事実、それでも相手の態度が変わらずいつも通りにしてくれているから、これでも「大丈夫」なのだと思うのです。
自分の家なら相手が気に入らない時は、即冷たい反応が待っています。意地悪をされることも、責められることもあります。
それが、人間とのコミュニケーションなのだと思っているのです。相手が傷付いたり嫌なことがあったら、即、顔に態度に、そして言葉に出してくる。
なにか「間違ったこと」をしたら、即刻失敗したとわかる反応が返ってくると思っているのです。だからこそ、「間違いがないよう」に気を付けているのですが、自分を受け入れてくれる人は何をしても平気なのです。
気を使ってご機嫌を伺わなくても、何をしても傷つかず、怒ったとしてもすぐに許してくれる。いつも変わらぬ態度で接してくれるので安心なのです。
関係が悪くなる=相手の態度が悪くなる だと思っているので、人間関係が良好に育っているという意味がわかっていないのです。
相手が嫌なら嫌で、即刻自分にわかる反応があるはずだと思っているので、相手の反応を基準にしてもいいことを判断しているのです。
相手が平気ならしてもいい、ダメならしてはいけない。
問題ないことなら相手の態度は変わらない。間違ったことをしたら相手の機嫌が悪くなったり、そうだとわかる反応が返ってくる。このような理解をしています。受け身な状態で生きているので、全ての人の接し方が自分自身と同じだと思えばそのような理解になります。
自分の中に自分の行動を決める道徳的基準がなく、自分の行動を自分で決めて実行しておらず、欲求のままに動いているのです。
ただ、それだけではないのです。
「この人なら、きっとうちの親をなんとかしてくれる。うちの親を相手にしてもうまく接してくれる。」
そう思える相手なのです。
自分の家にいる、自分にはどうにもできない相手。
その相手にうまく言って聞かせるだけの能力がある、と感じられる人なのです。
「この人ならなんとかしてくれるかも」
このような期待をするのです。
それが、本当に自分を受け入れてくれている人です。
そしてそれこそが、滅多に出会わない「運命の人」であり、地獄からの出口を持ってやってくる人です。