「なんでこんなつまらない説教じみたことを話すんだ。せっかく楽しかったのに。」
「面白い時は他の子といるよりずっと楽しいのに、時々批難がましいことを言う。」
これは、僕が子供の頃に愛ある親の子、本当に優しく明るい子に対して思っていたことである。
楽しい時は他の子よりずっと楽しいし、優しいというならば他の子よりずっと優しくしてくれて、家にもしょっちゅう遊びに行っていた。
他の家ではしてもらえないほど、家族にも良くしてもらっていた。
しかし、時々クラスの皆といる時にも僕の言う事に対して、批難がましいことを言った。
説教臭いことを言った。
僕の言う事を笑い飛ばして冗談にして、バカにした。
それが気に入らないので、僕はその子をバカにし始めた。
その子は他の子たちにも好かれていたので、段々と僕の立場が悪くなった。
僕は「ずっと楽しいことだけしてくれればいいのに」と思っていた。
「せっかく楽しくしていたのに、台無しだ」と思っていた。
しかしそうではなく、台無しにしているのは僕の方だった。
僕は自分の話をきちんと想像して関心を持って聞いてもらえていた。
それが嬉しかった。僕は母にずっと構ってほしかった。遊んでほしかった。
その子は僕が母親に求めていたように、ちゃんと話しを聞いてくれた。関心を持って聞いてくれた。
それで僕は気を良くして、その次の欲求を叶えようとした。
僕がすごいと認められ、ちやほやされたがった。
人を支配したがった。言う事を聞かせたがった。
その僕の動機は、言動のあちこちに、態度に表れた。
僕は友達と仲良くするどころか、支配したがっていた。
自分だけが中心になろうとしていた。
なろうなろうとしているのだから、当然その姿勢は態度にも出た。
言動にも表れた。自分に都合のいいことばかり言い出した。
本当に愛ある家族の子は、支配されない、いじめられない子だった。
友達を大事にできる子だった。
だから僕に支配させなかった。
僕は皆の前で笑われてバカにされたと思っていたが、僕が勝手なことを言い出すので、僕が皆に嫌われないように助けてもらっていたのだ。
優しい子は、僕が嫌われないように笑い話にしてくれていた。
友達同士が険悪にならないように、その場の空気を変えようとしてくれていた。
うちでは当たり前の、責めるような口調や、疑い、そして断罪。
まともな家ではそんなことは誰も言わない。
そのようなことが起きた時は、確実にいつも険悪な空気になった。
愛ある家族には、険悪な空気はない。
言いたいことを言わず、我慢して顔色を伺ったりしない。
しかし僕にとっては当り前のことだったので、細かいことは覚えていないがとにかく僕は人を責めるような口調になることもあった。
誰かを悪者にしようとすることもあった。
それを「悪いことだ」とすら思っていなかったし、「いじめをしている」とすら思わなかった。
平気で友達同士の輪の中で「悪いことをしたやつ」をつるし上げようとした。
誰かが悪者になって謝って、他の子が許してやって「解決」をしようとしていた。
悪いことをした人間は、詫びなくてはならない。
だから友達に悪いことをしたら、詫びなくてはならない。
それが正しいことだと思っていた。
だが、それは「自分が悪いことをしたら」の話である。
友達は友達を責めない。疑わない。悪者にして断罪しない。
愛ある家の子は僕に「説教」をした。僕はそう思えていた。
しかしそれこそ、愛ある母の行動だった。
本来は、家の中で叱られて幼児のうちにやめなくてはならないことを、僕はまだやっていた。
構ってほしいのに構ってもらえないから、外に出て友達に「構ってもらおう」としていた。
母親に遊んでもらえなかったので、友達に「遊んでもらおう」としていた。
幼児のうちに叱られて、反省して直していくべき部分だった。
自分ばっかり我儘を通しては駄目。
僕は幼児の頃は我儘を言った。そして母親は「面倒くさい」ので放置した。
とにかく、僕の母親は手間を惜しんで子育てをする人だった。
子供の相手は面倒だったのだ。
いちいち構っていなくてはならない。話を聞いてやらなくてはならない。それが面倒くさかったのだ。
結局僕は、構ってもらうことも遊んでもらうこともなかった。
誰かに自分の話を聞いて欲しかった。そして遊んでもらいたかった。
幼児は「遊んでもらいたがる」のだ。
自分の言うとおりにしてもらって、遊ぶのだ。
本物の三歳児は命令してくる。どうすればいいのか他人に指図して「遊ぶ」と言う。
それは遊びではない。
「遊んでもらっている」のだ。
僕は友達に「遊んでもらおう」としていた。
そして他人に対しても「遊んであげよう」としていたのだ。
「どうすればいいの?」と聞いて、相手の言うとおりにして「遊んであげよう」としていた。
「もっとこうやって!」と命令して、「遊んでもらおう」としていた。
一方通行のことしか考えていなかった。
まともな共同体に生まれた子は、「一緒に遊ぶ」ことができた。
僕とも一緒に遊ぼうとしてくれていた。
しかし僕は常に一方通行で、一緒に遊ぶことはできない。
だから友達にしてみれば、つまらない子だったのだ。
遊ぼうとしても、「どうすればいいの」と従う姿勢でくっついていこうとする。
自分から遊ぼうとすれば、「遊んでもらう」にしかならない。
「一緒に考える」ができない。
自分一人で考えるか、相手に全部考えてもらうか、それしかわからない。
バカだからだ。
知能が低かった。
天才じゃないのか、と思うだろうか?
勉強はできたが、知能が低い子だった。
その頃は物凄くバカな子だった。
だから、友達の反応がなぜそうなるのか理解できない。
相手が遊ぼう、仲良くしようとしてくれているのに、自分の意思を邪魔されるとか、自分を見捨てているとか、完全に勘違いして理解する。
僕にとって「仲良し」とは、友達が「同意」という形で僕の命令に従ってくれることであり、僕がどうすればいいのか「僕が同意したい意見」を友達が言うことで、全部決めてくれることだった。
全てが僕の思い通り。
それが僕にとっての「仲良し」だった。
つまり、母親と幼児の親子関係が僕にとって唯一の「仲良し」だった。
誰とでも親子になりたがったのだ。
その後、僕は自分の罪を償うために、友達に自分がしてもらっていたことを自分も同じようにやった。
やり続けた。
僕から見て面倒くさそうな、明るくもない、楽しそうでもない、どう仲良くしたらいいのかわからないような子に対して、自ら声をかけた。
償うためである。僕はそれをやってもらっていたのだから。
先にやってもらえたのだから、僕もやらなくてはならない。それでも対等とは言えない。
相手の気持ちもわからないうちに、「悪かった」などと言えたものではない。そんな反省や謝罪に心がこもっているわけがない。
自分が何をしでかしていたのか知るためには、同じ体験をしなくてはならない。
そして体験した。
楽しくもなさそうな友達に自ら接して、それでも仲良く楽しくなろうなろうと努力した。
「これが自分のやらせていたことなんだ」と過去を振り返り、友達にしてもらっていたようにどんな子とでも仲良くなれるよう努力した。
相手のことだけ考えて接した。
友達がそうであったように、相手の話ばかりを聞いて、自分の話はしなくなった。
相手の話に合わせて話しやすくするために自分の知ることを話す。
または、相手を笑わせるため、冗談を言うため、自分のことを「ネタ」にする。
友達にしてもらっていた通りにできるよう努力した。
そのうち、僕は僕がされた「説教」を早々と言うようになった。
その時わかった。
「こんな気持ちだったのか…!!!」
もう、そのまま普通に会話を続けたら、険悪にしかならない。
相手がそのようなことを言うのだ。
そのような態度になるのだ。
空気が悪くなることを言う。
それをなんとかしなくてはならない。仲良くするためには。
他の子もいる。険悪になる。
そのままにしたら、後からその子が悪口を言われるのは必至という場面。
そこで、なんとかして誰も嫌われないようにするには、それしかないのだ。
冗談にしてしまう。ネタにして笑い飛ばしてしまう。
ストレートに言ったら喧嘩にしかならないから、説明するように言う。
それが、僕が愛ある子にされていたことだった。
友達は僕が仲間外れにならないように、守ってくれていた。
僕は自ら「特別になりたがっていた」ので、寧ろ仲間外れになろうなろうとしていた。
細かいことは覚えていないが、教室の中で、休み時間か放課後に、体験した。
過去の友達の気持ちを知った。
他の子は僕にもっと辛辣に、わかりやすく嫌っている態度をとった。
だが、優しいその子は、悲しそうな、心配そうな様子だった。
ものすごく反省した。
それから、考え続けた。
気づいてから振り返り続けた。
あの時も、この時も、思い起こせば常に僕が何か下心を持って、自分に都合のいい展開にしたがっていた。
僕がまずいことをしているからなのだ。
それが原因だったのだ。
「せっかく楽しくしていたのに、説教臭いことを言う」
自分のことしか考えていない僕の解釈だ。
その時、友達は僕と仲良くなるために考えてくれていた。
友達に嫌われないように、後で僕が悪口を言われることのないように、庇ってくれていた。
平等に尊重される世界で生まれたその子は、僕がそのバランスを崩し自分だけ優位に立とうとすることを許さなかった。
僕はバカにされていたのではなく、僕が支配しようとしているから、それが快く受け入れてもらえない時に「バカにされた」と感じていただけだった。
自分が傲慢だった。
心の中で優越感に浸る友達など、誰が好きになるだろうか。
心の中で自分を見下している友達など、誰が仲良くしたいだろうか。
嫌われるのは当然だ。
だからこそ、僕が嫌われないように、自分だけ頭を高くしようとすると、それを制していたのだ。
友達は僕の性格が悪いことは当然わかっていた。
それでも皆で仲良くするために、頑張っていた。
「仲良くしようとしてるのに」と被害妄想に浸っている僕とは大違いだった。
どれほど僕が自分のことばかり考えていたことか。
反して、友達がどれほど自分を捨てて相手のことを、その場にいる全員のことを考えていたことか。
圧倒的な敗北感であった。
桁が違う。レベルが違う。
僕の考えていた世界など、ほんの小さな米粒みたいなものだった。
人間の大きさの違いを思い知った。
乞食の家の人間と、菩薩の家の人間の違いだ。
精神の位が違うのだ。
それからしばらくして、僕は悔い改めの川を渡った。
反省して贖罪のための善行を積む日々を続けていると、思考は進み、自然とそうなった。
悔い改めの川を渡れ。
どこかで誰もが必ず出会っている。
必ず出会っているのだ。