神経症と呼ばれるものは、餓鬼です。
そういえば、「食えなんだら食うな」(著 関 大徹)を推薦していた執行 草舟氏も今の日本人は餓鬼になっていると言っていました。
僕も驚きました。
こんなに真剣に人の内側を見たのはどれだけぶりか忘れるくらい久しぶりに見てみると、肉体と精神が別人。肉体には魂が宿っていない状態です。
それが以前載せたこの図です。

私は肉体とは別人で、自分が傀儡として「都合よく」動かしている「他人から見える自分」と相手に会話させている。
傍観者。今ここにいてここにいないのです。
この状態の人は、中身の精神が外に出て来られなくなります。
餓鬼です。
これをどうすればいいものかと考え続けています。
少なくとも他人と真剣に会話できる状態ではないです。
相手が真剣に自分と向き合っていても、自分は心の中で様子を見ているだけ。相手との会話はそもそも自分がしているわけではなく、自分が傀儡として動かしている肉体にやらせているだけですから。
真剣に話などされても、今ここにいて相手が話しかけている自分は別人なのですから、意味はないのです。
「私」は最初から誰とも会話などしていません。存在もしていません。見ているだけです。
自分の使う傀儡の身に起きたことを見て、喜んだり怒ったりしているだけです。
だからこそ、当事者の感覚がなく常に欲求不満なのです。この状態で満足することはありませんが、喜び続けたいならば他人が望みを叶え続けるしかありません。
しかしそんなことも最初のうちだけです。相手を操作するために自分の肉体を動かすのですから、思っていることは何も言えないし、相手を操作できそうなことをやり続けなくてはならないし、更に自分は相手より優位に立って尊敬もされたいのですから、大変なことです。とても続けられません。
とにかく、これは餓鬼なのです。
餓鬼は自分が人間だと思っていますが、違います。
僕も子供の頃に自分で気づいて驚きましたし、自分がいつの間にか餓鬼になっていたことに絶望しました。
この状態になっている人と、人間が会話することはできません。
相手は必ずこっちの様子を見て、発言を意のままに操ろうとします。
嘘をつくのが当たり前なのです。本人の肉体ではないので、自分が思うことを言うなどあり得ないのです。
「この肉体は、自分が人生を生きるためではなく、他人を操作するために使うことにした」
そういうことです。
嫌だなーと思っています。接する難易度が高く、巻き込まれると地獄行きです。
そして、自分でどうにかするしかないものです。他人にはどうにもできません。その人の心の世界に入れる人はいませんから。
心の中にいる鬼は煩悩の化身。だからやたら疑ったり騙したりするのです。
人の心が戻ってくればいいのですが、そのためには「素直な自分」を本人が自覚しなくてはなりません。探さなくてはならないのです。
ちなみに、僕はすぐに見つけて自分の正気を取り戻しました。
恐らく、それも難易度が高いと思われます。常に自問自答できる程度に自分を持っていなくてはなりません。
ところで、なぜ餓鬼になったのか、まずその原因を知りたいところですね。
餓鬼は幼児期に出てきます。
その時に、親が対応を間違うと図のようになってしまいます。
素直な子供の方を叩きのめして、ご機嫌を取って人を操作しようとする餓鬼の方を育ててしまったのです。
子供の方は「これじゃいけないのかな」「こうしなきゃならないんだ」と、何か理由がわからないままに、親の機嫌が良くなることをした、という感覚です。
では「これで良かったんだ!」と安心できることになればいいのか?といえば、全く違います。
それでは、結局親のしていることに合わせて出てきた反応の話になりますから、そこではありません。
根源は未練。既に過ぎているので未練です。
怒り憎しみが強くなってしまうと、これを探すのはかなり難しいことです。
特に餓鬼は育ち続けると傲慢になります。
自分が威張っているものだから、今のままの方がいいのです。
元の素直な自分と、餓鬼を戦わせることができないとどうにもなりません。所謂、葛藤です。
とにかく、図のような状態で皆さんがAさんの立場ならば、傀儡として自分を操作するために動かされている人を相手に、真剣に話し合うこともできないとわかるでしょう。
誰かが操る木偶人形と話しているのです。
心無いわけです。
見ていてわかる人間にとっては、話しているのもバカバカしいですよ。
全部嘘なのですから。自分の顔色を窺って、言う事をコロコロ変えるのですから話になりません。
この状態の人に、今書いているような内容を聞かせたとしても、意識の存在たるものは肉体とは別にいるのですから、どうにもなりません。
例えば、こうして僕が書いている内容を考えることなく疑ったり、評価したりするのが関の山です。
自分が評価を求められていないのに、好き勝手に評価してくる人がいるでしょう。
それはおかしいとか、普通じゃないとか、人様に向かって言う事ではありません。そんなことは求めていないし、自分が責任を取っていくわけでもないのですから。
ただ難癖付けて貶してくる。そんな人がいます。
鬼なのです。
いつも評価する目で見てくるのは、精神が傍観者だからです。
当事者ならそんな視点で物を言いません。
他人にはどうにもできません。
餓鬼にとって他人は道具です。自分と関わる人など生涯いません。
周りにいるのは人間ばかりですから、仲間ではないのです。
人間を心の中から操作できると思っているのは、自分は人間たちとは違う存在だとわかっているからです。
肉体が精神とは別なのですから、精神だけの存在と関われる実在の人間はいないのです。
見てくれだけは人間ですから、まず誰も気づかないでしょう。
人間に正体がバレるのを恐れていますから、常に隠れています。
やましいことがあるからコソコソするのですが、人の心はないし、人を仲間だと思っていないのでなんら悪いことをしている気もありません。
人ではないですから、仲間でもない生き物たちを利用することに何も罪悪感はないのです。
それが親であってもです。人の子ではありませんから。
餓鬼自体は、心の中から生まれてくるものです。何かの欲なのです。
肉体を渡してはいけないのですが、そのための戦いを全くしていません。
餓鬼に精神世界での戦い方を教えたところで、餓鬼は今のままでいたいのですから意味がありません。
人間が何を教えたところで、意味はありません。人間の話なんて真剣に聞くことはないですし、一生出ても来られない鬼は「人間の肉体」という監獄から出たがっているので救いを求めます。
そんなわけで、どうしたものかなあと思っています。
人間になら教えられることもありますし、自力でなんとかする方法を身に着けさせることもできますが、鬼には何を言っても無駄なので教えても意味がないです。
欲求のままに衝動的に動くのが鬼です。制御してくれるはずの人間が既に心の中で完全に死んでしまっているならば、もうどうにもならないです。
人間は人間を助けることはできても、鬼は助けられないです。
鬼は誰かに退治されるだけ。
自分で退治できないなら誰かに退治されるしかありません。
どちらにせよ、鬼は人間を倒して支配するための戦いをして生きるのみです。
いま、すっごく眠いのでこの辺で。