可哀想な子になってしまうということは、「誰か感情をあやしにきて」ということです。
自分ではなんともする気がなく、感情は母親代理の誰かになんとかしてもらおうという姿勢。
それが不幸だ不幸だと嘆いては誰かを待っている状態です。
起きた現実に堪えられず、考えることすらできないので感情の方をなんとかするために暴れているのです。
誰かに聞かれてもいないのに唐突に自分の話を聞かせて、安心させてもらわなくてはなりません。
そんな状態を続けていたら、僕の人生はおしまいだったでしょう。
誰もいない架空の世界で、他人は都合よく悪人に仕立て上げながら、自分だけが特別素晴らしい人間かのように傲慢な気分に浸り、現実には何が起きているのかわからないから本当は何が起きるのか怖くてしょうがないので、脳内だけで威張って実際にはビクビクしながらコソコソ人真似をして生きる。
世間の何かに縋りついては、自分のものではない何かを振りかざして人を見下して安心する。
そんなどうしようもない小者でした。
根本にあるものは「自分だけが特別な存在だ」という傲慢さです。
自己執着が強く、他人の身になったら「負け」という気持ちがあります。
内面的には本物の幼児なので、実際には逆なのですが「言う事を聞かせた方が勝ち」という感覚なのです。
自分が正しいと認めさせたら、自分の方が正しいのだから上だ!と思うのです。
自分から自分が正しいと認めさせるのは、不安でしょうがないお子様です。
成長できている人は、誰にでも理由があって自分は正しいと思っているのは当り前なのだから、自分が知るべきは相手の方の理由だけ、とわかっています。
だから相手の方の理由を先に聞くのです。
そして僕のような幼稚園児並は、自分の都合を必死になって語り、今に関係のない過去やどんな気持ちなのかまで語り尽くして、相手に謝ってもらい更に悪人であるはずの相手に労わってもらい、それで満足できるのです。
自分が正しい!なんて言わなくても、そんなこと本人はわかっていて当たり前。
そんなこともわからない子供でした。
気に入らない子は徹底的に悪人として頭の中にキャラクター化しました。
最初から「悪者だ」と決めつけた態度で接していました。
自分が主人公だから、自分が必要とするものに関係のない子たちは、どうでもいいモブキャラとして関心さえ持ちませんでした。
「僕が望んでいることをしてくれる子だけが、僕の人生に必要な子」
それでは、僕なんて誰にも必要がない子になってしまうのですが、主人公は僕だけなので気にもしていませんでした。
気づく時は突然です。
しかし、気づく時は必ず「冷静に考える」のです。
だから、怒りを制することが重要なのです。