自分ではない人間が自分を操っている状態の人
精神分裂している人
昔はこの状態の人は、心を鬼が乗っ取っている状態だと理解しました
後ろに透けて見えているのが「意識の自分」です
肉体の方は、誰かわかりません
作られた偽物です
肉体は本物ですが、作られた偽物です
透けている意識の存在が、相手を操るため、思い通りのことを思わせるために肉体を動かします
意識の自分と肉体の自分が、まるで関係のない人間なのです
それで、他人からは「意識の自分」が出てきてしまった時に、二重人格のように矛盾した人に見えるのです
鬼が本性を現したと言えます
退治すべきは意識の自分の方です
意識の自分が生きたままで、何を改善しようとしても無駄です
肉体を新たに違う動かし方で操作するだけです
意識の存在は、親の子として生まれた人間だと思っている偽物です
通常は、意識の自分は肉体の自分と一致しています
考える自分がいて、考えたことを判断して肉体を動かします
しかし、図の場合は考えている意識の自分は、自分とは関係のない別人を作ろうとするのです
普通、自分は自分でしかないので、「好き勝手に別人みたいなことをさせられない」のですが、意識の自分がそもそも偽物なので、気にしません
現実に本物の存在がいないのです
形だけ、心はありません
意識の存在と肉体の存在が別人なのです
言っていることを思っている人はいない
思っていることを言っている人はいない
心身が分裂しています
この状態になると、誰とも心通うことができないのはわかると思います
ずっとこの状態で生きている人は、なぜ別人が体を乗っ取っているのか、わかりません
本人は意識の自分が自分だと思っていますが、この存在は感情が生み出しただけの「自分ではない存在」です
意識の存在こそ、何かになり切っている「偽物」です
完全に乗っ取られてしまうと、格好つけて役柄をやっている意識が完全に肉体を使ってしまうようになり、更に「いつ何をきっかけに生まれてきたのか」も思い出すことができなくなります
意識の自分が今の自分が本物だと思い込んでしまうと、もう助ける方法が無くなります
完全に鬼に身体を乗っ取られた状態です
勿論、原因はありますから、「本物の自分」を心の中から見つけることができたら、元に戻れる可能性はあります
考えるのではなく、「素直な気持ち」を自分に叫ばせるのです
その素直な気持ちが、一体いつのものなのか、何を「思った」のか、突き止めるのは至難の業です
僕は鬼になりかけましたが、自分で自覚して自分の中の鬼を退治しました
どんな感じになるのかというと、今ここで思考している自分が自分ではないと気づくので「消えなくてはならないのだ」と自覚するのです
「この僕は僕ではない、この自分は誰だ!」
そんな風に思うので、本当に変な感覚です
この自分のすべてが「偽物」です
消える時は「死ぬ」という感覚です
正体を見破れば、過去に意識の自分を生み出した「幼児の自分」がいました
卑屈になって親を恨んだ気持ちが生み出した鬼です
今の自分が本心を叫び、意識の自分を叩きのめして僕は人に戻りました
素直な気持ちの本物が戻れば、意識と肉体が一致しているので、何をしても実体感を感じるようになります
本当にドキドキワクワクするような感覚を、その時はじめて知りました
心が痛む感覚も、その時から感じられるようになりました
意識の自分が分裂している人は、自分の心を感じません
自分は誰にも何もされていないからです
傀儡にみんなが接しているだけという感覚ですから、何が起きても心の中で意識の自分は人を見ているのです
自分は他人の言動について感情を動かすだけで、自分が動くことで何かを感じることがないのです
「精神分裂病」と名付けた人はこれを言っていたのだろうと思います
昔は意識の存在、身体を乗っ取っている鬼は退治しました
過去の未練が生み出したものならば、成仏させました
僕は人の中にある過去の本物がわかります
子供の頃からわかるので、母の中にいる存在もわかりました
なぜ、子供のまま内側にいるのか、何があったのか、後に原因がわかりました
残念ながら、僕は自分の中にいる鬼は退治できますが、他人のものまで退治する業を身に着けていません
わかるだけです
内側に向かって呼んでみるなど、見たまんまのことをしてみたこともあります
成仏させようとして子供の頃の中身を慰めてみたりもしましたが、そういう方法ではダメなようです
意識の自分を破壊することは、恐らく怖いと思います
僕も怖かったです
「死にたくない!」と思ったほどです
でもそれは偽物なので、消えなくては自分に戻れないのです
鬼は特徴があります
一歩も前に進みません
生まれた原因がひとつですから、どんなに強力になっても根源が変わらないのでずっと同じことを繰り返すのです
ずっと同じものを求め、同じことを繰り返します
親より先に死んだ子です
精神の世界にいる本人が、死んでしまったのです
これは昔から日本に存在する概念での説明ですが、苫米地英人博士はこうしたことを知っているようです
今でもこっち側の方法を行う人達もいるようです
僕はなんなのか知らないままできるようになりましたが、家柄のせいでしょう
修行してきていますから、自然とできるようになりました
だから、大丈夫なのです
卑屈になって性格が歪んでいる人は、それが本物ではないのです
僕が全体を見ている限り、みな寂しいようです
とても寂しい
怖いようです
身体を乗っ取られてしまっていますから、本心の自分の望みは叶うことがありません
復讐に向かう人も、その目的自体が本当の自分が望むものではありません
過去に起きたことから生まれたので、もし自分がしていることが成功しても、ゴールはありません
どこまでいっても、過去には戻りませんから、終わることはありません
これが、僕が子供の頃から超能力か霊能力があると思われた理由です
人の中に人がいるのがわかるからです
中身の様子を見ながら、人の話を聞くので本音の方がわかるのです
ただ、子供の頃とは違い、深刻に鬼となってしまった人はそうそう手がつけられた状態ではありません
僕は自分の姉にも一度目を醒まさせようとしたことがあります
まだ揺らぎがありましたし、僕といる時は戻りそうな気配がありました
しかし、偽の姉が作った環境が既にあり、今の家族の元に行けばすっかり元通りです
一緒にいて安心させてあげることができないので、意識の鬼が僕を恐れて反発してきました
家族ならわかりやすいです
難しいのはこの場合、僕の感情を動かさないようにすることでしょう
他人の場合は逆です
僕は感情が動きませんが、相手のことをよく知らないので突き止めるまで時間がかかります
マニュアルがあるものではありませんので、明確に何度話したらわかるということでもありません
色んな場面を共に体験していると、ここという時に顔を出すことがあります
それも確実にいつということはわかりません
面倒なので、本人が自分でやる方が早いと思います
と書きながら、苫米地さんも同じことを言っていたなと思い出しました
彼も気の鍛錬を積んだりしてきているようなので、何が起きているのか知っているからそう思えるでしょう
すごく時間がかかります
他人がやるのは本当に至難の業なのです
これを非科学的と考える人は、理解していません
これについては苫米地さんに同意です
今の日本人はスピリチュアル的なことをすっかり忘れて、科学が完璧だと思っていますから
金のことしか考えてないから、そういう価値観になったのです
世界の研究者、セラピストたちを見ていると、日本が恥ずかしくなるくらいメンタルケアもきちんとしています
恐るべき拝金主義国民になりましたね
心の幸せなんて誰が手に入れたいものか
そのように動くのも、今回図にしているような状態の人が多いからです
この状態になると、鬼が人間のふりをするために生きているようなものになります
鬼はこの世に存在せず、好き勝手に動かせる肉体を一人分手に入れたようなものです
親子の情もありません
親を親だとすら思わず、見下しています
元は餓鬼です
餓鬼がそのままでかくなったのです
だから、昔ながらの教えは必要だったのです
この状態になって幸福感なんて感じるわけがありませんから、親を恨むと本当に地獄に落ちるのです
親を恨んでいる人はもれなくこの状態になります
何が起きても「これから」の他人の動きに期待します
今感じるものはありません
だから常に欲求不満になるのです
眠いですね
僕は僕で、一緒にいてわかるだけです
ずっとこうなので、気にしていません
肉体は傀儡なので、どんなに他人が真剣に自分に接しても、自分と仲良くなろうとしても、本人の意識は「自分主人公のドラマを他人目線で見ている感覚」にしかなりません
もっと見たい!これからどうなるの!
そんな感じで他人が何をするかに期待します
だから途切れ途切れなのです
現実がずっと続かないのです
期待したことが起きないとなると「こいつはダメだったか」と状況ごと捨てる
実際には自分が体験している気がないから、できることです
本人が生きているのではなく、他人が肉体を操って遊んでいるのです
人の子として生まれてくるはずだった魂が、死んだときの本心を告げ消えていかねばなりません
そうすると、自然と自分が生まれてきます
本物の自分がどんな人間なのか、知る人はなかなかいないのです
本物で生きることができない人が殆どに「なった」からです
この「誰?」の人に向かって接している他人は、一番バカにされています
真剣に接している人に真剣に接することもできません
できないのです
意識の自分は、本人の肉体と関係のない別人だからです
相手を見ながらワクワクして、自分をうまく動かそうとするのです
この光景、どう思いますか
透けている人はここにいないでしょう
だから、当事者意識もないのです
そして本物の気持ちも感じないのです
肉体を「ちゃんと」うまく動かし続けて、誰かが作った理想の通りに生きて「勝ち」なのです
人として生きないのだから、それくらいしかやることはないです
酷いことを言っていると思うかもしれませんが、いいのです
その人ではなく、鬼の仕業なのですから
今後もこの世に出てくることなく、鬼は「生まれた原因」と共に心の中に引きこもるのです
本物の命を授かり、本物の親がいて、このような事態にもなるのです
だから、我慢して装ったりしない方がいいのです
気持は体験によって生まれてきますから、このままの状態で生き過ぎてしまうと、人生そのものを重要なものと考えられなくなるのです
気に入らないことがあっても黙って怒りだけ感じて心の中で引きこもる
そんな風になったら、死んだ自分も生まれてくることはできないのです
これが「前世の呪い」です
親の所業によって生まれてきたので、前世の呪いなのです
そして親を超える時、本物の自分の人生が始まるのです
これは親子代々繰り返されます
社会の変化により、外敵の力に負けた時にも起きます
今の日本はそれです
外からの圧力で多数が自分を失いました
それで、民族の滅亡も見えてきたなと僕は思っているのです
本来の力、潜在能力というものは、この状態の人は使えません
片鱗はあっても、意思と肉体が一致しないと使うことはできないのです
本気が出せないからです
真剣にもなれないのです
透けている人を見てください
その人が、肉体の方の人生に本気になるわけがありません
自分とは関係ないからです
意識の自分に関係ある存在は、誰もいません
だから孤独になるのです
自分を見つけ、成仏させていくしかありません
それしか方法はないのです
僕は僕で、これら起きてることを現代社会風に表現することにいつも苦戦しています
自分ではわかっているので気になりませんが、本当に昔を捨ててしまうと他人の真似事をしなくてはならなくなり、面倒なものだと思います
