「幸せになりたい」と思っている人への質問です。
「幸せ」とはなんですか?
自分が口にするのだから、自分が思っているのだから、「幸せ」というものが何かを知っているでしょう。
あなたが思う「幸せ」とはなんですか?
愛されたい、という人にも質問です。
「愛」とはなんですか?
僕は自分が生まれた家で愛されたとも幸せだとも思いませんでした。
愛も幸せも知らないので、それを知るために生きることにしました。
沢山考えて、行動して、何度も何度も失敗したり確認したりを繰り返し、愛や幸せが何かを自覚できるようになるまでは長い年月がかかりました。
「これが幸せなのだ」と自覚して確信を持てる時、既に幸せになっています。
「これが愛なのだ」と自覚して実感している時、既に愛されています。
つまり、幸せや愛を知っている人は、もうそれらを得ている人なのです。
人間は、体験もない何かを知ることはできません。
愛も幸せも目に見えない感覚の話ですから、それらを確認するのは本人でしかありません。
愛や幸せはそれぞれが「知っている」と思っていることでしょう。
しかし、それが間違っているとしても本人に気づく力がないならば、間違ったものを愛や幸せだと思って生きていくしかありません。
もう一度、問います。
幸せとは、なんですか。
愛とは、なんですか。
それが何か、知っていて求めていますか?
知らないのに知った気になっている人は、自分一人で幸せになり愛されようとしています。
自分一人で幸せになろう、愛されようとした場合はどうなるでしょうか?
誰とも分かち合えない、自分だけが知っている願望を叶えることが幸せ。
自分で自分が愛されていると自己陶酔して、一人よがりに感激する愛。
それが、自分だけの世界を生きる人の幸せや愛です。
そのような幸せや愛を求めて生きる人が、誰かと共に幸せになり愛し合う人たちを妬むのですから、可笑しなことです。
幸せになりたい、愛されたい。
その内容がどうであるのか、幸せが何か、愛が何か、自分が他人に「これである」と責任を持って教えられるくらいになってから、口に出して他人に「幸せになりたい」「愛が欲しい」と言うものです。
なんだかわからない漠然としたものを言葉に出され、更にその漠然としたものを明確に「形にして叶えよ」と求められても、生きた人間にはそんなこと不可能ですから。
自分が口にしている言葉の内容が何であるか、自分自身でよく知っておくことです。
なんとなく、それっぽく生きたところで、現実の世界でしっかりと噛み合って実現することなどないのですから。