発達の話です。
SNS、僕はそんなに多くは知りません。
大手のものと思われしSNSは一応使ってみました。
プライベートで真剣に使ってみた結果、実際の生活になんら必要性を感じなかったので、もう殆ど使っていません。
仕事ではアカウントを持ち使ってはいますが、当然目的あってのもので配信専用です。
皆さんの発言は目に入らないようにしています。思考に他者の言語や情報が入ってくると、今脳内で構築しているものが崩れていくからです。
途切れ途切れのブログ、と考えています。
何かにヒットしてくれれば、そこから思考の流れを発生させられるであろうと考えています。
で、それはいいのです。
個人的意見を吐くために使っている人たちがトラブルを起こさないよう、ちょっと視点のお話をします。
Twitterって、自分でフォローしたい人をフォローしますよね。
普通ならば、他人が意見を述べているならば自らその人の前に出向いていき、演説を聞くように聞かねばなりません。
しかし、Twitterの場合は違います。
聞きたい演説、見たい情報、自分でチョイスして並べることができます。
沢山の場に観客としていることができるのです。
当然自分が選んで見ているのですから、どこにも自分は出てきません。
自分のことを考えて自分に対して話しかけている人はいません。
ところが、頭の中がまだ閉じていない状態だと聞こえ方が違います。
「他人が自分のことを言っているように捉える」
これが自我の無い状態です。
どうなるのか。
並んでいる発言は、自分の結論を言っているように聞こえます。
すると、自分自身の経験から来る意見、自分自身の知識から来る結論と「異なる場合」、「それ、間違ってる!」と思えるのです。
現実に起きる場合はどういう状況か。
幼児の前で何かを話しています。別にその子に話しているわけではありません。
が、しかし、幼児はたまたま知っている単語の出てくる話を聞くと、自分は「わかった」と思い込みます。自分の知っている世界の話として解釈し、横から口出しします。
「それ違うよ!」
そのあとどうなるか。
「それはね、こうなんだよ。」
自分の知っていることを得意げに話します。
「それ違うよ!」の「違う」は、皆さんが思う「間違いの指摘」ではありません。
今話している内容を全く理解せずに、全ての人の結論が正しく、「なるほど、そういうことなのか」と納得できるものだと知らずに「自分のことを言ったと勘違いして発言した」のです。
出てくるものは、「僕はそう思ってないよ」です。
自分が正しいと思う事は全員にあります。
状況や背景や様々なものが違い、それぞれが「これでうまく行った!」が違います。
同じ方法同じ人生を生きて成功するわけがありません。
そこで違うことを正しいと言っているのが当たり前なのですが、「全員が自分のことを言っているように思える」のですから厄介です。
大人になれば他人の言う事にも「それだけ言うほどのことがあったんだな」とか「この人にはそう思える何かがあったのだな」と想像がつくものです。
皆、いろいろあるよね、と知っているからです。
年を取ればとるほど、いちいち昔話を披露しなくなります。
多すぎますからね。
でもそれぞれ色々あるものだとはわかっているものです。
が、しかし、それがわからない場合は違います。
暴漢のような、という人がいます。
僕も時々見ます。
いきなり否定から入る人です。
いきなり「それは違う」とやってくる人。
僕はここでもやはり「自分の理解力の高さ」で勝負した方がいいと思います。
いきなり批難されても否定されても構いません。
とにかく、こちらにはいきなりであっても、相手は「何かのストーリーの最中のつもりで話している」と気付いてください。
ちんぷんかんぷんな話しかありませんが、その内容から前後を想像してください。
「何言ってんだ…???」
となるか、いきなり否定や批難をされてびっくりして喧嘩になるか。
とにかくびっくりして意味がわからないのは当然なのですが、僕は是非「こういう人は困る!」の方向性ではなく、「自分の能力を高めるチャンスが来た」という捉え方で行ってもらいたいなと思います。
僕はずっとそうしてきています。
最初は何を言っているのかさっぱりわからない人、いるものです。
知らない話、知らない過去、そして知らない知識。
それを聞きながら考えるのです。想像するのです。
推理です。
集中力です。
少ない情報から、相手の脳内に広がる何かの世界を想像するのです。
今、たった今この場で理解するのが本当の理解力です。
今と関係ない話をするのは知識自慢と見栄っ張りのすることです。
真の能力は、たった今、現実の中で実行することにより使われています。
単語や流れから、相手が何を言わんとしたのか、何をしたかったのか、どういうつもりなのか、自分はどういう立場や役目で登場しているつもりなのか、自分との関係性をどう解釈しているのか、等々、三十秒以内くらいで理解してください。
まあ、ネットですから、一分くらいかけても平気だと思います。
リアルタイムのやり取りは、速さが勝負です。
より正確に認識、理解する力が試されるでしょう。
頭の体操に良いのではないでしょうか。
そして、たった今理解し、たった今この場で最善の対応を考案し、実行する。
それでいいのです。
目の前に人がいても同じことです。
いきなりやってきた酔っ払いのようなものだと思ってください。
人に絡みたくて仕方ない人はいるのです。現実に目の前にいる人に絡んで欲しいところですが、知りませんがTwitterとはそういうもののようですね。
あまり治安の良くないところに僕はいたくないので、お店にしても選ぶようにしています。
普通に話しかけてくる人と、何かの途中から始まっているらしい人に分かれると思います。
やたら自己紹介に欠点を書いている人は要注意です。
平和が好きな人がやってきません。
憎しみが渦巻いている人を寄せ付けていくには、確かに有効な手段です。
「可哀想」と思わせるだけのレッテルを書きまくると、自己憐憫激しい人、誰かへの怒りや憎しみを晴らしたい人がやってきます。
きっと自分を使って、他人に葛藤を処理してもらいたい人なのでしょう。
変わったことをしますね。
誰でも自分の現実は動かすのが嫌ですが、他人の人生なら荒れても構わないと思う人はいます。
自己憐憫激しい人は、自分の人生はどうにもならない、と不満な堅実を続けている人にとって格好の餌食です。
その人の人生で自分の抑圧した感情を消化できますから、周りから無関係な立場であれこれ言ってはドラマを観て感情を吐き出すように、鬱憤を晴らせます。
そもそも自己憐憫している人は、家庭内で葛藤処理されていた場合が殆どです。
やはり役目が変わらないのですね。いつまでも同じ役をやりたがるものです。
過去を諦めて這い上がる人は、マイナスイメージが多くなるものを自己紹介に書きません。
「扱うのが大変そう」と思われたら、変な人しか寄ってこないからです。
勿論、何かの目的あって活動している人たちは違います。
あくまでもプライベートの交流などを目的としている場合に限りです。
とはいえ、やはり僕は色々と使ってみてどうしても有用性が導き出せませんでした。
プライベートで知らない人たちに私生活を発表する時間と労力を費やすならば、友人や恋人と楽しいひと時を過ごした方が良いです。
「そんな人がいる人はいいよね!」
と誰もいるとは言っていないのに言い出す人がいますが、それが「自分のことを言っている」と勘違いする人です。
自分自身にあるかないかは関係なく、その方が良いと思うものは良いと思うのです。
ただし、実際に自分自身が今そうできない状況であるかもしれませんね。
それでも「こちらの方が良い」と思えば、少なくとも「よろしくない」と思う行動はとらないのです。
そして「こちらの方が良い」と思う状況になるよう、人間は生きますので、結果「この方が良い」と思った状況にそのうちなっています。
別に使わなくてもいいのですから。
僕が生まれた時にはTwitterどころかインターネットすらなく、ブロードバンドが無かった時期はナローバンドという呼び名さえ生まれていませんでしたよ。
「箱の中に人がいるぞ!」
と驚いた時代があり
「パソコンで写真が届いたぞ!」
と驚いた時代があるのです。
「インターネットし放題なんて、電話代はどうなるんだ!」
と騒いだことを知らない人も今は沢山いるのでしょうね。
情報も過多になり過ぎるとよろしくないです。人間の処理能力には限界があります。
多くの情報を取り込みながら思考をまとめていくには、正にコンピューター並みの思考力や決断力が必要になってくるでしょう。
正直、僕はそこまで凄いことはできませんので、Twitterで発言する時にも人様の意見や情報が一切入らないようにタイムラインというものは見ません。
自分の能力の限界を心得て、日常の行動を選ぶものです。
ネットをやらないと不安になる人は、要注意です。
何もない時間が不安になるのは、気付きたくない何がかあるからです。
子供の頃はみな健康です。何もすることが無い時間が沢山あります。
そんな時もやりたいことが沢山あったでしょう。
寧ろやらねばならないことを放り出しても、知りたいこと、やりたいこと、沢山あったでしょう。
一銭の得にもならないなど、子供は気にもしませんから。
一銭の得にもならないことをした方がいいのです。
その分、見えないものは多く手に入りますから。
自分の行動を、行動前に確認してください。
「この行動を取る前、自分はどんな感覚を持っているだろうか」と。
不安から動くことのないよう。
不安から安心を得たいがためにネットをやっていると、やらずにはいられない、やらないと不安になる、という状態に陥ります。どんどん悪化しますから、気をつけてください。
「行動は元となった動機を強化する」ジョージ・ウェインバーグ