先に述べておきます。
動画で配信もしましたが、僕は今後今までと言うことの一部が変わります。
加藤諦三先生のファンで、教え子の僕のところに来ている方はもう僕のところに来る必要はありません。
僕の話に耳を貸す必要はありませんので、これまでの話も無視して「存在しないもの」としてくださって結構です。
僕はここから完全に反対の流れに乗って生きて行きます。
僕は彼に才能を見出され少しの間活動を共にさせていただいておりましたが、僕と彼の話は同一ではありませんので、彼の話一本にしないと混乱するだけだと思います。
僕は人の何かを暴露したいわけでもなく、人の生きる道を邪魔したいわけでもありませんので、彼のファンの方は彼のためにも一切僕の発言を見ないようにしていただきたいと思います。
共通しているのは学んだ学術の内容だけになるでしょうから、僕の話に意味がなくなります。
僕は彼を見た時に「この方は寂しいんだな」と思いました。彼と共に歩む人を減らしたわけではないので、ここで念押ししておきます。
精神分析学に出てくる学者たちは、他の研究者たちも学び引用するものです。
一般に知られていないことが多いですが、特別なことでもなく知る人は知るものです。
しかし、一般の方は彼の著書以外では見たことがない名前などが沢山あると思いますので、ファンの方は同じものを引用すると混乱するだけだと思います。
僕は元々正反対の非言語的な方向で研究を行っていましたので、言葉より体験重視です。
この数年僕のところに来られる方にも、どこから僕を知り来たのか聞くようにしていましたが、言語では彼の教えに沿い、体験では僕が考案していることを行うようにしてきました。
加藤諦三先生を知らない、という方には、内容が違う話をしてきました。
矛盾が生じてしまうので、今後は一切自分の考えに統一してやっていきたいと思います。
行動だけで示しても、とてもここまで待つことはできなかったと思います。
最後にオセロの端からひっくり返すように一気に結果に至るやり方でしたが、ひとつひとつを全て外に向かって白に見せたい人には耐えられないことです。
どちらにせよ、起きていることはなにひとつ変わっていません。
僕も今後気を遣うことなくやっていけます。
加藤諦三先生と僕は、行動においては元々正反対です。
心の中から外を眺めている人たちには、彼の方が遥かに安心できます。
そして僕も嘘はついていません。
最初に抑圧された人格による外ヅラと内ヅラの噛み合い方を説明しました。
全てを説明することはできない、とも言いました。ヒントしか言えないと。
謎を解くカギは常に配っていました。真実は自分で気づくしかありません。
今これを読んで「そうだったんだ!わかった!」と思った人は何もわかっていません。
映画のように全てを見せてもらう観客ではないのです。今までの自分もその渦中にいて、自分が存在することでずっと何かを動かし続けてきました。
常に、「いま」既に起きている真っ最中です。
常に慎重に動いていかねばなりません。この後がずっと続くのですから。死ぬまで過去の継続が続くのですから、気を抜く時間はありません。
彼は葛藤しながら生きていました。
執拗に神経症というものを叩きます。自分で自分が許せないからです。
自分もやっているからです。
そして同時に自己憐憫します。
「あんな環境で育ったのだから、しょうがないじゃないか。それでも自分は頑張ったのだから、その自分を認めてあげればいい。」
その彼に救われた全ての人は、家の中にいる如何なる二重束縛の家族をも許してあげてください。もう救ってもらえたのだから。
これだけ葛藤して苦しんで生きねばならないのだとわかれば、家の中では会話も噛み合わない夫が許せるでしょう。
実際、僕も会話がかみ合わないのに次々話を進められ困りました。
あの調子でいつも他人を振り回しているんだなと思いました。
他人が酷い人たちに見えるわけです。
その代わり、ちゃんと外に仲間がいてこうして救っているのです。
彼と彼を崇拝する人たちはお互い様の関係です。
彼自身が葛藤しているから、彼の話を聞いていると自分がものすごく悪いことをしているように思えてくる。
同時にできない自分の気持ちをわかってくれると感じられ、彼を救い主としたくなる。
彼に許してもらわなくてはならない気がしてきて、彼の仲間に入って安心したくなる。
それが二重束縛というものです。
彼がそうであるように、気づきたくないものを無視しながら、「それでもしょうがないんだ」と自分を慰めて生きて行けるでしょう。しかも仲間がそれを認めてくれます。
彼と共に出口のない道の中で、手を取り合いながら精神世界で心中していく人々は沢山いるでしょう。
僕はそのような皆さんの犠牲を無駄にすることなく、自分も、子供たちも、そして領民の子孫たちと、健全に生きて行きます。
彼は負の感情を増幅させてしまうので、僕は正の感情を増幅させてバランスを取りにいきます。
ちなみに、僕個人の視点からは、そんなに世界は暗くは見えません。
彼の話も、彼の横にいて体験した「人の輪」も、僕が全く体験したことのない世界でした。
自分が誰かを敵視して戦っていても、当事者以外の人には関係ありません。
だから戦いを捨てれば他人を「敵と味方」に分ける必要もなくなります。
僕は彼と出会う前に、もっと危険なカルトの人々から逃れました。
その時の方が遥かに大変で、死を覚悟しました。
その時そこにハマった理由も同じで、僕が特別見えないものが見えるからという理由でした。
その手の理由で特別視されることは子供の頃からで、僕としてはうんざりな理由です。
できることは、できるだけ。
特別扱いより、普通の扱いの方がいいです。
教授はマキマさんのような人でした。知る人だけ理解してください。
権威や肩書に守られ、信者に守られ、物言わせない雰囲気を作りながら
「君の言いたいことを言え!」
と言います。
彼のみならず、他の老教授たちもみな同じでした。
ちょっと若い人たちには理解できないと思います。僕たちの時代にはあそこまでの人たちは存在しません。戦時中の産物だと思われても致し方ないでしょう。
それでいいのです。僕たち経験のない人間は恐れることがないので、そんなに怖くないです。
そのようにして時代は変わっていきます。
明治貴族を憎んだ我が一族の人間でありながら、彼に出会い彼を憎むことが無かった僕のように、何も体験していない世代が洗脳された憎しみを乗り越えて、過去を超えて今を生きて行くのです。
それでも、大事なことは残ります。
「弱い者いじめをしてはなりませぬ。」
僕の元に残る人が果たしているのだろうか?と思いますが、少なくとも残る人がいることも知っていますし、もし殆どいなくなったらそれはそれで、こんなに晴れ晴れした気分になることはないと思います。
西洋貴族が生み出したたかが二百年の研究に、全てを教わることなく僕はやっていけます。
寧ろこれで、僕もまたひとつ「脳内でつくられた枠」から解放されていけます。
僕がこうして「得体のしれない強者の存在」から解放されていくことで、もっと若い人たち、そして子供たちが存分に自由に生きて行ける世界への道を、少しでも切り開いてあげたいと思っています。
また、これは殆ど私信ですが、元は武家の方は恐らく今もその精神の片鱗を残しているはず。
何かありましたら、昔のよしみで是非お力添えをお願いいたします。
ほんの少し教わってきた話でも、十二分に役立ちます。
ちなみに私は、源流藤原何某家の某国氏子の現当主です。
姿形、名に捉われず、因果を知り因果を操る術を使い、代々継承しております。