成長する際は、今まで知らなかったことを知ります。
気づく、という意味での「知る」です。誰かに教わったことではなく、誰かに教えられた何かをきっかけに気づいて、自分で「知る」のです。
そこで、慌てない。
大抵は慌てます。慌てない方が無理だと思います。
しかし、そこで「大変なことだ!」と慌ててしまうと、確実にまた感情的になっておかしな方に向かいます。
なんとかしなくては!
そして、気づいていない人たちをなんとかしようと頑張るのです。
「促す」ではありません。「変えよう」とするのです。
言葉だけで「わからせよう」とするようになります。
自分は正しいことをしている、良いことをしているのだ、と勘違いします。
そして他人も自分と同じにしようと頑張るのです。
しかしそれは無理です。
視野が広くなると、それまで気づかなかったことに次々気づきます。
視野が広くなった、世界が明るくなった!と思えるのは最初だけ、今度は次々見えなかったものか見えるようになり、ネガティブな気分が生まれます。
先日、たまたま、本当にたまたま、最近相談やワークショップに参加する人たちに「故郷やご先祖様、親や祖父母を知る」という内容のことをやらせていたことがきっかけで、ある方の一族の経緯を僕が発見して教えました。
たまたま、僕が見せてもらった写真の中に、気になる部分があったので僕が調べたのです。
正直、簡単にわかるものではありません。なにせ特徴的な家屋の作りのほんの一部分をヒントに調べて発見したのですが、本人も不思議に思っていたのに親もそれが何か知らなかったのです。
そんなことは「知ろうとしない限り知ることはできないもの」ですから、社会でどんなに頑張っていても永遠に気づけるものではありません。
「なんかわかんないけど、近所の人たちはみんなそう。」
本人はこんな感じでした。僕は気になったので調べましたが、見て気になる人も、それに意味があるとわかる人も滅多にいないと思います。
僕は自分の一族の経緯を知るために若いころから一人で色々調べてきたので、その部分についてのベースの知識や経験があります。それでたまたま気になって気づけたのです。真実は言葉では残りませんから、事実をそのまま見て、気づくしかありません。
偶然でしかないのですが、本人にとっては思いもよらないことを知ったのです。
事実それが間違いないならば、本人にはわかるのです。
「そういうことなら合点がいく」という何かが過去にあるからです。
そして、僕は知りませんが本人的には納得できることがあったようです。
ただ、こうして真実を知った時に、大抵の人は慌ててしまいます。
本人にも注意はしておきましたが、皆さんも、もしたまたま僕の書いていることや話していることがきっかけで何かに気づいたら、慌てないように。
「大変だ!」と慌ててしまうと、実際に「本来であれば本人たちが知らねばならないこと」であるが故に他人を、この場合は家族をなんとかしなくてはならない気がしてくるからです。
とにかく、常に落ち着いていることが大切です。
感情のままに喋らない、動かない。
慌てて動くと自分が正義の人になってしまうからです。
「こうでなくてはならない!」を強要する人です。
そうならないためにも、落ち着くのです。
そっちに行くとまた地獄に進みますから、たとえそれが何かの崩壊を眺めているだけになるとしても、何も動かそうとしないのです。
破滅するとわかると、どうしてもそれを止めたくなります。
家族や大事な人であれば当然かもしれませんが、それでも動かそうとしないのです。
何を言っても無駄だからです。
自分は気づけるだけの視野の広さがあったとしても、その視野の広さがない人にどんなに説明しても、何を見せても、同じように気づくことはできないのです。
破滅はすべき時にするのです。それでいいのです。
「目が覚めた」と以前書いた方は、今になって僕の話を聞きながら
「一番最初に講座で聞いた」
などと言います。だから、最初から必要なことは教えているんだよと言いました。その時に理解する能力がないだけです。視野が広くなったらわかるようになるのです。
最初から、最後に至らせるところを明確にして進んでいますから、全部計算してやっていることです。最後までたどり着いた人がいないだけで、必要なことを教えてきています。
今、漸く何年も前から、はじめから僕がやっていたこと、言っていたことの意味がわかるようになっただけです。
僕が子供のころ、自分に気づいて「お釈迦様の掌の上だった」と痛感した話をしました。するとその方は「私は先生の掌の上だった」と言っていました。最終的に気づいた人だからそう思うのです。
どうしても、その意味がわかるだけの目を持たないとわからないのです。
ですから、自分が気づいた時にまだわからない人がいても、慌てない。
今、誰かが地獄に突き進んでいることに気づかずにいても、慌てない、止めない。
そのまま破滅するのをただ眺めていればいいのです。
人様のことは人様のこと。自然は破壊しないのです。
他人に気づかせるのは容易ではありませんから、促すだけです。
動くのは本人でしかありませんから。
こと時間を無駄にしてきたと気づいた時には、絶望はすさまじいものになります。
しかし、慌てても既にどうしようもない事態なので、慌てないのです。
胸に手を当て、感情がどんなに動いてもこみあげても、体は微動だにせずただ感情のみ感じる。
これは練習を重ねていくしかないことなので、精進するのみです。