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怒りを制することからはじめる~幸せへの第一歩~無料記事

 僕は当時、ずっと人を操作しようとしていました。

 他人を動かそうとしているから、はっきりと自分の意思を言わないし、常に後出しだし、良さそうなことを言い、気に入られそうなことをやる、自分を傀儡にしてふざけて生きている子供でした。

 そこにいるのは僕ではないのです。

 僕が操る「これならいい子に思われそう」だと思って作り出した、心無い人間の形をした木偶人形です。

 相手の反応を見ては、「これじゃダメなのかな」「これならいいかな」と、相手から望んだ答えを引き出すために必死になっていました。

 自分は人間を操る力があると勘違いし、操られる側の他人を見下していました。

 優しい子に出会うと「まるで自分が操れているかのような気分になれる」ので、すっかり調子に乗っていました。

 それだけ相手が寛容で、僕が「やってほしそう」にしていることを理解し、険悪なムードにならないよう、うまく扱っていたのです。

 うまくあやされていたのは自分の方なのに、自分の望むことをこの子相手になら叶えられる、とすっかり勘違いして、自分にすごい力があるかのような錯覚をしていました。

 自分は好かれている、自分はすごいんだ、そして相手は自分より下だと思っていました。

 正反対だったのです。

 僕は見たまんま「何かしてほしそう」にしか見えないし、それをハッキリ言えない、臆病な子供にしか見えなかったのです。

 自分が人を動かせているわけがないのに、相手があまりにもうまくあやしているものだからすっかり勘違いしたのです。

 自分が他人を操作しているかのような錯覚。

 それは、母親にしてほしかったのにしてもらえなかったことでした。

 僕の言うとおりに、望み通りに動いてくれる誰か。

 僕のために生まれてきた人だ!と思える感覚です。

 相手が自分の人生のために存在しているかのように思ってしまうのです。

 それは完全に幼稚園児の感覚で、相手が自分より下だと思えているのは自分が未発達で成長している人がどんな感覚なのか、想像もつかなかったからです。

 そして思い通りになると期待していたのに、段々と思い通りにならなくなると今度は恨む。

 嘆いて、自己憐憫するのです。

 恨みは、怒りが持続している状態です。

 思い通りにならない!と拗ねて怒っている状態がずっと続いていて、更にその感情を自分でなんとかできないのです。

 相手があやしてくれないと、母親のように謝ったり言う事を聞いたりして宥めてくれないと、自分の感情も一人でどうにもできない赤ちゃんだったのです。

 当時の僕は、自分の意思で動いていませんでした。

 「こうしよう」と決めて発言することなく、面白くないことがあると感情任せにでたらめを口にする人間でした。

 心から思っていて伝えたいわけでもないことを、その時の気分で口にして人を傷つけたり不安にさせたりして、それを「僕を傷つける罰」くらいに思っていました。

 僕を傷つけることは罰を受けなくてはならない罪だと思っていたのです。

 しかしそのせいで、本当のことを言っても信じてもらえなくなっていきました。

 適当なことを言っていれば、話自体を聞いてもらえなくなります。

 誰も信じてくれなくなります。全て自業自得です。

 図に乗って行動し、すっかりいい気になっていると、今度はうまくいかなくなった時にどうすればいいのかわからなくなり、他人に責任を押し付けて自分を被害者に仕立て上げるのです。

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