まだ見ぬ友人へ

心理的環境も最初から差がついている

まだ見ぬ友人へ

 恐ろしいな、と時々思う。

 かつてのストーカー女子はもう三十代になった。
 だが、彼女を見てうちの子は苦笑いしながらこう言っていた。

 「子供みたい」

 先日、「ますますおかしくなった気がする」と言った。

 ますます退行しているが、僕に敵意を向けないのだからそれでいいのだと教えた。生き方は本人が決めること、僕を敵にしないまでも、未だに誰も信じてはいない。未だに自分自身から逃げている。

 それは人の自由だから、おかしな大人に見えても「そういう人もいるんだ」と思って気にするな。人はそこまで強くもなく、お前が思うよりお父さんは珍しい方なんだよ、と言った。

 僕は意識して子供の心を育てられる。それは精神分析学のお陰だ。
 子供の自我がハッキリ生まれた時のことを、僕は覚えている。
 「不思議な体験」の話をしてきた娘の様子を見て、「自我が生まれた!」と内心大喜びした。

 元々、僕の顔も見てこない、俯いているばかりの言いたいことも言えない子供だった。数年でそこまで育った。僕は心底喜んだ。

 僕は以前からかつての彼女について少々引いている娘に言ってきた。

 「あれは大人ではない。大人がやっているが、大人がしていいことではないんだぞ。」

 と教えてきた。

 「じゃあなんでやってるの?」

 と聞く。子供の質問は率直だ。そこで僕は

 「許されるならいつまでも幼児のままでいたい、という人もいる。許してもらえるなら、他の人が全員したらまずいことでも自分だけやりたいんだ。その分の負担は他の大人が社会で抱えるのだから、お前は絶対に真似するんじゃないぞ。」

 と教えた。

 だってさあ、と彼女は言い訳する。子供のように。

 子供が見ても嘘だとわかる嘘を言い、子供に窘められる。

 「私も小学生の頃は皆がどう思うかって気にしたけど、思うよりみんなは自分のことなんか気にしてないから、大丈夫だよ。」

 と子供が大人をなだめ、そしてこう言った。

 「もう観念したら?」

 いつまでもグズグズ言い訳し、なんとか自分を正当化しようと一人で理屈をこねる。
 それを叱咤する僕とのやり取りを見ていて、娘は呆れて助け舟を出したのだ。

 彼女の母は、気に入らないことがあるとしくしくと泣きながら家を出ていく。別に遠くにいくわけではない。専業主婦なので、家から出て外にいるだけだ。

 彼女はそんな母親の姿に切れる。
 僕の前でもストレスで叫び散らしていたことがある。

 「もういい加減にしてよ!毎日毎日こっちは仕事で遅くまで疲れてるのに、帰ってからそんなの構ってらんないよ!」

 お母さんは社会で働いたことがないからわからないんだ、とよく言っている。
 彼女の家族は、母親以外はみな大企業で働いている。仕事仕事で、忙しい時は終電間近に帰宅だ。

 そして帰ってきたら、「晩御飯はいらない、疲れてるから早く寝たい」と言った一言で、母親は不機嫌になった。

 「せっかく作ったのに!お母さんがあんたのためを思って作ったのに無下にした!」

 という不満なのだ。

 ただ、母親はハッキリ不満を口にしない。
 黙って辛い目に遭っている感を露わにする。
 責めているのだ。罪悪感を煽る母である。

 彼女は僕のセラピーによって、それでも数年前より相当落ち着いた。
 何年も前は話を聞きながらアートセラピーしていると、突然「ものすごくイライラしてきた」と言い出し、「誰もいないから、怒りを口に出しなさい。」と僕が勧めると、奇声に近い声を上げた。

 今はイライラしても、その場で何に怒りを感じたかわりとわかるようになった。
 時々会うと欲求不満になっており、職場での話などを聞きながら僕が原因に気付き「本当はこう思ってる」と指摘する。

 ここまで持ってくるのも、至難の業だった。私生活の付き合いだからこそ逆にできる。
 これは家族やそれぞれの友人などの役目であり、仕事ですることではない。

 彼女の母親は引きこもりだ。
 家の中が殆どで、世間を知らない。
 家族が外に出ている間、一人であれこれテレビを見ては妄想している。

 不安症に拍車がかかる。
 僕が行くと廊下で捕まる。
 身の上話が始まる。同じ話を何度でもする。

 この母親こそ、うちの癌なのだ、と彼女が気づいたのさえ、僕と出会ってからだいぶ過ぎた後だった。それまでは母と一緒になって父親を罵っていた。

 父親の前は、「うちの家族は仲良し家族!」だった。

 そこから順を経て、原因にたどり着いたのだ。

 「現に、誰が現実をなんとかしているのかを考えろ。誰がいないと生きていけないのかを。」

 と教えた。
 彼女の家は、考えるのも決断するのも実行するのも全て父親だった。
 母親は横から口出ししては「お前は黙ってろ!」と叱られ、責められたと被害妄想に勤しんでいた。

 「うちのお母さんて、年金とか保険のこともよくわかってない。お父さんも怒りたくなると思う。自分で払ってるわけでもないのに、すごい頓珍漢なこと言うから。」

 と彼女は言う。

 最近になり、彼女はこの職場はやめたいと思うようになったらしい。
 ここでなくてもいいやと。

 その理由は、彼女の母ほどの年齢の「子供を育て終わった主婦たち」が多く職場に入ってきたからだ。
 部署は女性の方が多いという。

 昔は怠惰で「働きたくないwww」とか言っていた彼女が、今では年上の女性たちに怒りを感じている。

 「仕事するところなんだよ!」

 驚くことに、まるで中学生のような集団になっていると言う。
 誰が誰を気に入らないとか、あの人がこんなことをしたとか、噂話と陰口がすごいようだ。
 そして陰口のターゲットになった人は、そのうち「これを直してほしい」と言われるらしい。

 女子同士で険悪になり、「あの人が嫌だから近寄りたくない」などと言う意見を上に伝え、上は上で「席替え」をさせたりするのだと言う。

 嫌いな人と隣になりたくない。
 そんな不満を会社で言うのだ。それも上司に。

 「男がすごい気を使ってる。部署でも男の方が弱いって思う。」

 彼女はそう言う。
 そして彼女も陰口のターゲットになっていたことがあると言う。
 昔の自分自身と同じことをする主婦たちがやってきたのだ。
 昔の自分をその姿に見るから余計に辛辣になる。

 「嫌いな人と隣になりたくないから、席替えしてほしい。」

 こんなことを言いだす女子がいるのだから、「女は社会に出てくるな」と男が言いたくなるわけだなと思った。

 男は仕事を仕事として考える。
 その場で何をどうするにしても、目的は「仕事でしかない」のが男だ。

 だが、公私混同激しい人が多いのもまた女だ。
 当然きちんと仕事をする人もいる。だから女が女の敵だという意味もわかる。

 その職場で深夜に帰宅し、家に帰れば黙ってさめざめと泣く母だ。

 「いい加減にしてよ!こっちは疲れてるんだよ!」

 と半泣きで叫びたくなるのもわかる。
 電話で話しながら、泣いていたことがある。
 仕事で帰っても、明日の仕事のこと、それ以外のこと、考えることは沢山ある。

 疲れて帰ってきたら、考えを整理しながら風呂でも入りたいところだ。

 そこに「お母さん今日は頑張ったのよ!」と手料理を用意する母。
 空気読めないにもほどがあるが、彼女が疲れていることもわからなければ、深夜までの仕事で疲れるとはどういうことかもわからない。

 母親宅は、妹がいる。
 妹は輪をかけて「叱られると具合が悪くなる」らしく、誰も手出しできないらしい。腫れ物に触るように扱われているという。まるで爆弾だ。

 それを聞き「お母さんのそのまたお母さんがそうだったんだと思うよ」と僕は言った。

 「女はこうして生きていけばいいんだ、と子供は親の姿を見て観察学習している。」

 祖母が亡くなるまで、母はべったりだったと言う。
 祖母は毎朝母に電話してきたと聞いている。

 彼女の父は、気が弱いが優しく真面目だ。
 長男なので泣き言を言わないよう無理して頑張っている。

 「おばあちゃんが亡くなった時、お父さんが泣いたのを初めて見た。」

 と彼女は言う。
 その父親の姿を見た母が言った言葉は
 「あの冷たいお父さんでも泣くことがあるんだね!」
 だったと言う。

 冷たいのは母の方なのだ。
 母親が亡くなって泣いている夫を見て、陰で笑っていられるのだから。

 彼女はそれまでの概念がある時逆転した。
 冷たく怖い父親と、優しく可哀想な母。

 この概念が覆った時、彼女の中の是非の判断は変わり始めた。

 彼女は以前より真面目になり、仕事もよくこなすようになった。
 人付き合いも昔よりずっと良くなり、人にも好かれるようになった。

 今、父である人に言っておきたい。

 子供はやがて大きくなる。
 もし今夫婦が険悪で、子供が母親についているとしても、子供が社会に出るようになれば真実に気づく。

 もし父の方が堪えている側であるとすれば、子供はやがて気づく。

 本当に正しいものは、時間がたてば必ずわかるようにできている。

 大抵の子供は母親につく。
 だがその母親が間違っている時、子供は被害者と加害者を逆にしてしまい、外でうまくいかなくなるのだ。

 彼女が僕と出会った時、酷いいじめをする女で友達とも険悪でドロドロした喧嘩をしていたように。

 そして当時は仕事にも投げやりで、なんとかして仕事に行かないことばかり考えていた。公私を混同し、僕の仕事についても全く理解がなかった。

 今は変わった。

 判断基準が変わったことで、彼女自身の行動が変わった。
 行動が変わったから、人格も変わった。

 間違いを間違いだと知り、正しいことを正しいと知っているかどうか。

 それは人生を左右する重大なことなのだ。

 これを読んでいる君も、人生がおかしくなっているならば、自分自身の判断基準を今一度見直してもらいたい。

 少なくとも今この社会では、善悪が逆転していると言えるくらい、判断がおかしくなっているのだから。

 

まだ見ぬ友人へ

 最上 雄基