友人の母を僕は知っていた。
だから自殺した時に僕の方が絶望した。
こいつの人生は終わった、と確信した。
もう離れるしかない、と思った。
永遠に誰も知ることができない、「当たり前の理由」を友人は知ることなく、ただ「自分の理由を知ってくれる人」を求め続けるしかないのだ。
共に生きて育った人にとって、母親という存在がどういうものなのか、僕が知ることはないし、想像すらできない。
ただ、母親に対して特別な情を持たない人々を僕は気の毒に思う。
あれだけの仕打ちを、と思い出してもいいことなしに思えた過去があっても、それを覆すだけの道を進めるのが人間だからだ。
友情を知り、愛情を知り、そして母が最期に泣いて後悔を告白し詫びてくれれば、「水に流せる」のが親子の情だ。
それでもいいことがあったから、生まれてきて良かった。と思えるのが人間だ。
だが、人間には不可能な幸せを求める人には、そんな体験をする日は来ない。
本人が自覚しなくても、その親の子であることは間違いないのだから。
気の毒には思うが、批判する気も起きない。
そんな人たちもいるのだと、ただ現実を知り受け入れるだけだ。
心の繋がりなんてものを、わざわざ肉体的つながりがある親に対して求める僕の方が、珍しいのかもしれない。