人間は違いを知るだけで不満が消えて行くことに気づいてない。
この世に同じ人はふたりといないのだから、違いを知るだけでいいのだ。
カテゴリ分けして存在するものを極僅かにしていくから、うまく行かないのだ。
アメリカの映画を観ていると、日本人の役を中国人がやっていることがよくある。
日本人が見れば「日本人じゃない」とすぐにわかるが、アメリカ人にはわからない。
僕たちは自分が日本人だからその違いがわかるだけで、白人から見れば日本人も中国人も台湾人も韓国人も、みな同じに見える。
要は、「どうでもいい」のだ。
人間はどうでもいいものを個別化しようとしない。
子供を個別化しない親も、子供がどうでもいいから個別化しないのだ。
ナルシストは自分だけが特別で、その他はどうでもいい。
その他に関心を持った時、「自分の中で」自分だけが特別な存在ではなくなってしまうのだ。
強烈な自己執着と、他人への無関心。
これにより、本人の自覚する世界の中では「自分だけが特別」になるのだ。
人間は認知の世界に生きている。
だから自分にだけ注目して、他人に無関心であれば、その人の中ではこの世で自分だけが特別な存在に感じられるのだ。
自分を特別な存在にし続けるために、他人に無関心でいるのだ。
人間が怖い人は、自分の身を守るために「脳内で自分を特別なものにする」という方法を取る。
現実は何も変わらないし、それどころか自分のことばかり考えていれば現実は悪い方にしか行かない。
自分の脳内でだけ自分が強い存在になっているから、現実がわからない分現実は更に怖くなり、そして何をしても裏目に出るような損しかしない。
防衛的に生み出した自分の脳内の世界と同じように「自分を強くて特別だ」と「信じてくれる誰か」を探して生きるのだ。
しかし、恐れからその世界を生み出しているという現実は無意識から常に自分を襲ってくるのだ。
不安、という感覚となって。
そして、その防衛的な世界を「現実のものだ」と無条件に信じ込んで同じ世界を生きてくれるのは、生まれた時から自分を完璧に信用している子供くらいしかいないのだ。
結果、子供は親の作った「防衛的で利己的な世界」を生きながら、現実を破綻させ、自分を主体とすることもできず、現実が進むはずもないから「親の作った世界」を脱することができなくなるのだ。
それを代々繰り返して生きていくのだ。