いつかは自分が死ぬ。
現実に人の前で、死んで見せなくてはならない日が来るのです。
それが自分の最期です。
その時に向かってただ進んでいるだけなのです。
死ぬときには全てが通り過ぎただけの思い出となるのです。
振り返った時、最後に自分がどう感じるかで人生の満足度が決まると言ってもいいのではないでしょうか。
今振り返って満足できないならば、明日振り返って満足できる今日を過ごすしかありません。
しかし、いつまでも生き永らえるかのように思わせてくる社会の仕組みの中にいると、どうしても目先の不満ばかりに目が向くことでしょう。
人々が最大限不満をため込んで、何かのせいにして戦いたいほどのストレスがたまった時に、戦争は必要になるものなのだ、と思いました。
戦争になれば、死が身近になります。
明日は死ぬかもしれない時に、見栄を張って自分を大きく見せて、格好つけていたいと思うでしょうか。
まずは生きることが第一になるでしょう。
自分が生きたくても、生きることが許されないかもしれません。
戦争に行けと言われたら行かなくてはならない。
頑張って育てた我が子はいきなり死ぬかもしれないのだから、親だって子供が立派になってくれれば安泰だなんて思っていられません。
そんな世の中になれば、みんな死を覚悟し始めるでしょう。
もっと大きな苦難がやってきた時に、人様に何かを分け与えてもらっても感謝できるでしょう。
「こいつならもっと夢を叶えてくれそうだ」なんて下心を出している時ではありませんから。
死を覚悟した時、今起きていることに感謝する生き方に変化していけます。
だから、戦争はみんなが不幸になった時に必要となるのだなと思いました。
必要がないのに起きるものはありません。
破壊が繰り返されるのも自然の流れです。
どうせいつかは死にますから、戦争が起きようが起きまいが、自分にとって最大の破壊はやってくるのです。
「こんな風に死にたい」なんて夢を広げていられるのも、本気で考えていないからです。
夢ではなく、現実に死んで見せなくてはならないのです。
それは不幸ではなく、誰もが生まれた時に約束された未来です。
幸せを感じるために約束されたゴールと言えるでしょう。
終わりがあるとわかっているから、今を大事にできるし、ささやかなことに感謝もできるのです。