卒業を控えた子供が言いました。
「この学校に入ってよかった。今年は一番楽しかった。友達もたくさんできて、面白いこともうれしいこともいっぱいあった。誕生日プレゼントもたくさんもらって、驚いた。」
日々、僕の真似をするように一緒にカードを買いに行ったり、友達にこうするんだと教えてきました。
「今日はすっごい楽しかった!」と興奮して話をしてくることがよくありました。
「今日は超良い日だったから、話をきいてほしい!」と言っては、僕に今日の超楽しい話を聞かせてくれました。
「人に良くしてもらっていない人は知らないが、人に良くしてもらっているように見える人は、その前に自分がひとりひとりに良くしているのだ。」
そう教え、ひとりひとりに心配りをするように教えていました。
実行してくれていたようで、今年は本当に沢山の誕生日プレゼントをもらってきました。
「くれる子によって色んな特徴があって、すごく嬉しい。」
と喜んでいました。
そんな楽しい一年を終え、卒業も近づきました。
「今のうちにやり残しのないようにってみんなで色んなことしようって話してる!」
みんなでやる楽しい企画をあれこれ話している我が子にこう言いました。
「あれもこれもって思うけどな、後から必ず「あれもやればよかった」と思うんだよ。だから時間を無駄にしないで、どんなことでもやれるうちにやった方がいい。俺も相棒たちとよく考えたら殆ど何もしてなかった。話をしているだけのことが多かったから。」
するとこう聞いてきました。
「今はすごく楽しいって思ってるけど、後からああすればよかったって後悔したりするのかな。それってその時はわからないけど、知らないだけでそんなに最高じゃなかったってことなのかな。」
心配になるのかよ!と思いましたが、こう答えました。
「心残りが出てくるのは、その時が楽しくないからじゃない。どんなに楽しくても最高でも、後から必ず「もっとこうすればよかった」は出てくる。最高だったからこそ、あの時に戻りたいと思うし、もっとこの時間が続けばいいのに、終わらなければいいのにと思うものだ。今の自分ならば思いついても、その時の自分は思いつかなかった。その時に今のありがたみに気づくことはまずない。俺もあの学生生活が、あの友人たちがどれほど特別で素晴らしい仲間だったのかその時は全く考えなかったし、知らなかった。後になって「あれは特別だった」と価値に気づくから、もっとこうすればよかったと思う。そのくらい最高だったということだ。
最高に幸せならば、後からやり残しが見つからないわけではない。
最高に幸せだったからこそ、もっともっとやりたいことがあったと思うものだ。
だから今、残り僅かな時間にできる限りのことをしろ。
全部はできなくても、あれだけやったから十分だと満足できるくらいに、今しかできないことをどんな小さなことでもやっておけ。」
それを聞くと安心して、「わかった!やれるだけやる!」と意気込んでいました。
今日は友達とここへいく、明日はこれをやる。
そんな話を最近よく聞きます。
子供には今しかできないことがある。今のうちにやった方がいいとよく思います。
過去には卒業のお祝いとして友人たちも呼んで食事会を予定していたことがありましたが、当日になり友達とみんなで食事に行こうという話になったけど断ったと聞き、行かせました。
家でこういう予定だから、と断ったのだと聞き、集まってくれたみんなに謝って行かせました。
「友達との思い出は、今しか作れない。今、友達と行った思い出の方が、遥かに大きな宝になるから、気にせずに行け。」
あの時大人たちはどうしたかな、と思い出せません。
どこか予約していた気もするが…と。
みんなと一緒がいい時もある。
友達との思い出はかけがえのないものになる。
それを知っているから、子供にもそれを作らせようとするのだなと思います。
親にどんなに怒られても、僕は友達を優先しました。
それでよかったと思っています。
本当に素晴らしい、輝ける日々は、後から必ず生きる糧になります。
自分がどこにいくのかは自分が決めること。
「俺もお前たちといくよ!」
と光に向かう友人たちと同じ方を目指し、足を引っ張る親を振り払ってそんなことはないかのように、みんなと共にいました。
過去なんてどうでもいい。
今、ここにいる仲間と最高の時間を過ごしているから。
俺のことを気遣って、優しくして、守ってくれて、喜ばせてくれなくていい。
なんの気も使わなくていい。
知らないものに気を使うなんてことがどれほど大変な苦労か、親にやらされていて知っているから。
「今日はどうする?」
「これやってみたくね?」
「今から行くけど、お前も行く?」
他愛もない。本当に他愛もない。
特別すごいやつなんて誰もいないし、理想的なやつも一人もいない。
「お前ってほんと馬鹿だよなあー」
「お前に言われたくねえよ!」
「前から思ってたけど、こいつ頭おかしいよな。」
「……」
「なんで笑ってんの?あ、俺が笑われてんの?」
「なんで来るんだよ、お前邪魔なんだよ」
「そうだろうと思って、嫌がらせで来てるんだよ」
「性格わる!」
「いいや、性格は悪くないが、単にお前が嫌いなんだ」
こんなものはただの言葉のじゃれあいで、本気っぽく言うから面白いとみんな思っていました。
「お前いつ抜け出したの?よく出られたな。」
「いい場所があるんだ、教えてやるよ。」
しょっちゅう学校を抜け出していました。
全員で追試。全員で呼び出し。全員で掃除。
くそ真面目女子にも叱られる。
「どこ行ってたの!またさぼったでしょ!」
でもそんな女子も良いところはありました。
「お前この弁当自分で作ったの?すげーな!小細工上手なんだなー。」
「小細工っていうな!なんか褒めてない!」
「褒めてる!すんげー細工。!いーなー弁当。こんなの作ってもらったことない。」
「じゃあ、今度また作ってくるよ。どれ食べたいの?」
と言って、本当に弁当を作ってきてくれたのに、その日の昼にサボっていていなかったと、後から激怒されて結局怒られてばっかりでした。
怒りんぼ人形みたいな女子も、優しいところはありました。
よく漫画を貸してくれた女子は、考えさせることを言ってくれました。
「高学歴で高給取りでイケメンがいいとか、女も男のこと品評してできるだけいいやつ選ぼうってするけど、あれって結局種の存続のためにできるだけ優秀な精子が欲しいってことだと思うんだよね。」
こいつ…精子いいよった…女子なのに…
その時は、それしか頭に入らなくてよく考えませんでしたが、「男もそうじゃないの?できるだけ生命力強そうな女に種残そうとしてるんじゃないかな。人間って結局動物だから。」そんなことを言われ、考え始めました。
考え始めるきっかけをくれた友人たちは、本当によく考えていました。
なぜか、相棒たちのことはこんな風に思い出せなくて、ただ可笑しかったことを思い出しては「あいつほんと馬鹿だよなあ」なんて思うだけです。
今も心の中にいるからなんだなと思います。
娘にひとつだけ言いつけてあります。
「神経症の男連れてきやがったら、ただじゃおかねえぞ!心理的に健康な男連れてこなかったら、結婚なんか許さないからな!」
世の中はどうなるかわからない。
今金持ってるとか、学歴があるとか、逆に何を持ってないとか、そんなもので選ぶな。
どんな窮地になっても諦めない、この人なら絶対になんとかすると信じられるような、生命力の強い男を選べ。
何よりも、そんなものは自然発生だから、友達を大事にしろよ。
何がなくても彼氏がいなくても結婚できなくても、仲間がいれば、なんとかなるから。
「うん、わかった!」
そして今日も、子供たちは学生時代の思い出を作りに行きました。