大人になってからも、人のためと思い少しそうした力を使いましたが、すぐに噂になってしまい霊能力などの話をまとめた本を出している出版社から話を聞かせて欲しいなどという話がきました。
だから言わないのです。
心理学もすごいものだと思いますが、見た方が早いというのが個人的な感想です。
ただ、なんなのか説明できない部分を説明してくれたのが心理学だ、という理解をしています。
目の前で泣いている子供がいたら、誰でもわかるでしょう。
僕は子供の頃から意識体の方が「本体だ」と意識して人と接してきました。
母親の中に幼い子供がいるのも子供の頃に見てわかりました。
だから「お母さんにこれ以上は無理だ」と確信したのです。
もう慣れていて、常に形では人を見ません。
全ての人間には意識の存在があり、意識と無意識が身体を動かしているからです。
みんな人が表面でしかわからないのです。
先日、ワークショップで説明した内容も、皆さん驚いていました。
考えたことがなかったでしょう。
「可哀想!」「酷いね!」と被害者たる友達の周りで味方をしているような人たちは、今被害者である友達をいじめているんですよ。という話をしました。
そして一体何が起きるかを、子供と母親を例に説明しました。
そんなことがあるのです。これは「文字では説明できない」ので、直接話す時に「こういう感じ」と違いを演じて教えるしかないです。
発している「気」の違いだからです。
可哀想がられて味方になってくれているなんて思ったら大間違いです。
たった今いじめられているのにそれすらわからない。
それどころか、自分と誰かの中を引き裂いた人たちを「助けてくれた人」だと勘違いしていつまでも群れるのです。
「気」がわからないからです。
コミュニケーションを行う際に存在しているものはなんでしょうか。
まず、意識体。皆さんが「私」だと思っている見えない存在。
そして肉体。形あるもの。そして言葉。意識して変えられる唯一の部分です。
更に、「気」です。気分の「気」です。
それら全てを複合的に感覚で理解し、その上で、相手の背景などは言葉で聞くなどして理屈で理解して想像する材料にします。
これだけ沢山のことを全て意識または無意識で認知しなくてはならないのです。
情報以外は、その場でしかわからないのでその場で知るしかありません。
そんなに簡単なものではないんですよ。
しかし少なくとも、独りよがりな世界を脱することは人の心を見るだけでできるようになります。
だから、「僕がいることが特別」なのです。
心を見ている誰かがいないとわからないからです。
自分の意識体を自分自身の存在なのだと分かった上で、「存在している」とたった今、意識して接している人がいると、自分も同じように相手の意識体と接するつもりで接すれば「わかる」からです。
なんだこれは!!見えないものがわかる!!相手の意識が存在している!!
はじめての時は、こういう驚きです。
自分の心を見ている、わかっている。
説明などしなくても、ちゃんと最初から自分自身の存在を「見てくれている」とわかるのです。
なんでもない会話をしながら、行動をしながら、一緒にいて常に「相手の見えない本体」があると意識していれば、ある、とわかるのです。
それがわかる時、なんと、相手にもわかるのです。
できる人にしかわかりません。
スタンド使い同士にしかわからない、そんな話です。
今、感じているものを同時に感じていると、何も言葉を発していないのにお互いに「わかる」のです。
あの感覚は不思議なものですが、嫌な気はしません。
寧ろ気恥ずかしいような、嬉しいような、「通じ合う感覚」です。
僕の相棒、親友の一部、そして愛する人は、全員これができる人たちでした。
恋人との口喧嘩だって、お互いに相手の心を見ているので会話の内容はいきなりぶった切って平気です。
「一体どうしたんだ」「あなた嘘を言っているわね」
会話なんて無駄じゃないかと思う瞬間があります。
心の中に存在しているものがあり、その「気持ち」がどうにもならないから今の話が出てきているのだとわかるからです。
どうにもできない気持ちを抱えているから、あれこれ言いたくなるのです。
しかし、互いに相手の目の中を見ています。
相手の目には相手自身が映っています。だから目を見ているのです。
中身が考えていることを知りたいからです。