我慢を良い子がすることだと教えるのは大変危険である
本当の良い子は素直な子、正直な子、自分自身である自然な子
しかし、人に気に入られそうなことを我慢してやる子が良い子だと教えられると、良いことをするためにずっと我慢してしまう
「そんなことしなくていいんだよ」と言われても、我慢してしまう
大変危険なことである
我慢している良い子は幸せにならない
我慢して何かが起きても自分が我慢しているから満足する日は来ない
この刷り込みはなかなか解けることがない
我慢して気に入られることを言ったりやったりしてしまう自分は、「可哀想」と思えるのだ
良い子になろうとしている子
我慢している子は、心理的に健康な人から見れば「性格の悪い人」である
だが、それが「良いことだ」と信じていれば「つい我慢して良い子になっちゃう」と人目も憚らず言うようになる
人に言えなくて悩むならともかく、人に言っても平気なのだ
バレたらまずいとさえ思わないほど「それは良いことである」と信じ込んでいるのだ
「我慢して良い子になってしまっただけだと知られたら、どうしよう」と恐れない
「また今日も我慢して良い子になっちゃったんだ」と人に言えば「可哀想」「そんなに無理しないでいいんだよ」など優しい反応が来ると期待してしまう
それが良いことだと信じているからだ
良いことではない、という意味さえ理解できないほど、「我慢しているのは良いことだ」と思っているのだ
「私の言うことを信じたら騙されるよ」と他人に言っているのと同じである
人を喜ばせるためにやっているのだから、あの時の嬉しいことも本当かどうかわからない
そしてなんとしてでも良いことだけが起きていることにするのだから「そんなことない、あなたに言ったことは本当」と言われても、それ自体が「我慢して良い子にしているだけ」だと思われて当然だ
さっきのは本当で、でもあの時のは嘘で…
「あなたには正直に言ってる」
もうこれが嘘でしかないことは明白だ
結論として「この人は信用できない」である
この「信用できない人である告白」を、あたかも可哀想な人に見えるかのように思ってしまうのが、完全に洗脳されている人だ
我慢して良い子にしている人は、望ましくないことが起きると変貌する
「なんとしてでも良いことだけを!」と思っているので、自分が我慢している分他人の反応も「社会的に望ましいこと」でないと許せない
なんとか周りの反応まで理想的にしようと頑張る
だから全部嘘なのである
大体、現実の人間がそんなこと思うわけない、と誰もがわかるようなことで嘘をつく
状況に一致しないほどいいことを言う
大変危険なことなのである
「我慢しているのは良い子」という洗脳がなかなか解けないのだ
我慢して良いことを起こして「やっている」人は、どんどん話の展開が望ましくならないと許せない
嘘をついてまで理想的な展開を作っているのだから、相手も自分と同じ目的を持って我慢して理想的な展開にする協力をしないと許せない
コミュニケーションは互いの努力である
よって、嘘の関係を作るにも互いに嘘を付き合う必要性がある
嘘と真では噛み合わない
一緒にいいことが起きているという演技をしようよ、という付き合い方をする
本物を使っていいことが起きている風にしてしまったら、本当のいいことが起きる余地がなくなってしまう
現実をそんなことのために消費するものではない
あなたは、つい我慢してしまう自分を良い子だと思うだろうか?
相手に気を使ってついいいことを言ってしまうことはいけないことだと思っても、そんなことをしてしまう自分は良い子だ優しい子だと思うだろうか?
もし思うならば問う
では、あなたと関係がある誰かが、そのような付き合い方をしていたとしたら、どう思うだろうか?
あなたに言っていたことは、あなたが喜びそうな展開を作るために言っただけである
あなたを喜ばせるために嘘を言っていたのだから、あなたにとって相手は優しいいい人になるだろうか?
本当は何を考えているのかわからないが、いつもいつもあなたのご機嫌が良くなりそうな展開を作ってくれる
あなたの「だったらいいな」を叶えるために関係を作っている
だとしたら、どう思うだろうか?
わかってもらえただろうか?
大変危険なのだ
悪びれもせず、堂々と我慢して良い子をやっていると言えるほど洗脳されてしまうのだから
性格悪い、何様のつもりか、と思えることをしながら、「そんな私を慰めて」になってしまうのだ
大変危険なことなのである