月: 2020年2月

嘘つきの子

 ナルシストの親は、他人のことは一面しか見えていない。

 子供は親の内ヅラと外ヅラの違いを知っている。

 子供はそれを真似るようになる。

 「そんなこと言うもんじゃない!」

 人前で叱られる。
 言ってはいけないのだと思う。

 だから人前では嘘をつかねばならないと覚える。

 これを、幼い頃に覚える。

 そして子供は、外では友達にも恋人にも、全ての人に対して外ヅラで付き合うようになる。

 親の裏表が激しい。子供は区別するものなのだと覚える。子供は親の前でも本音を言えない。親の前でも外ヅラになり、親のことは外に出て本音を言う。

 本来は、おべっかを使ったり社交辞令を使ったりするのは大人だけであるし、更に友人や恋人にそんなことを言う必要はない。

 「形だけの付き合いをしなくてはならない誰か」に対して、する人もいるし、しない人もいる。

 一言で言えば、嫌いな人に対して行う付き合い方である。

 その程度のことである。

 だが、子供は内と外で違うことを言わなくてはならないのだ、と覚える。

 そして、友達の前でも本音を言わず、恋人ができても本音を言わず、誰彼構わずご機嫌を取るような「一般的に良い意味のこと」を言う子になっていく。

 そんなことは、自分個人の付き合いが始まったらやめてよい。

 親の前でだけしていれば良い。
 個人的な付き合い、自分の人生でまでそんなことをしたら、自分は誰とも友達になれない、愛し合うこともできない。

 常に「相手が気に入りそうなこと」を言って、嘘つきにならねばならない。

 「本当にそんなこと思ってんの?」
 「嘘くさい」

 「社交辞令を言っている」

 そんな風に見抜く人は、「この人は私とは仲良くしたくないんだ」と思って去っていく。
 「親しくなりたくありません」と言ってしまったようなものなのだから。

 それは、「親しくなりたくない相手」「心理的に関わりたくない相手」にだけするものである。

 仲良くしたい人は本音を聞きたい。
 本当に好きなものを知りたい。
 本当に嫌いなものを知りたい。
 本当にどう思ったのかを知りたい。

 だが、人前で「気に入られそうなこと」を言う事を求められたと勘違いした子供は、嘘をつき続ける。

 それが友達相手にやれば「嘘ばっかり言う子」になってしまうと知らずに。
 「良いことをしている」と勘違いして続ける。

 本音を言う子がいたら、母親に言われた通りに「そんなこと言うのは良くないよ!」と真似る。
 母親でもないのに、真似て友達を叱る。良いことをしていると勘違いしているから。

 本音を言ったら文句を言われるのだから、友達はその子に本音を言わなくなる。その子と同じように、その子に対する本音も他に行って言うようになる。悪口を言われるようになる。

 嘘つきの上に、性格の悪い嫌な子の烙印まで押される。

 実際にそうだから。

 「酷いことを言う子ね」
 「そんなこと言うもんじゃない!」
 「失礼でしょ!」

 意味もわからず叱られた体験が、後に影響を及ぼす。

 あっちの本音は向こうで言い、向こうに行ったら目の前のことへの本音は言わない。誰にも本音を言えない。

 誰とも親しくなろうとしない。

 そして、同じように形だけの礼節を重んじる「本音を言わない人」と形だけ仲良くなり、やがて結婚する。

 形だけ夫婦になり、形だけの結婚生活を送り、本物の子供を授かる。

 「ちゃんとした〇〇にならなきゃ」と思いながら。

僕が人生の後半に幸せになれた理由

 僕が幸せを実感できたのは、子供のお陰だ

 もう自分の人生は終ったのだ

 と諦めた

 結局意気込んで家を出てみても、所詮はこの程度

 あらゆる困難に打ち勝つどころか、ちっとも思った通りにできなかった

 周りのせいではない

 周りの圧力にも自分の不安にも、全て打ち勝っていかねばならなかったのだ

 なんとなく折れてしまった

 自分の人生を生きることを断念し、長いものに巻かれてしまった

 既に結果は出た

 今がその結果だ

 若い頃に思い描いた状況になど少しもなれなかった

 これが自分の実力だ

 それを認めて、諦めた

 「この程度の人間だったのだ」と

 今更何を格好つけることがあるだろうか

 子供に必要なものは愛情だ

 僕が一番欲しかったものだ

 我慢していれば子供を恨むことになる

 だから必要な場面では子供に頭を下げて道を選んだ

 何よりも優先されるべきは子供だ

 甘やかすわけでもない

 指導も必要だ

 「こうしなさい」と言い切ることはなかなかに勇気がいるもので、責任を伴う覚悟が必要だった

 何があっても俺が責任を取る

 その覚悟ができて、楽になった

 これから人生には何が起きるかわからない

 わからないが、どんな時でも必ず逃げずに直面し、乗り越えてみせる

 「もう逃げない」

 この覚悟があって、僕は変った

 背後を見たら子供がいる

 後ろに引けないこの状況が、親を前に押し出すのだなと実感した

 人は守るものがないと弱いままだ

 友人がいて半分、恋人ができて半分

 だが、子供は全てなのだ

 全て守られる存在なのだ

 全てから守るのが親なのだ

 少しずつ育てて行き、少しずつ守らなくてはならない部分が減っていく

 もし、この子がいつか旅立っていく日には、僕はきっと泣くだろうと思う

 一緒にいられるのも今のうちだけなのだ

 未来から今を見てそう考えれば、今を大事にしようと思える

 母も亡くなった

 未来から今を見て接してきたつもりだったが、僕の力及ばず個人的に別の問題を抱えて予定通りにも行かなかった

 家族を大事にしない人は、人の家族も大事にしない

 人が家族を大事にすることを大事にしないのだ

 僕は家族が大事だ

 だから、その他より優先する

 子供が一番優先なのだ

 だから僕はまず、父親であることを最優先して生きていくのだ

 それが以前は絶望的に感じたこともあった

 だが、今やるべきことをきちんと優先している時が、一番充実するのだと知った

 この子がいるから、役目があるのだ

 いなかったら、僕はなんの役目もない

 仕事ならば誰でも職場に入れば役目はある

 だが、人としての役目があるのだ

 僕が死ぬまで役目があるのだ

 必要とされて生きるということが、どれほど幸せなことだろうか

 離婚すればその夫は不要

 役目がなくなる

 先生の時は生徒で無くなれば役目がない

 相互性から成り立つ役目は、自然と作られていく

 その役目は全てその時限りなのに、子供に対しては一生なのだ

 親子という役目だけは、死ぬまで続くのだ

 その役目だけは、必要なのだ

 最初から与えられた役目

 仏教の教えについて考えると、やはり自分を必要とできなかった人に子が生まれるのだろうなと思う

 なんの役目も必要性も感じなくなった人が、自分の居場所を求めた結果なのだろうと思った

 この人生を生きるのは自分なのだと、覚悟して生きれば人は変る

 どうなってもどうあっても、この人生を生きるのは自分なのだと

 人は何かの役目がないと、生きていけない

 自分を必要とした人は自分で役目を決める

 「使命感」があるからだ

 だが、他人に役目をもらって生きなくてはならないと、どうしても何かに従属してしまうのだ

 生きる役目は自分で見出さなくてはならない

 他人にそんなものは決められないのだから