残念ながら、「ごっこ遊び」の状態の人たちのレベルは地を這うレベルであり、心通う関係は遥か上のレベルの話です。
金持ちになるのも大変な苦労が必要です。何かの能力で活躍するにも大変な努力が必要です。
大層な時間がかかります。
そして心も同じです。
この人生をなんのために使うか、何を鍛えて生きるか、そこで「精神」に労力を割いてきた人たちだけが獲得した「能力」が人の心を見る能力です。
いきなりすごいものになりたい人は、時間がかかる、努力が必要、と聞いただけでやめたくなるでしょう。
しかし、何をするにせよ何かひとつ努力していかねば身につくものなどないのです。
僕はこの部分に「だけ」長けている人間です。
だからいつも「なんでもないこと」をしながら教えたり諭したりしているのです。
僕からは見えています。わかっています。
しかし、皆さん人の心を見ようとしないのです。
心の中に閉じこもっていても迎えなどきません。
「他人にも心があるんじゃないか」と思ったところで、見えるものではないからわからない、と決めつけて「多分こう思っているに違いない」と自分の感情から勝手に他人を生み出すのが関の山。
しかし、そんな真似を自分がされたらどうでしょうか。
何を言っても信じてくれない、何をしても疑ってくる。キリなく絶対に信用されない。
そんな目に遭うでしょう。
「信じる」とは、見えないものを見る力です。
見えないからわかるわけない、と思うでしょう。
僕も思っていましたよ。
しかし違うのです。意識しているということは、心ここに在らずがわかるように、心がここに在る時も「わかる」のです。
「ある」「見える」と信じて見ようとする自分自身の意識の力で、見えるようになるものなのです。
僕は、自分の心を無視されてきた人たちは、僕がやったのと同じように「自分を見ている人を自分が確認することで確信を得る」という方法しか、他人のいる世界に出てくる方法はないと思います。
または、死にそうな窮地になり、土壇場で覚悟を決めてなりふり構わず行動でもするか。
追い込まれて覚醒する時もありますが、そうなる事態が来るかどうかがわからないので、平穏な日々の中で体験するなら僕が思う方法しかないでしょう。
人の心が見えるようになれば、人が怖いという気持ちもなくなっていきます。
なにせ、わかるのですから。