこういう人なんだ」

 そのまま理解して、自分と相容れないと確認するだけです。

 人は知るだけ。謝ってもらって許して仲間に入れてやるなんてことは「傲慢だ」とわかっています。

 だから仲間にしてやるなんて態度にならないのです。

 「最初からそういう人なのだから、そのまま好きになれない、同じやり取りで構わないと思えないならば、自分から距離を置く」

 これが正しい対処なのです。

 好きとか嫌いとかないのです。

 仲良くなれるかな、と思ったけどそうじゃないとわかって残念だ、くらいですね。

 また、僕が理解できない行動というか、関係のひとつが「永遠に変わらないなんとなく親し気な関係」を作りたがることです。

 心通うことはないのに、体裁を繕って表面上仲良くしているかのような「行動」だけを繰り返す無意味な関係を作ります。

 それを続けているといつか仲良くなっていく、と期待しているのですが、それは自分の家庭です。

 まともな関係は作れていないのに、最低限仲良し家族っぽいことはやる。

 自分の家族と全く同じ関係を作り、違う結果を期待します。

 結果も何もありません。今が結果です。その関係そのものが結果です。

 真剣な話をしません。真剣な話やきちんと向き合って話すことは「もめ事」なのです。

 それが、他人と心通うことを拒否している人たちの感覚です。

 そしてそれを「直してくれ」とは誰も思わないのです。

 そこまでしてもらっても困るのです。

 人を受け入れる人は、自分が相手に適応することしか考えません。

 どうしたら、この人とそれなりの会話ができるだろうか。楽しく過ごせるだろうか。

 それなりに誰とでも楽しくやっていけるように努力はします。

 別にそれで仲良くなっているわけではありません。

 その時の「負担」がどのくらいかが重要です。

 こんな感じです。

 Aさんとはそれなりに楽しく仲良くやり取りをするために、ものすごく気を使わなくてはならない。相手の様子を見ながら、機嫌が悪くならないよう、話が暗くなったりしないよう、相手が黙って会話が無くなったりしないよう、常に自分が一人で考えなくてはならない。

 この場合は楽しくやり取りすることが可能になっても、やはり「疲れる」で終わります。

 嫌うのではありません。その相手に適応した場合の自分の負担を考えるだけです。元々相手に期待なんてしていませんから、相手といて考えるのは自分が如何に相手に適応し、対応し、自分の能力で楽しくやり取りしていけるかです。

 その中で相手の考えや信念、人間性などを実体験で知って行きます。

 この人とはこんな感じの関係なら可能だな、と可能な関係性を作って行きます。今のままのその人で平気な関係を作ります。

 自分の適応能力で自然にうまくいく人が、自然と関係が発展していく人です。

 「相手を一切変えることなく、そのままの相手に自分が適応する」

 本人にとって本人は普通です。それが当たり前です。

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