自分のために相手に変わってもらうなど、自分が相手の負担になるということですから絶対にやりません。やりたくないのです。存在が迷惑ということになりますから。
元々やりたいことだけやっていてくれていいし、自分のために何かしようとしなくてもいいのです。
そこまでしてもらえないと付き合っていけないならば、自分が相手と接しません。
自分のご機嫌を取る人といても、生きていてはいけないような気がしてきます。だからご機嫌を取られずとも平気な自分でいるよう努めます。
相手がいちいち自分の気持ちを理解するよう努めなくても、楽にわかるようにきちんと必要なことは伝えます。とにかく「他人の負担になりたくない」のです。
相手が不審に思うこともやりたくありません。コミュニケーションを妨げることはしたくないのです。
相手と仲良くやっていきたいからです。
そして、そのような人達にとって、病んでいる人たちは「話題にも出ない人たち」です。
本当に話題に出ないです。基本的に人の陰口は一切ありません。
それぞれが当事者同士の場で解決しているので、本当にないです。
悩んでいる時でも、相手のプライバシーを考えて起きたことをそのまま話さないように気をつけます。個人が特定されるように話さないなど注意します。
今ここにいない誰かの悪口を言う事は、自分たちが仲良くなるために必要ないのです。
病んでいる人は、相手が望んだとおりにしてくれないと「嫌ったんだ」「意地悪しているんだ」などの想像をしますよね。
今回は率直に言いますが、その想像自体が「怖い」と思います。
自分たちの発想にはないからです。
仲間がそんなことするわけない。と思っています。
自分はやらないからです。
そして実際、他人の陰口は叩きません。
僕は相棒や親友から誰かの陰口を聞いたことがありません。別に必要なかったです。違う話をしているから、楽しいのです。
本当に親しい関係になれる人は、本当に少ないです。
僕個人の話ではなく、相手と心通わせることができる人が少ないです。
病んでいる人は、「この人ならわかってくれる」と自分ができないことをやれる人に期待します。一方的にやらせるためです。
この人と「いつも通りの仲良し」になれば、今までとは違った展開になるに違いないと思うのです。
そんなわけがないです。
自分たちと同じ付き合い方をさせるのだから、心の中まで似てきます。
相手がそれまで作ってきた関係にはならないので、発展などありません。
相互性が破綻しているのです。お互いにやらないとダメだとわからないのです。
どうも深く考えることができないようで、論理的にも破綻したことをやります。
人を動かすだけ動かして、何をどうしたらその結果が出るのかも自分で説明できないのです。
しかも「自分でもわかんないけど、なんかそうなると思ってた!」なんて自分が驚いて見せるのです。自分のことしか考えない人は、無責任です。
望んだとおりになるかならないかしか考えず、責任を取りません。
そのくらい、人を尊重しないのです。一方的に魔法のように叶う関係を期待し、それがないと絶望的なことのように嘆きます。
呆れたものですが、こうした人に出会って腹が立っても、バカにしない尊重してくれる仲間がいるのでそこにいったらもうその人の話も必要ありません。
自分の望んだことを相手にやらせようとしていませんから、無責任な行動に腹が立つなんてこともないのです。
お互いに望みを叶えてもらえるなんて一切期待しません。だからうまくいくのです。