月: 2020年11月

コロナ感染症問題の議論のどこが間違っているか 加藤諦三先生のコラムより

コロナ感染症問題の議論のどこが間違っているかhttps://www.katotaizo.com/column/2020-08-11

 加藤諦三先生のコラムを紹介し、僕も少し意見を書きたいと思う。

 このコロナ禍の問題について、加藤諦三先生が現代社会人が考えるべきことについて書かれているので皆さん是非読んでいただきたい。

 内容については僕は全面的に賛同であるが、個人的には教授のお考えを目にし、安堵した。
 加藤諦三先生の考えを聞くと、いつも安心する。

 僕も僕なりに考えて意見してきてはいるが、こうして師の考えを知るにつけ「よかった」と安心する。

 僕が悩んでいる人の意見をそのまま考え始めてしまい、理解不能であった瞬間、横から「僕たちが正しいんだよ」と声をかけてくださったことを忘れはしない。

 やっぱり、これでいいんだ。とほっとした。

 今回もそんな気分である。

 そして、今回の文章を読んで気になった点があった。

 動物の親子はじゃれ合う。
 動物は全部じゃれ合う。ライオンも、犬も意味もなく親が子どもと戯れている。
それがふれあいである。
 親子でじゃれている。
 コロナ感染症の時代はなによりも子ども同士もじゃれあわない。子どもが子どもを嫌いになる。


 動物は全部じゃれ合う。ライオンも、犬も意味もなく親が子どもと戯れている。

それがふれあいである。

 親子でじゃれている。

 コロナ感染症の時代はなによりも子ども同士もじゃれあわない。子どもが子どもを嫌いになる。

 今の日本は親が子どもと戯れてくれなかった。

 ふれあわない。

 この一文である。

 ふれあい。

 「じゃれている」

 そうか、あれは「じゃれている」なのか、と気づいた。

 僕は娘とじゃれる。毎日やっている。意味もなく帰ってくれば抱き合ったりくっついたりする。

 ソファーで一緒に動画を観ている時も、じゃれる。

 友人の子が泊りに来ても、頭をぐりぐりしたりみんなでくっついてじゃれる。

 恋人がいる時もじゃれる。

 意味もなく抱きしめたりくっついたりする。いたずらをしたり匂いを嗅いでじゃれる。

 それは当たり前だと思っていた。

 以前、毒親たる友人にスキンシップの大切さを話した。

 その時友人は「私も娘と抱き合ったりするからやっている」と言った。

 「ちゃんとやっている」という意味だ。

 それは「じゃれる」ではないのだろう。

 なぜじゃれているのか。そうしたいから。

 神経症の恋人にじゃれようとすると、意地悪をしようとしているとか、そういうことをするものではないとか、批難される。

 そして、「きちんと行儀よく、礼儀正しく、女子にはこうすることが良いこと」を行うよう要求されて、嫌いになる。

 じゃれていないと嫌いになる。

 当たり前だ。

 きちんとしていたら相手を嫌うのは当たり前だ。

 家の中にいて家族を相手にきちんとしている。

 恋人に対して「きちんと女性を尊重した扱い」をするために、親しそうな真似はしない。

 「馴れ馴れしい」ということなのだ。

 神経症の恋人は、恋人になっても馴れ馴れしい真似をされたくない。

 あくまでも他人行儀できちんとした形式ばった関係を続けたい。

 人間が嫌いなのだから、親しみを込めた関係になりたくない。

 そんな人は、簡単に言われなくても「自分のことが嫌いなんだな」とわかる。

 礼儀正しくきちんと良いことをされたところで、じゃれることを嫌うならば相手が嫌いなのだ。

 家族は毎日じゃれている。

 子供は寝る時に布団に転がると、布団を引っ張られて転がり落ちて喜ぶ。

 顔をくっつけて頬ずりすると、ヒゲがいたい!と言って喜んで嫌がる。

 とにかく、一緒にいる時はじゃれている。

 かつてもっと子供が幼い頃に、僕がそうして娘にじゃれている姿を見て母に罵倒された。

 「そんなに大きくなった子供に、何をバカな真似をしているんだ!幼稚園児みたいな真似をするな!」

 とケチをつけられた。

 母の中では「立派な大人」は自分と同じ人間嫌いのことである。

 べたべたしていることは恥である。ふざけていても叱られる。

 ところが母の常識に反して、僕は恋人のスカートをめくって喜んでいるような息子になった。

 「良くないことだ」と思ったであろう。もし知ったならばだが。

 好きな女にはじゃれる。

 だが、嫌いな女にはじゃれない。

 自分を嫌う恋人は、決してじゃれてこない。

 じゃれることもないから、こっちも好きにならない。

 嫌いな女子なら丁寧に丁重に扱う。きちんとした扱いは遠い関係であるか嫌っているかである。

 心理的に遠い関係にいれば、親しいはずの間柄でもきちんとした対応をする。

 人間が嫌いな人は、じゃれることを嫌う。ふざけて遊ぶことを嫌う。

 親しい間柄になるために、セックスすることも義務化したものであり、形だけである。

 それは「親しい関係になりました」と証明するための儀式なので、じゃれることもない恋人や夫婦にとってはただの義務化された作業である。

 ある友人は「子供はもういるから、セックスはする必要が無くなった」と自身の夫婦のセックスレスを正当化した。セックスは子供を作るという必要性の元に行うものであって、友人にとって愛する人と「したくなる」からするものではないのだ。

 セックスをすれば愛し合っているという証明になるのか、と思えば、今度は義務感からセックスすることで「私たちは仲良し夫婦です」と他人に認めてもらおうとする。

 愛し合っている夫婦は成功した夫婦であると思うから、きちんと成功した夫婦であるためにしたいかしたくないかに関わらずセックスもする。

 結婚して子供を作らなくてはならないという義務があるから、好きでもない人と恋人になり夫婦になり、そして形だけは役目をこなす。

 全部やったら嫌いな人とはできるだけ関わりたくないから、家族はバラバラになりたい。

 最低限の部分だけ口を利き、後は自分の世界で一人好きにしていたい。

 子ども時代、夜の寝る時間が来る。母親と一緒に布団にシーツを引いた後で、子どもはシーツの上で飛び跳ねて母親とじゃれる。

 シーツをくしゃくしゃにした後でお水を飲む。

 今は、ふざけることが怒りになる。

 親が子どもと戯れてくれなかった。

 この戯れがないのが「親しくない恋人や家族」である。

 恋人や家族なのに「親しくない」もおかしな話だが、実際そうなのである。

 好きと言いながら、いつまで経ってもきちんと座って行儀よくする彼女がいれば

 「こいつは俺のことが好きではない」

 と即座にわかる。じゃれ合おうとしてもピクリともせず笑っているだけならば、それはただの拒絶である。
 子供は母親にじゃれようとするが、母親はそれに付き合わない。面倒くさそうにする。子供は拒否されていると感じる。

 もし「好きじゃないんだよね」と言ったら「そんなことないのにひどい!」と責めてくる。だから好きではないのである。

 そんなことは当たり前だ、と思っていたが、いつものことながら「何がわからないのか知らない」ので、今回もまた「そうなんだな」と納得した。

 僕は娘といる時間が一番幸せであるが、それは娘とは安心してじゃれ合う関係だからだ。

 学校の友達には「お父さんと仲いいね」とよく言われたようだが、娘はそれが普通だと思っている。
 みんなそんなものだと思っている。

 以前娘が、一人暮らしをしている同僚の家に皆で遊びに行った。

 そしてこう感想を述べた。

 「家に帰っても誰もいないから、仕事で嫌なことがあってもそのまま一人で嫌な気分のまま寝て、また翌日仕事にいくと思うと一人は大変だなと思う。」

 自分は家に帰れば僕がいるから、嫌なことがあっても家で癒されて翌日には持ち越さないけど、家族がいないと嫌なことがあっても一人で悶々としなきゃならないだろうな、と言う。

 その時僕は「家に帰って家族がいても、寧ろいない方がまだマシだと思える家族もいるんだよ。いればいいってもんじゃない。」と教えた。

 僕は娘が可愛いので娘を守って生きている。
 僕が毒親の子で辛い子供時代や親子関係を送ったからこそ、「俺だってやられたんだ!」と母と同じことをしたり、また他人に「お前はいいよな!」とケチをつけられていじめられることのない人生を送ってもらいたいと願っている。

 親子のやり取りは子供の生涯の「当たり前」の基準になる。
 だから親子の関係は大切にしている。

 幸せなだけで恨んでくる人はいる。
 不幸な人は幸せな人も不幸になれば、自分の気持ちがわかると思っている。

 だから人を不幸にすれば、自分が優しくしてもらえると信じている。
 自分の恨みをぶつけたところで、幸せな人は優しくしてくれない。
 それすらわからない。

 お母さんだってやられたんだ!
 どんなに苦労したかわかるか!

 そして人を罵る。そうするとどうなるか。
 ただ嫌われていくだけである。
 だが母はそんな自分を「誰もわかってくれない可哀想な私」と思い込んで亡くなった。

 僕はそんなことをしたら嫌われるだけだと気づき、自分の苦労など特別だと思うのは間違いだ、気持ちの辛さは形ではわからない、と人を知る方向で生きた。

 結果、今の僕の家族がある。
 毎日じゃれていて幸せである。

 これがあるから生きていける、と心から思う。

 しかし、現代の大人は異性にしても大抵の人はじゃれたくない。

 目的が違う。遠くから尊敬される立派な人になりたいだけなのだ。
 じゃれていたら立派なところが披露できない。

 賛辞されることは難しいが、親しくなることは簡単である。
 僕は賛辞されることを諦め、親しくなることを選んだ。簡単な方を選んだからすぐにそうなっていけた。

 能力なら優劣もつくが、親しくなることに能力の優劣は関係ない。

 テストの点数が悪くても、家族は仲良くできる。

 しかし、〇〇家軍に所属する軍人たちは、そうはいかないのだ。

 軍の規律をしっかりと守り、決められた通りの家族を作らなくてはならない。

 立派に作った軍人が優秀な人材として優遇される。

 僕の父はやはり軍人として生きる人であり、母に暴力をふるいあざだらけにするほど殴る人だった。

 それに従い恨んだ母は、負けじと軍人になった。

 僕はそこから脱落し、じゃれあって親しくなる世界に行った。

 それだけである。実際にはじゃれ合う関係になる方が簡単なのだから、どんどん親しくなる友人は増えた。

 親しくなりたい人はじゃれ合うが、認められたい人はそんなことはしない。

 したくない。

 僕が軍人の子として生きていた当時、じゃれ合う友人たちは羨ましく思えた。そして憎らしかった。

 だが、立派な軍人として認められるためには、そんなことは言っていられないのだ。

 親しくなるなどという遊びをしている暇はなく、立派になることだけが全てだったのだ。

 どんどん遠くなる友人たちの笑い声を聞きながら、生涯軍人として競争の世界に行く方向で生きていた。

 ただ、僕はそれなりに軍人として認められ、何よりも愛情不足だったために脱落した。

 自分の思い通りにしたいという願望より、本当に親しくなりたいと言う欲求が勝ったのだ。

 勝ち負けを捨てれば、じゃれ合う関係は作れる。勝ちたいうちはじゃれるなんてふざけたことはできない。

 じゃれ合う仲間がいれば、恋人と破綻しようが、仕事で失敗しようが、生きてはいける。

 何がうまくいかなくても、他がある。

 常に誰かがいる。親しい関係がある。何が消えても残る。

 ある友人は夫が自分を心理的に虐待していると言い続け、離婚した。

 大変な被害に遭っている不幸な人だという顔をして生きていて、当時は滅多に会わないのでそんなに気にはしていなかった。

 夫さえいなければ幸せなのだと豪語した彼女は、「ママと一緒に来てくれる?一緒に幸せになろうね」と娘を連れて家を出たが、実際には親子二人になると娘を殴り、罵倒し、虐待している。

 夫が再婚するとなると、途端に不機嫌になり思春期になってきた子供からも逃げた。

 離婚する前のママは、手間暇をかけた料理をしてくれたと娘は言う。
 離婚した途端にやらなくなったという。夫に見せびらかすためだったのだ。

 もう見てくれる人がいなくなったから、やらなくなったのだ。

 そんなママと娘はじゃれない。
 「ちゃんとやっているから大丈夫」と言う。だからじゃれていない。

 そこにいればくっつきたく「なる」のである。

 だからじゃれている。

 好きだからじゃれる。

 恋人も好きだからじゃれる。嫌いな恋人はじゃれない。

 嫌いなら恋人ではないが、形だけが欲しいから我慢してじゃれない相手と恋人になる。

 子供は母親にじゃれてくるが、一方的に好かれたい母親は子供がじゃれてきても軽くあしらって満足する。

 異性でも似たようなことをする人はいる。
 恋人になっても自分は好かれているんだと感じて劣等感を癒すために、じゃれてくる恋人を相手にしない。
 ただ立派にやっているということを見せつけて、尊敬されようとする。

 自分は好きだと感じさせる行動はとらない。立派な形式だけを実行し続ける。
 じゃれ合うことがないので親しい関係にはならない。

 自分はきちんとしているから、何も問題ないと思っている。
 そして他の異性と恋人がじゃれ合っていたら、「あの人の方がいいんだ」と嫉妬する。
 自分は相手にしなかっただけなのに、相手にしている人がいると「あの人の方がいいんだ」とお門違いなことを考える。

 相手にしないのは自分であり拒否しているのは自分なのに、自分が相手にしない誰かを他の人が相手にしていたら嫉妬する。

 相手にされなくても延々と追いかけ続けてくる人が好き。
 それは親子でも同じである。
 いつまでも拒否しても、何度でも子供がじゃれてこようとするのを見て癒される。

 戯れている仲間たちを見て人間嫌いな人がうらやましいと思うのはおかしい。

 それは矛盾である。

 自分は実際には人とじゃれ合いたくない。

 他人がいたら遠巻きに眺めて評価したい。

 欠点を見つけて優越したいのだから、じゃれたいわけではない。

 人間嫌いという呼び名もおかしい。

 ゴキブリが嫌いな人はゴキブリ嫌いだが、近づこうとしない。

 人間嫌いな人がなぜか人間に話しかける。義務でもないのに。

 ゴキブリと同じなのだから、近づかなければいい。

 人間が嫌いなのに世の中に人間ばかりだから、生きていて辛いのかもしれない。

 心理的に孤立した友人には人間嫌いと自ら言う人がいる。

 人間は嫌いだからペットがいい、とペットを飼う。

 「人間は嫌いだからペットの方がいいんだ」と人間にいちいち伝えに来る。

 嫌いなら来るな。

 寄るな。

 ケチをつけに話しかけに来るな。

 嫌いであっても構わないが、バカにするために近寄るな。

 自分を嫌いな人を好きになる人はいない。

 だから人間嫌いな人は全ての人に嫌われることが既に決定しているようなものである。

 自分が嫌いな生き物に好かれたいと思わない。

 ゴキブリが向こうから寄ってきて癒される人はいない。

 人をゴキブリのように思う人は、人間の恩恵にあずからなければいいのだ。

 何もかも人間が作っているのに、恩恵にあずかりながら嫌いだは傲慢ではなく幼児的な甘えだ。

 「お前らが嫌いだ」と先に言われて誰も話しかけられたくない。

 いきなり攻撃してくる人類の敵になる。

 ゴキブリを見たらいきなり攻撃する人は沢山いるが、ゴキブリから見たら人間は敵である。

 人間を観察してどんなことを企んでいるのか。

 人間が嫌いなのになぜ人間を見るのか。話しかけるのか。

 何を企んでいるのか恐ろしい話である。

 虐げることしか考えてはいない。

 ゴキブリにとっても僕たち人間は虐げてくる動物なのだから。

 しかし人間の世で生きる以上、世間的に許される抹殺方法を考えている。

 粗さがしをしてケチをつけられる理由を探す。

 迫害して排除できる理由を探す。

 ゴキブリが嫌いな人はゴキブリを全滅させたい。

 人間を全滅させたい人は、いきなり話しかけてきてケチをつける。

 敵だからである。

 人間を一層するためにやっている。

 ヒトラーと同じだ。最後には近しい人々も殺し、遠ざけ、自分が選んで母の身代わりと共に震えている。

 人間嫌いは多いが、ヒトラーほどになれる人が少ないだけである。

 友人は「私人間嫌いだから。」と笑いながら言う。

 「人間に関心ないし!自分にも関心ないし!」と笑いながら言う。

 人間に対して言う。実の子供の前でも言う。

 それが失礼だと思わないのは、人間をバカにしているからである。

 人間嫌いにとって、人間はゴキブリと同じだ。

 粗さがしをするために見ている。親も子供の粗さがしをする。

 何かあれば即攻撃する。一人でも多く叩き潰したい。

 そして「人間の中に理想の神様」を求める。

 人間が嫌いだから、人間ではない存在を探す。

 人間には不可能なことを求め、そうでないことは許さない。

 それが真の人間嫌いと言える。

 僕は違う。人間が好きなのでじゃれる。

 勿論向こうもそうであるときだけ、じゃれ合う関係になる。

 お互いに好きになればうまくいく。親しくなりたい相手同士が段々と自然に親しくなる。

 あれは「じゃれる」なのかと、加藤諦三先生の文章で知った。

 そんな表現は思いつかなかった。そんなことは考えたこともなかった。

 僕には表現のしようがなかったのに、さすがは教授だ、と益々尊敬した。

 じゃれてはいけない空気の人がいる。恋人という形式をとってもである。ふざけても平気なのが親しい関係なのに、ふれあいはない。

 きちんと親しくなり、きちんとデートをし、きちんとセックスをする。

 心理的には恋人にはなれない。普段からじゃれ合っている友人が恋人になれる人だ。

 そして親友になれる人だ。

 じゃれ合う関係では、誰かが目の前のものを取ろうとしたらパッと横からそれを取る。

 人間が嫌いな関係では、それを「意地悪をした!」と糾弾する。

 引用元の加藤諦三先生の文章の中に「ふざけることが怒りになる。」と書かれている。
 ふざけてはいけない。安心してじゃれても冗談を言ってもいけない。

 友人でも恋人でも家族でも、どこにいてもきちんとしていなくてはならない。気を抜いてはいけない。

 軍隊なのだから規律に沿った動きをしなくてはならないのだ。

 「我が家軍」の規律に反した人間を糾弾し、一人でも多く自軍の兵士を増やすために生きている活動家でもある。

 家族以外は敵。そして家族は軍隊である。

 じゃれ合う関係では人のものをサッと取ってしまう。

 「あー!とった!」と笑って取り返そうとする。

 「嫌がらせをした!」と本気になって怒らない。そもそも怒りがわかない。

 それが親しい関係である。

 故三島由紀夫氏は、いずれ日本は親が子を殺し、子が親を殺すような時代になると述べたそうだ。

 そしてそうなった。じゃれ合う親しさより、立派な軍人を育てる国になった。

 かつて昭和の初期にも文学の分野で天才たちが未来を予言している。

 そして今、加藤諦三先生も未来を予言している。

 僕がこの数年足らずで見てきた幼児から大学生程度の若者たちを見るに、この状況では加藤諦三先生の予想する未来になっていく可能性は高い。

 惨劇と呼べるほどの事態になりうるだろう。

 ふれあいを知らずに育つ子供が、心の中に優しさなどあるわけがない。

 母親の愛に触れずに育つのだから、愛のない人生を送るしかない。

 愛のあるなしは目に見えないから、一銭の得にもならないので不要という時代だ。

 「なんで人を殺してはいけないんですか?」と少年のような感覚を持つビジネスパーソンが生まれてくるだろうと加藤諦三先生が書かれているが、実際既にそれに近いことは起きている。

 「家族仲良くしたいと思っている」というビジネスパーソンが、そう思っていないのにその言葉を口にする理由を「そう言うのがいいことだと思ってた」と述べる。

 仲良くしたいわけではない。
 だが、そう言葉で言うのがいいことだと思っている。

 思ってもいないことを述べていることに、問題を感じない。
 伴侶にとっては「嘘をつかれた」ことになるとわからない。

 全ては形式だと思っていて、決まったとおりにやることが「良いことだ」と信じている。何がいけないのか本当にわかっていない。真面目で良く言えば純粋であるが、非常に幼児性が高い大人になってしまっている。

 何を聞かれても言い張れば、それが「なっている」だと思っている。

 だから口げんかに拘る。口げんかで押し切って正しいとされたことが事実になると思っている。

 口げんかで何を言っても事実は変わらないとわからない。事実は言葉のやり取りで勝った方が正しくなることだと思っている。

 現実は言葉にしなくても既に存在しているのだから、口げんかの意味はない。

 言葉で事実を「作れる」と思っているから、自分の望むことを言わせることに必死になる。

 幼稚園児の喧嘩である。
 自分が言葉で正しくなることなど拘らないのが成熟した大人である。
 疑問を持たないのに、自分が正しいと言い張ることに拘る。

 そしてその親もまた自分が正しいとされることに拘り、煽てられ肯定されることに喜ぶ。

 たった今、幼児の親である人たちが子供たちをまるで見ていない。だから将来が危険なのだ。

 今の話ではない。将来の話だ。

 僕が「京都の弟」と呼んで可愛がってきた少年も、今は青年にまでなったが順調に病んでいる。

 父は家を出ていき、母親と共に暮らしていた。

 母親には「あんたみたいな出来の悪い息子で、最悪な子育てやった。死んでくれたらせいせいする。」などと罵られ学生時代を過ごした。理不尽な中で親がすべきことを自分がすべきことにされ、それを当然なのだと思い込んで生きていた。

 「兄ちゃん、俺もう死にたい。この家から出ていきたい。兄ちゃんのとこに行ってもいい?」

 と高校生の頃に聞いてきたことがあった。本当に悲惨な目に遭いながら生きていた。

 性格はひねくれているが、あの子が本当は優しい子だと知る人は僕しかいないかもしれないと思えるほど、親には無関心を決め込まれて経済的にもいじめられてきている。

 殆どの親にとって、既に子供は自分のオプションと化している。
 子供ではない。
 子供と言う立場を与えられた、競争のための道具である。

 道具とじゃれる必要はない。良い大学に行き、高給取りの職に就き、親の劣等感を癒すほどの働きをしてくれればいい。

 子供の人生は親の道具である。

 心理的には親子ではないからだ。

 子供たちを大事にしない国は、いずれ滅ぶ。
 今抱えている感情は、やがて戻ってくる。成長した時にどうなるかは、子供のころどう育ってきたかによる。

 このコロナ禍の今、家にいても家族とじゃれている人とそうでない人がいるが、その差はとても大きいのだ。

 目に見えないものを軽んじた結果だ。

 人のせいではない。

 人間関係は家族だけではない。友人や近所の人々、様々な人がいて成り立つのだから。

 「あの人がじゃれるなんてことをしない」「私はそうしたいけど相手にしてくれない」

 と人のせいにする伴侶は、自分自身が相手が好きでじゃれようとしていない。

 たった今「~してくれない」という不満を述べている。

 きちんとじゃれようとする自分は偉いと言いたい。そのくらい幼児性が強い。

 とにかく「私は立派にやっている、不成功は相手の責任だ」と言う。

 相手のせいで不成功な結婚はない。結婚に一切責任のない伴侶はいない。

 最初から「共にやっているものだ」という責任感がない。

 バラバラに考えている。だから失敗している。

 こっちはちゃんとやってるんだから、お前もちゃんとやれ!という軍隊である。

 形の話をしているのであって、本当の夫婦の話ではない。

 こうした人が母親になると「私はちゃんとやったのに、あの子がおかしいからだ。」と子供の問題に無責任になる。

 お前が言ったからやってやったんだ。と責任を押し付けられる。
 子供に判断できないことを判断させ、親が子供の決断に従う。

 「自由に選ばせてあげているのだ」と自分の無責任な行いを合理化する。

 離婚の判断を子供に仰ぐ。どちらが引き取るかの決断を子供に仰ぐ。
 親が自分たちで決められない。

 自分たちの無責任を子供を好きにさせている愛情だと言い張る。

 自分の体裁を繕うために嘘をついていても、何十年先、子供たちが大人になった時にそのしわ寄せは必ずやってくるのだ。

 因果応報なのだから。

 他人を言い負かして勝利したい人は、既に人生に失敗している。

 本人が自分の正しいと思うことを行った人は、失敗しても満足している。だから他人を言い負かしに行かない。
 自分の優等ぶりを誇示しにいかない。

 母親と触れ合った記憶の無い人は、確かに愛など持てないだろう。

 これまでの定説ではそれはどうにもならないことであり、改善の余地もない。
 死ぬまで愛を持たない人として形だけの家族を持たねばならない。

 そしてそうなっていない例外が近年発見され、それが僕含むレジリエンスの子供たちなのだから僕も色々とチャレンジはするが、わからないことだらけである。

 少なくとも今回加藤諦三先生のお話から

 「やはり見えないところで異常なことをやっているんだな」

 と確認できてよかった。

 以前から予想していた通り、「僕が当たり前で口にするほどのことでもないと思っている何かに違いがある」ということだけは、正解だったようだ。

 今はまだ結果にならないが、数十年先を見越して幼児に対しては特に「ふれあいの時期」を体験させることを重視してきた。
 それが必要だとわからない親にとっては「なんの役にも立たないこと」だと思えるだろうが、将来的にその体験を刷り込んでいることは意味があるだろう、と再確認した。

 やはり尊敬する人の考えに触れることは、自分自身を高めるために常に必要であると今回の文章を読み自戒した次第である。

自分を偽って生きるまだ見ぬ友人へ


自分を偽っている まだ見ぬ友人へ

 君は、まだ自分を偽っている友人だね?

 人にいい顔をしてしまう。

 キャラクターを装って、優しい人になろうとか、親切な人だと思われようとか、強い人だと思われようとか、そんな遊びをしているんだろう?

 気にしなくていい。僕もかつてはそうだったんだ。

 でも僕はもうやめたんだ。

 今五年生なんだけど、もうやめた。

 前は僕も君と同じように、もっと強くてカッコいいキャラの役をやりたくて、嘘をついていたんだ。

 やりたくないこともやりたいって言う。

 だって僕は良い子の優等生なんだ。そういう役なんだ。

 僕はいつだって優秀で、平然としているような子の役になるんだ。

 だからみんなの前でもちゃんとその役を演じてる。

 僕はカッコいい優等生の役でいることにしたんだ。

 どんな時も間違えないし、冷静なんだ。

 僕は冷静だから、うっかり何か失敗をしても、平然とするようにしているんだ。

 つい慌てそうになっても、何事もない顔をするように頑張ってるんだ。

 だって僕は冷静だからね。

 すごく不安になっても、僕は動揺しているってわからないようにしてるんだ。

 そんな風に、僕はなりたい子になってたんだ。

 なりたい自分になれたんだよ。

 もちろん、本当は不安だし、失敗するし慌てたりする。

 でもそれが無いかのように振る舞えば、僕はなりたい自分になれる。

 みんながバカ騒ぎしていたら、それを大人っぽい冷めた目で見ているんだ。

 ちゃんとできるよ。大人っぽい態度をとるんだ。

 僕はそういう子だからね。だから大人っぽい態度をとるんだ。

 バカ騒ぎには参加せず、冷静な目で遠くから見ているのが大人っぽい子なんだ。

 だから僕はバカ騒ぎしている子たちが見えたら、絶対に参加しないんだ。

 僕は冷静な優等生だからね。

 僕はなりたい自分になれたんだ。

 自分はなりたい自分になれたんだけど、何もいいことがなかったんだ。

 こんなに良い子の僕なのに、何もいいことがなかったんだ。

 バカ騒ぎしている子たちは明るいけど、僕は辛い過去があるからもっと暗い雰囲気なんだ。

 だって、過去に相応しい自分はそれだからね。

 辛い過去があるんだから、それなりの態度でいないとね。

 家でも嫌なことばかりあるから、一緒にバカ騒ぎなんてできないんだよ。

 僕はほかの子より辛い過去があって、家の中でも酷い扱いを受けている子なのに

 友達と一緒になってバカ騒ぎするわけにいかないだろ?

 そういうのは明るい子がやるやつだからね。

 僕は辛い過去がある子なんだから、それなりに冷めた態度になっていないとおかしいだろう?

 学校にいたって、面白くないよ。

 だってひたすら優等生でいるだけなんだ。

 それに、僕はほかの子よりすごく頭が良いから、期待されてる。

 僕だけが学校に残って、何かをやらされるんだ。

 期待された結果を出さなくては先生をがっかりさせるから、家に帰って宿題として僕はやるんだ。

 トップでなくてはいけないんだ。

 一番知能が高いからね。成績も一番でないとダメなんだ。

 学年一だって先生も言うんだ。でもちょっとミスが目立つんだ。

 もっと注意してミスを無くすように言われているから、完璧に間違えないようにしなきゃならない。

 僕は優等生だから、バカ騒ぎには参加できないんだ。

 わかるだろう?

 成績優秀で辛い過去や不幸な境遇があるんだから、真面目に頑張って一番の優秀生を続けながら、ちゃんとやれてるって認められる子を続けなくてはならない。

 この子は大変な境遇なのに、きちんとやれてるって。

 でもいつまで続けても、いいことはないんだ。いつまで続けなくてはならないのかわからないんだ。

 僕はちゃんとやってるのに、誰も僕を見てくれないんだ。

 みんなの前でずっときちんとやっているのに、皆がいつになったら認めてくれるのかわからないんだ。

 誰に言いに行けばいいのか、見せに行けばいいのかわからないんだ。

 僕は真面目な子だから、いたずらもしないよ。

 みんなと一緒に隠れていたずらなんてしない。

 決まりはきちんと守るし、言われたことはちゃんとこなす。

 みんなより優秀にこなすんだ。

 それだけ頑張ってちゃんと一番になっているのに、誰も褒めてくれないんだ。

 ちゃんとやってるのに。

 頑張っても頑張っても、これ以上ないくらい優秀にできても、みんなは僕のことを無視するんだよ。

 ひどいだろう?

 みんなにわかるように、みんなの前でやっているのに、僕がお母さんに言われたとおりにして頑張っているってことを、誰も褒めてくれないんだよ。

 僕のことは先にきちんと説明したんだから、皆は自分たちが僕の何を見なきゃいけないのかもうわかっているはずなのに、僕の話を無視して勝手なことばっかりするんだよ。

 僕のことをきちんと確認せずに、すぐに好き勝手に遊びに行ったり他の話をしだしたり、ちゃんと僕を中心に考えてくれないんだ。

 僕が一番大変なんだから、僕のことをもっとみんなで考えるべきなのに、わかっていないんだよ。

 友達の話を聞いても、僕より大変な子なんていないんだ。

 皆は家族がいて、当たり前のように食事は母親が作るんだ。自分で作ることもしない貴族みたいな連中ばかりなんだよ。

 僕はちゃんとやってるのに、楽して生きている連中は本当にどうしようもないんだ。

 お母さんも言ってたんだ。

 貴族みたいな連中は子供だって怠けているから、勉強もお前以下にしかできないって。努力してない証拠だって。

 でも本当なんだ。小学生はもう大人なのに、遊んでばかりいるんだ。

 そんな連中がちゃんと頑張っている僕のことを、話したにも拘わらず無視しているんだ。

 どうでもいい関係ない話ばかりして、僕のことを皆でちゃんと話し合わないんだ。

 それで僕は、死のうと思ったんだ。

 なぜか急に死にたくなったんだ。

 だっていいことがないんだ。生きていても。

 これ以上できないくらい頑張っているのに、ちっともいいことがないんだ。

 これ以上完璧な成績なんてないってくらい優秀なのに、みんなが僕をちゃんと認めないんだ。

 みんなは冷たいんだ。自分たちのことばっかり考えていて、好き勝手に遊んでいてちゃんと僕のことを考えていないんだ。

 僕はちゃんと頑張ってるんだから、僕に正当な評価をすべきなのに。

 学校の屋上から飛び降りようと思ったんだ。

 みんなが屋上に来て、止められたけど。

 でも僕は本気で死のうと思ってなかったんだ。

 ただ、みんなが僕を無視して勝手なことばかりするから、ちゃんと話を聞いて欲しかったんだ。

 僕のどこがちゃんとできていないって言うんだ。

 みんなよりずっと優秀なんだ。

 友達にも親切にしているし、困っていたら助けてもいる。

 きちんと全部やっているのに、それでもみんなは僕をちゃんと認めてくれないんだ。

 不公平だろう?

 おかしいだろう?

 僕はちゃんとできているんだから、当たり前にみんなが認めて僕を受け入れてくれるべきだろう?

 友達は自分たちが僕に何をすればいいのか、ちゃんとわかっていないんだ。鈍感なんだ。

 説明を聞けば、僕にどうしてあげればいいのかわかるようなものなのに、バカなんだ。

 でも僕は考えたんだ。

 どうしてみんなは僕を認める役なのに、僕は誰のことも評価するために見ていないのかなって。

 僕はちゃんと頑張ってる。

 ちゃんとできてる。

 多少のミスがあっても、友達の比じゃない。

 僕は友達より上だ。

 じゃあ、誰が判定する役なの?

 何かの試合で競争しても、優劣を競う相手は判定する人じゃない。

 僕は「みんなより優秀」にやっているんだから、皆ではない誰かがいるってことだよね?

 どこに認めてくれる人がいるの?誰が見てるの?

 僕の過去や今の状況で、僕がこんなに頑張ってるってわかってもらえたら、僕はみんなに求めているものをもらえるんじゃないの?

 僕は最初から「どんなことが起きているのか」を皆にわかるように説明したんだ。

 皆はこの人生がどんなものか知らない人たちだからね。途中参加の人たちだから、知らないんだよ。

 だから僕は全部説明してあげるんだ。
 すごい話なんだから、この人生は僕の人生なんだから、ちゃんと皆は僕の話を聞かなきゃダメだろ?

 皆は僕の人生に出てきた人たちなんだから。

 僕はちゃんとこれまでのことを説明して、皆が一緒に続きをできるようにしてあげてるんだよ。

 僕がどうしたいのかもちゃんと言ってるよ。

 みんながちゃんと理解したら、みんなの輪に迎え入れられるんじゃないの?

 これだけ頑張ってすごいねって。

 こんなに優秀で偉いねって。

 皆が気づいてからが、やっと自由にできる楽しい人生でしょ?

 僕が頑張ってるってわかってくれたら、母親もなんとかしてもらえるんでしょ?

 みんながなんとかしてくれるんだよね?

 だって僕は悪いことしてないんだから。

 僕は何も悪いことしてないのに、お母さんは僕の話も聞かないんだよ。

 ひどいだろう?

 だからちゃんと話を聞くように、誰かが気づいて言い聞かせてくれるんじゃないの?

 「ちゃんと子供の話を聞きなさい」って。

 僕が認められたら、誰かが僕がどんなにちゃんとできてる子なのか、母にきちんと教えてわからせてくれるんじゃないの?

 僕はただ、みんなと仲良くしたいんだ。

 でもまだ認められてないから、我慢して頑張ってるんだ。

 みんながちゃんと僕が頑張っていることに気づいてくれないと、何も始まらないからね。

 それまでは我慢なんだ。

 皆がちゃんと僕の人生に気づくまでは。

 でも頑張っても頑張ってもみんなが僕をわかってくれないから、もう死にたいんだ。

 この人生はダメだ。

 もう一度やり直したいんだよ。

 君はわかってくれるだろう?

 僕の説明を今までちゃんと聞いてくれていた?

 僕の人生がわかったら、可哀想になっただろう?

 君も途中参加の人だから、今いきなり出てきたんだから、ここがどんな世界かわかってないよね。

 だから僕はちゃんと説明したんだよ。

 もうわかっただろう?

 だから僕を見捨てたりしないよね。

 だってみんなの前では言ってないのに、僕が我慢して良い子にしてきたって話も君は知ったんだから。

 ここまでわかったら、もうどこにも行かないだろう?

 ここで僕を見捨てたら、君は冷たい人になるからね。

 寄り添ってくれる人が欲しいんだよ。

 僕がこうして我慢して生きていくために、一緒にいて認められる日まで仲良くしてくれる人が。

 きっとこうして我慢して良い子にしていれば、ちゃんとやっていれば、どこかから僕をわかってくれる人がやってくるって信じているんだ。

 こんなに良い子にしているんだから。

 神様はこんなに良い子にしている僕を見ているはずだから、きちんとおりこうさんにしている僕を救ってくれる人が必ずやってくるって信じているんだ。

 どこから?

 知らないよ、そんなの。でも僕はちゃんといい子にしてるよ。

 それはどんな人なのか?

 そんなのまだ会ってないんだから、知らないよ。

 今はどこにいるのかって?

 知らないよ。まだ出会ってもいないのに。

 でもこういう流れになっている時は、後から僕をわかってくれる人がやってくるってことだろ?

 それがないなら地獄だよ。

 ないと僕が困る。

 いつやってくるのかなあ。

 もう死にたいんだよ。そのくらい辛いんだよ。

 早く来てほしいんだよ。

 僕を救ってくれる誰か。

 その誰かに出会うまでは、ちゃんと僕の人生をいい話にして、僕が認められるだけの良い子でいないとね。

 友達は今頃何をしてるかって?

 さあ。

 そんなこと考えたこともない。

 だってもういなくなったよ。

 明日になったらまた出てくるんじゃないかな。

 どうせ僕が関わるのはほんのちょっとの友達だから、他はどうでもいいけどね。

 そこにいるだけのやつだから。

 殆どの人は、そこにいるだけの人間なんだよ。

 よくテレビでも主人公たち以外に後ろにその他大勢がいるだろ?

 殆どの友達はあれだよ。

 僕に関わるまでは、今何が起きているのかこの話すら知らないんだ。

 何も知らずにいるんだよ。

 だから僕のことをちゃんと考えられないんだ。

 知らない子はまだしょうがないよね。でも知ったやつは許されないよね。

 この話って何かって?

 だから、この話だよ。

 この話。今君と話しているだろ?

 この話だよ。

 君も出てきたばっかりだから知らないだろうけど、この話は僕が全部わかっているから大丈夫だよ。

 僕はとにかく、ずっと我慢して頑張るんだ。

 いつか誰かがやってくるまでは、僕はじっと我慢して頑張るんだ。

 僕は偉いだろう?だって誰もちゃんと見てくれないところでも、こうしてきちんと良い子にしているんだから。

 わかってくれない連中はきっと罰が当たるね。

 この話が全然わかってないんだから、あいつらは悪役だよ。

 きっと僕をわかってくれる人が現れたら、あいつらはやっつけてもらえるよ。

 全員死ねばいいのに。

 親がいる連中はみんな死ねばいいんだ。

 全員親がいなくなればいいんだ。

 こんなに可哀想な僕がちっとも報われていないなんて、こんな世界は無くなった方がいいよ。

 無くなってもう一回やり直し。

 ねえ、いつまで待っていればいいのかなあ。

 いつかはわかんないけど、僕はちゃんと良い子にしているからこれでいいんだよね。

 明日もまた頑張らないと。ちゃんと優等生を続けないと。

 ほんと仕事と同じだよね。

 良い子にし続ける苦労を少しはみんなもわかってほしいよ。

 小学生だからって好き勝手に遊んでいられる連中にさ。

 自由な連中はいいよなあ。

 僕はまだ誰もやってこないから、まだ自由にもなれない。

 好きに遊ぶこともできないんだからさ。

 遊びたいなら遊べばって?

 そういうわけにはいかないよ。

 ちゃんといい子にしていないと困る。

 誰が困るかって?僕だよ。

 ちゃんとしてないと、認めてもらえないだろう?

 ちゃんとしてるから誰かがやってきた時に救ってもらえるんだ。

 それは誰が決めたのかって?

 わかんない。

 わかんないけど、ちゃんとしてないと。

 救われてどうなりたいのか?

 みんなをやっつけてもらって、今までの僕がどんなに偉かったかわかってもらうんだ。

 みんなにちゃんと言い聞かせてもらうんだ。

 みんなもわかったら、きっと泣いて謝るよ。

 僕がどんなに頑張ってるのか知りもしないで、無視して好き勝手に遊んでいたんだから。

 それで誰かに懲らしめてもらって、そうしたらみんなも反省して僕と仲良くしようとするよ。

 なんで仲良くしたがるのかって?

 悪いことしたのは自分たちだから。

 あと

 僕が可哀想な子だから。

 こんなに可哀想な子なのに、こんなに頑張って優秀になっていて、偉いだろう?

 皆は可哀想な子だって、説明したからもう知ってるんだよ。

 だから僕と贅沢に生きてきた他の子たちの努力は、全然違うんだ。

 僕の方が絶対大変なんだから、僕が一番優遇されるべきなんだよ。

 殆どの子は、死んでいいくらい贅沢。もう何も叶わずにこれからどんどん不幸になっても問題ないくらい贅沢。

 最初からずっと親がいるんだ。ずっと親が一緒なんだ。

 そんな人間はみんな不幸になればいいんだよ。苦労なんて知らないんだから。

 これを見ている人間も、もし両親がいるのに平気な顔で生きているならこれからどんどん不幸になればいい。

 僕はみんなより不幸なのにみんなよりずっと優秀でずっと努力してる。

 僕は言われたとおりにちゃんと良い子にしてるんだよ。

 僕はどこに行っても堂々としていられるよ。だってみんなが良い子だって認めることしかしてないから。完璧に良い子がすることしかしてないんだ。

 宿題を忘れたことなんて一度もないよ。
 テストだって一問でも間違えたら必ず後で復習して完璧に理解できるようにしてる。

 ケチのつけようがないくらい完璧にするって決めたんだ。
 だってちょっとでも失敗すると、お母さんがうるさいからね。

 だったら最初からミスしなければいいって気づいたんだ。

 批難されるような部分を残さず、完璧に問題ない状態になればいいんだって気づいたんだ。

 でももう疲れてきたんだよ。

 もう嫌なんだよ。

 あんな悪い子たちと僕では比較にならないのに、世の中は理不尽だと思うだろう?

 悪い子たちって誰か?

 親がいるのに平気でサボっていて、成績も完璧じゃないのに予習も復習もせずに言われたこともきちんと守らないような連中だよ。

 なんで親が何も言わないのかって?

 親がダメな親だから。

 宿題を忘れた子供に平気な顔で優しくするんだ。ちゃんと教育しなきゃダメなのに。

 子供も平気で笑っているんだよ。頭おかしいんだね。

 僕だってどんなに努力していてもミスはするんだ。

 だからこれを無くすためにはもっともっと努力しなきゃならない。

 サボってるやつらなんて問題外だよ。

 ちゃんとしてないと。

 いつまで?

 知らない。誰かが認めてくれるまで。

 それまでは?

 それまでは…ずっと良い子で居続けるしかないよ。

 だってそう言われたからね。それに、それは確かに良いことだからね。

 良いことをしているのが良い子だからね。

 認めてもらえるまで良い子でいないと。

 こんな僕をどこかで誰かが見ていないのかな。こんなに良い子なのに。

 死んで生まれ変わりたいよ。

神殿

 生まれ変わる時は、今生の全てを裁かれるんだ。

 閻魔様がいて、嘘をついた人間は舌を抜かれるんだ。

 迷信だけどね。

 この世は人間が作ってるし、人間しかいないんだから。

 僕、いい子だよね?

 だってちゃんと良い子にしてきたもんね?

 優秀な子でいたもんね?

 こんなにいい子はほかにいないよね?

 なんだろう、誰か見てる気がする。

 ねえ、僕はいい子だよね?

 君もそう思うだろう?

 こんなに優しい良い子はいないよね?

 優しい良い子って、僕みたいな子なのかな。

 これが「優しい良い子」なのかな。

 優しい良い子なのに、皆が冷たいんだよ。

 そうだよね?

 僕はこんなに優しくしてきた良い子だよ。

 親切なこと沢山してきたよ。

 良い子にしてずっとちゃんと待ってるよ。

 誰かを。お母さんかな。知らない人かな。誰か。

 誰かが来るから。

 そんなこと誰に教えられたのかって?

 わかんない。

 なんでわかんないのに待ってるのかって?

 わかんないけど、良い子にしてるから。

 「こうしてろ」って言われたから、その通りにしてる。

 それが「良いこと」だから。良いことだけしてるんだから、良い子だよ。

 それなのにあいつらは…。

 え?優しい子は人を怨むのかって?

 違うよ。僕は優しいけどあいつらがひどい連中だからだよ。

 苦労もしないのに甘えてばかりで親も子供もろくなもんじゃないって、お母さんも言ってた。

 だからそんな連中とは仲良くしないんだ。

 僕が好きな友達も、ろくなもんじゃないってお母さんは言うから、僕は自分から仲良くはできないんだ。

 自分からは仲良くできないんだよ。まともなのがいないから。ちゃんとした優等生ならいいんだけどね。そうでないのとは関わってはいけないんだ。

 僕は間違ってないよね?

 なんだろう。誰か見てるんだ。ずっと。どこからか。

 小さい頃も誰か見てる感じがしたんだ。

 ずっと。ずっと遠くから誰か見てる気がするんだ。

 まだ五歳くらいの時は、誰かいると思って大きな声で「だれ!」って叫んだんだよ。

 ねえ、この僕の人生を誰が見てるんだろう?

 話さないとわからない他人は、僕の人生を見てる人かな?

 話してくれれば僕もわかるけど、話がわかっただけで本当かどうか知らない。

 大体、ほとんどの子の話は僕には想像もつかないから気持ちもわからない。

 全然理解できない。想像つかないから、頭の中には何も思い浮かんでないよ。

 じゃあ、僕の話もみんなは想像がつかないんじゃないかな?

 僕はみんなと違うから想像がつかないんだ。じゃあ、違うのは向こうも同じだから、向こうにも想像がつかないんじゃないかな。

 もし説明されても想像もできなかったら、誰が僕のことわかってくれるの?

 僕の話をちゃんと想像するためには、僕とできるだけ似たような過去が必要なんだ。

 僕と似たような過去の子が現れるまで、誰にもわかってもらえないってことだよね。

 僕と同じような、できるだけ僕とそっくりな過去を持つ誰かが現れないと、いつまでも僕の気持ちはわかってもらえないんだ。

 それまで、いつになるかわからない、いるかもわからないその誰かに会えるまで、僕はずっとこうして生きていかなきゃならない。

 なんでそうしなきゃならないかって?

 僕がどんなに辛かったのか、我慢して頑張ってるのか、わかってほしいから。

 誰に?
 誰か。

 誰でもいい。

 そうしたらきっとうまくいく。何がって?

 何がだろう。

 何がうまくいくんだろう。

 僕が同じような子を待っているんだから、向こうもずっと待っているよね。

 僕とそっくりな過去なのに、僕と同じようなことをしている子が、僕とは正反対のことをしてくれるかな。

 僕と同じような過去なのに、待っている僕の反対に探して生きているかな。

 ねえ。誰か見てる。

ブッダ

 僕はちゃんと決まりを守ってるよ。良いことをしてるよ。

 ねえ、僕はお釈迦様の教えを聞いて育ったんだ。

 でもあんなの迷信だよね。宗教だからね。

 ああいうのは信じる人がいるだけの、どうでもいい道徳だろ?

 だったらいいよねってだけの話で、趣味みたいなものだろ?

 「どんな時も、人のことを考えろ」って教えられたんだ。

 だから僕は人のこと考えて、言われたこときちんとやってるんだ。

 お母さんに殴られても罵倒されても、お母さんは大変なんだからしょうがないって我慢してるよ。

 友達のことも考えてるから、親切にしてあげてるんだよ。

 先生に言われたこともちゃんと守ってる。全部守ってるよ。

 ねえ、なんかぞわぞわするんだ。どこかで誰か見てるんだよ。

 なんか怖いんだ。

 ねえ、僕は良い子だよね?

 ねえ、良い子って、誰が良い子だって決めるのかな。

 僕は、誰にとって今良い子なのかな?

 お母さんは僕にとっては良い母親じゃないんだ。

 それは、僕に嫌なことをするからなんだ。

 じゃあ、僕が良い子かどうか決めるのは誰?

 僕が自分のこと良い子って決められるんだから、お母さんが良い母親かどうかは、お母さんが決めていいことになるよね。

 ねえ、生きてる人間って僕だけなの?

 過去がある人間って僕しかいないだろ?君だって途中から出てきた人だから。

 ねえ、皆は過去がないのにどこから来たの?

 君はいきなり出てくるだろ?

 いきなり出てくる人たちって、どこから来るの?

 ねえ。これ、本物なの?

 これが、この今生きている人生が、お釈迦様の言った「前世の業から始まる今生」なの?

 ねえ、もし、もしもこの人生をちゃんと見ている人間がいないなら、本当にどこかから僕を誰かが見てるの?

 天から。

 ずっと誰かが見てる感じがするんだ。

 これはお釈迦様が天から見てるからなの?

 僕はすごくいい子だよ。一番の優等生だよ。

 でもそれって、天から見ても同じかな。

 何千年も天から人間を見ている存在から見ても、僕は本当に良い子かな?

 天が裁く時も、僕は本当に良い子かな?

 悪いのはみんなだよ。僕のこと信じてくれないんだ。

 僕は誰を信じてるんだろう?

 僕をちゃんと信じてくれた人。

 どうやって信じてるかわかるのかって?

 僕のことがわかったら、僕の嫌なことはしなくなるはずだろ?

 嫌なことって?

 僕の過去や今がわかったら、僕に何をしてあげればいいのかちゃんとわかるだろ?

 それをしてくれないやつは全員意地悪なんだ。

 僕はどうして誰にもしてないのかって?

 だって僕以外に苦労してる子は一人もいないから。

 なんでわかるのかって。

 なんで?

 だってあの子たちは苦労してない。

 苦労してないのは見てればわかるよ。

 苦労してる人間が、明るく楽しく遊んでいるわけないだろ。

 辛い目に遭ってたら、辛い顔をしてるだろ。

 そうじゃないと辛い目に遭って生きてるってわかんないだろ。

 「辛い子は暗い子」そうだろ?

 明るい子は苦労してない子。辛いことがないから明るいんだろ?

 違うの?

 だって辛いのに明るい顔なんてできないだろ?

 嫌なことがあったら、誰かが聞いて慰めてくれて、わかってくれるまでそのままじゃないか。

 それまではとりあえず良い子にし続けるしかないよね。

 ねえ、もしこのまま我慢して頑張っていても、十代になっても二十代になっても、中年になってもずっと「僕をわかってくれる人」が出てこなかったらどうしたらいいの?

 これ、何してればいいやつなの?

 どうすると良くなるの?

 ブッダ

 この話、いつ終わるの?

 この話?

 これ、お話なの?

 僕が生きてるこの毎日、これ何?

 これ、なんなの?

 お話じゃないの?

 そのうち終わるんだよね?

 だってこんな毎日じゃ辛すぎるから。

 とりあえず、決められたことだけきちんとやっていれば大丈夫だよね?

 何も悪くないんだから。何も悪いことしてないんだから。

 ねえ、これでいいんだよね?

 これで大丈夫なんだよね?

 死んだら全部終わり。

 これまでも沢山の人が生まれて死んだ。

 僕には過去があるけど、僕以外の、お母さんにも、知らないけど友達にも多分ある。

 ねえ、僕はみんなにとって良い子だったかな。

 僕は親切にしてきたけど、優しくしてきたけど、友達は嬉しかったかな。

 なんで僕のこと好きにならないのかな。

 ねえ、嬉しいことって僕が決めてその通りになるのかな。

 嬉しいことしてあげたって思ってるけど、喜ばないことって嬉しくないことじゃないの?

 嬉しいことされたら喜ぶよね。

 僕が喜ばない時、それが嬉しくない時なんだ。

 お母さんは「こんなにしてやってるのに!贅沢だ!我儘だ!」って怒るから、謝ってお礼を言うんだよ。

 本当は嬉しくないんだ。

 本当は嬉しくないんだよ。

 でも僕は、良い子だから、だから「喜んであげてる」んだ。

 お母さんが傷つくからね。喜んであげてるんだ。

 友達のすることも褒めてあげて、喜んであげてるんだ。良い子だから。

 そうしたらみんな傷つかないだろ?

 誰も傷つかない世界がいいだろ?

 よく喜んでくれる子がいるんだ。その子は好きな友達なんだ。

 もし、その子が喜んでいるのも「僕を傷つけないため」だったとしたら、僕はどう思うだろう。

 今まで喜んでくれたことも、褒めてくれたことも、全部僕が傷つかないようにしてくれていたんならどうだろう。

 僕と同じように、本当はそんなこと思ってなくても「良い子」だからやってくれているとしたら。

 僕は、すごく傷つく。

 だって本気にして信じちゃったんだから。

 嘘だったら傷つく。

 だったら最初から褒めなくていいし、喜ばなくていい。

 そうか、でもそれだと「僕が不機嫌になるから」そういうわけにはいかないんだ。

 望んだとおりに喜ばないと、望んだとおりに褒めないと、僕が不機嫌になるから。

 僕はお母さんそっくりなんだ。

 僕は、あんな風に見えてるんだね。

 僕は、母親と同じなんだ。

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 僕はね、もうやめたんだ。

 その瞬間のことはよく覚えてないけど、突然、とにかく言葉にできないほどすごい勢いでいろんなことがわかったんだ。

 そして結論だけが出たんだよ。

 「間違っているのは全部僕の方だった」

 これが、前世の業。

 これが生まれた時に背負う業。

 親にそっくりになって、親と同じことをして、嘆く。

 僕は最初から地獄に生まれて地獄に生きていたんだよ。

 だからもうやめたんだ。

 「僕は良い子にしなきゃいけないから」って思ってたんだよ。

 「何かがそのうち認めてくれる」って信じてたから。思い込んでいたから。

 「誰も見てないから、認められるなんてことは起きないけど、もしそうなら何がしたいの?」

 そう聞かれたら

 「勉強ばっかりやってないで、皆と遊んでもっと面白いことやりたい」

 だからそうしたんだ。

 あるのかわからない「認めてくれる何者か」がいると仮定して生きてたんだ。

 もしそんな神様みたいな存在が、人間の中から突然現れることが「ない」と先にわかっていたら、こんな我慢しない。

 諦めたんだ。

 無いものは無い。

 最初から無いんだ。

 でも僕は、それから勇気を出して今までやらなかったことをやるようになったんだ。

 友達の中にいても「それはしてはいけないことだ!」と言いたがる優等生だった。

 でも、いいんだ。

 ここにいる僕も仲間だから。

 僕は仲間と楽しいことがしたいから。

 決まりをきちんと守っている。ということに絶大な価値があると思ってたんだ。

 でも世界は沢山あるんだよ。

 世界の中に世界が沢山あるんだ。

 僕の母が作る世界もあるけど、そうでない世界もある。

 どの世界にも決まりはあるけど、そこにいる仲間たちが決まりを決めているんだ。

 同じ決まりを守りたい人がそこに集まるんだよ。

 僕は人より多く得られなくてもいい。

 平等であればいい。

 僕が一番多くもらって、皆が我慢する集団になるより、皆が平等で、一人も後ろ暗くない、惨めにならない方がいい。

 だから僕は平等であることが一番だと思う仲間と、同じ世界を作ることにしたんだ。

 お母さんの作る世界は、同じことの繰り返しなんだ。

 お母さんの前はお父さんが支配していて、誰か一人が喜んでいるのを、周りが我慢して恨んでいるんだ。

 もう。そんなことは嫌なんだ。

 僕は争いが嫌なんだよ。

 僕は人を憎みたくないんだ。恨みたくないんだ。

 誰から見てわからなくても、自分の心が醜いままで生きる苦しみの方が辛いんだ。

 「心の苦しみ」は内側から湧いてくるから、それがわかるのは僕だけなんだ。

 だから自分の心が醜くて苦しむのは、自分だけなんだよ。

 自業自得。

 お釈迦様の掌の上で僕は卑怯な鬼として生きていたんだ。

 自分の心は自分にしかわからない。

 そして自分しか感じない。

 誰もがそうなんだ。

 僕が誰にもわかってもらえないように、僕もわかってあげられない。

 内から湧いてくるものの苦しみは。

 わからないからこそ、きっとこんな風だって同じものを感じられるように、想像して、相手になりきって、同じ感覚を疑似体験するんだよ。

 それが正確ではないかもしれないけど、他人にできる精一杯のことはそれだけだ。

 そしてそんなことより、信じた方が早いんだよ。

 いちいち確認しようなんて疑っているより、必死で想像するより、ただ信じた方が早いんだ。

 信じて裏切られるかもしれない。

 でも疑って裏切るかもしれない。

 だから選ぶんだよ。

 僕は信じて裏切られる人になる方を選んだんだ。

 どうしてもわからない時は、信じるしかない。

 信じることもできない人間になるよりは、その方がいい。

 人類の神が天から降りてきても、後ろ暗くないように生きる。

 その方が、遥かに安心なんだ。

 僕は自分がなりたかった良い子なんかじゃない。

 醜い衝動や危険な発想が沢山出てくる人間だ。

 だからこそ、それを知っているからこそ、その衝動のままに生きていかないよう、僕が僕を教え諭して生きていくんだよ。

 それが戒めというものだ。

 君がもし、今も自分を偽って生きているならば、よく考えてほしい。

 一体誰を待って生きているのかを。

 僕の家ではこう教えられた。

 「人を謀ったら切腹」

 僕は自分を謀っていた。

 だから僕は切腹して死んだんだ。

 自分を偽る自分を殺し、本物の僕で生きることにしたんだ。

 君が君である時しか、この人生は君のものにはならない。

 誰かの人生を生きて、来るわけもない何かを待ち続けることのないよう。

  過去なんて誰にもわからなくていい。

 たった今を共に過ごし、たった今面白いことが起きて、たった今みんなで笑う。

 それがみんな同じ気持ちになるってことなんだ。


まだ見ぬ友人 最上 雄基より