性格が悪いことは犯罪ではありません。
人でなしでも問題なく生きていけますし、それを直さなくてはならないわけでもありません。
しかし、人のことを考えない利己的な人間は、常に負の感情に苦しむことになるのです。
人間関係で破綻したら、相手を恨みます。
酷い人だったからだと恨むのですが、それは違います。
どんな相手であっても、自分がどういう姿勢で接していたかで結果抱く感情は変わります。
この本物の人生を、神に与えられたものを捨て「なりきりいい人ごっこ」で生きる人は、それが親でも兄弟でも極悪人にし、自分は家族の中でたった一人可哀想で優しい子、と都合のいい立場になろうとします。
当時の僕もそうでしたが、それこそが鬼の子です。
心の世界で地獄の業火に焼かれ、幸せなど感じる日は来ません。
とにかくなんでも他人のせいなのですが、結果として常に負の感情を感じることになるのが「道理に反した人」です。
人のことを心無いと罵る自分こそが、仲間であるはずの人を自分の都合で悪人にしている心無い人間なのです。
僕もすっかり自分は良い子で優しいと思っていましたが、まるで正反対でした。
自分以外の子のことなど、想像したこともなく、心なんてないと思っていました。
僕は常に自分の心の中で気取っていて、周りの子がどう反応するかだけ見ていたのです。
本当に、すっかりこの世界を舞台のように考えていて、人前に出た時だけ、いつだってなりきり世界の主人公でした。
主人公気取りなので常に「いい人」を演じます。
そのために犠牲を払って人をバカにし続けると、その分だけ怒りが強くなり絶対に相手を悪人にしなくては気が済まなくなります。
自分の都合をぶった切り、「理由は全くわからないけれど、仲間なんだから」と怒りを制して「まずは相手のこと」を考える。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれです。
自分が心の中で他人と張り合って戦っているから、相手を悪者にしないと今度はこっちが悪者になる、と思えるのです。
それは自分の頭の中だけの世界なのに、頭の中の世界と現実の区別がついていないものだから、悪人にならないために悪人にすることに必死になるのです。
しかし、怒りを制し、他人も同じ人間なのだと自分自身が人間となって考えれば、最初から敵などどこにもいなかったのだと気づくでしょう。
敵は己の中にあり。
自分自身の怒りが生み出した妄想の敵と戦っていただけなのです。