悩んでいる皆さんが乗り越えなくてはならないのは、僕がかつて他人はみんな敵で、自分はとても不幸で可哀想な子だと思い込んで自殺しようとしていた頃に乗り越えた苦難です。
まだ自分だけの世界を生きているつもりで、この現実世界が現実だとも思っていない時期でした。
やるべきことは、怒りを制すること。冷静に考えること。
人間が最初に願望を思い描いて他人を操作しようとし、払った犠牲の分だけ人を恨むのは完全に不当な怒りです。
この世界が我が物であったならば、と仮定した世界を生きた結果生まれた怒りなので、不当な怒りです。
普通だったら、少しくらいは、そんな軽い気持ちで人間を操ろうとし、そのため心を隠し誰とも心通わせることなく、地獄に落ちていきます。
自分にはちゃんと理由があるんだ!
当たり前のことで威張る。自分のことは事情や内側まで考慮するのに、他人のことは表面を自分の都合で見て判断し人の中身まで勝手に空想で作り出す。
完全に自分の妄想で作り出した世界です。
そもそも、自分が特別な生き物ではないのですから。
この「神に敵対する行為」は、即刻心の世界で罰されるものです。
負の感情に苦しむことで、罰を受けます。
その苦しみから逃れたいならば、まずは怒りを制することです。
自分は何も悪くない!と思って怒りを抱えている時は、どうあっても自分の怒りに合わせた悪人を生み出したくなるものです。
しかし、相手は誰でしょうか。
それが親なら最悪の事態になっていきます。
相手は仲間である誰かではないでしょうか。
その仲間を敵視するならば、自分こそ人間の敵なのです。
僕も当時は誰彼構わず心の中でバカにしていました。
表面ではいいことを言いますが、それを優しさと勘違いして優越感に浸り、心の中ではバカにしていました。
自分の方が上だと思っていたからです。
僕に親切にしてくれた子もバカにしていました。
他の子と違い、何をしても嫌な態度にならないし、翌日にはまた忘れたかのようにいつも通りだったからです。
この子はなんにも気にならないんだ、と思っていました。
他の子なら嫌なことでも、この子は嫌じゃないんだ、と思っていました。
愚かな人間だったのです。
嫌なことがあっても、僕と違って「相手の身になって考える」をしている人がいると知らなかったからです。
嫌だなと思っても、そのまま相手を敵視していたらキリなく敵対していきます。
一度敵対してしまったら、二度と仲良くなるなんてことはできません。
それが親でも同じです。
敵対してどちらかが悪人になってしまえば、もうおしまいなのです。
悪は善に倒されるだけ。
謝って反省したら仲直りなんてことはあり得ません。
謝らせて反省を強要したら、それは支配にしかならず、その後の関係は服従関係と同じになってしまうからです。
自分の中に敵意があるならば、もう関係はおしまいなのです。
心の中で相手の様子を伺い、品評する目で見ているならばそれはもう人間の仕業ではありません。
神が作った世界にやってきた、破壊神です。
自然に存在していたものを、自分の意のままに操るため、自然を破壊するため生まれてきたのです。
人間ではありません。
だから人間が嫌いだし、怖いし、そして心など通わせられないのです。
もし、自分が人間だと自覚できたならば、まずは怒りを制することです。
そして相手の身になって考えることです。
味方になって考えなくては、自分の都合だけ押し付ける独裁者になってしまいます。
嫌なことがあっても、人と仲良くできる子は「友達なんだから」と怒りを制して相手の身になって考えます。
そこに相手が悪人になるという結末はありません。
人間は誰でも理由があり、本人の身になって考えたら敵になるはずがないからです。