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自分を偽って生きるまだ見ぬ友人へ


自分を偽っている まだ見ぬ友人へ

 君は、まだ自分を偽っている友人だね?

 人にいい顔をしてしまう。

 キャラクターを装って、優しい人になろうとか、親切な人だと思われようとか、強い人だと思われようとか、そんな遊びをしているんだろう?

 気にしなくていい。僕もかつてはそうだったんだ。

 でも僕はもうやめたんだ。

 今五年生なんだけど、もうやめた。

 前は僕も君と同じように、もっと強くてカッコいいキャラの役をやりたくて、嘘をついていたんだ。

 やりたくないこともやりたいって言う。

 だって僕は良い子の優等生なんだ。そういう役なんだ。

 僕はいつだって優秀で、平然としているような子の役になるんだ。

 だからみんなの前でもちゃんとその役を演じてる。

 僕はカッコいい優等生の役でいることにしたんだ。

 どんな時も間違えないし、冷静なんだ。

 僕は冷静だから、うっかり何か失敗をしても、平然とするようにしているんだ。

 つい慌てそうになっても、何事もない顔をするように頑張ってるんだ。

 だって僕は冷静だからね。

 すごく不安になっても、僕は動揺しているってわからないようにしてるんだ。

 そんな風に、僕はなりたい子になってたんだ。

 なりたい自分になれたんだよ。

 もちろん、本当は不安だし、失敗するし慌てたりする。

 でもそれが無いかのように振る舞えば、僕はなりたい自分になれる。

 みんながバカ騒ぎしていたら、それを大人っぽい冷めた目で見ているんだ。

 ちゃんとできるよ。大人っぽい態度をとるんだ。

 僕はそういう子だからね。だから大人っぽい態度をとるんだ。

 バカ騒ぎには参加せず、冷静な目で遠くから見ているのが大人っぽい子なんだ。

 だから僕はバカ騒ぎしている子たちが見えたら、絶対に参加しないんだ。

 僕は冷静な優等生だからね。

 僕はなりたい自分になれたんだ。

 自分はなりたい自分になれたんだけど、何もいいことがなかったんだ。

 こんなに良い子の僕なのに、何もいいことがなかったんだ。

 バカ騒ぎしている子たちは明るいけど、僕は辛い過去があるからもっと暗い雰囲気なんだ。

 だって、過去に相応しい自分はそれだからね。

 辛い過去があるんだから、それなりの態度でいないとね。

 家でも嫌なことばかりあるから、一緒にバカ騒ぎなんてできないんだよ。

 僕はほかの子より辛い過去があって、家の中でも酷い扱いを受けている子なのに

 友達と一緒になってバカ騒ぎするわけにいかないだろ?

 そういうのは明るい子がやるやつだからね。

 僕は辛い過去がある子なんだから、それなりに冷めた態度になっていないとおかしいだろう?

 学校にいたって、面白くないよ。

 だってひたすら優等生でいるだけなんだ。

 それに、僕はほかの子よりすごく頭が良いから、期待されてる。

 僕だけが学校に残って、何かをやらされるんだ。

 期待された結果を出さなくては先生をがっかりさせるから、家に帰って宿題として僕はやるんだ。

 トップでなくてはいけないんだ。

 一番知能が高いからね。成績も一番でないとダメなんだ。

 学年一だって先生も言うんだ。でもちょっとミスが目立つんだ。

 もっと注意してミスを無くすように言われているから、完璧に間違えないようにしなきゃならない。

 僕は優等生だから、バカ騒ぎには参加できないんだ。

 わかるだろう?

 成績優秀で辛い過去や不幸な境遇があるんだから、真面目に頑張って一番の優秀生を続けながら、ちゃんとやれてるって認められる子を続けなくてはならない。

 この子は大変な境遇なのに、きちんとやれてるって。

 でもいつまで続けても、いいことはないんだ。いつまで続けなくてはならないのかわからないんだ。

 僕はちゃんとやってるのに、誰も僕を見てくれないんだ。

 みんなの前でずっときちんとやっているのに、皆がいつになったら認めてくれるのかわからないんだ。

 誰に言いに行けばいいのか、見せに行けばいいのかわからないんだ。

 僕は真面目な子だから、いたずらもしないよ。

 みんなと一緒に隠れていたずらなんてしない。

 決まりはきちんと守るし、言われたことはちゃんとこなす。

 みんなより優秀にこなすんだ。

 それだけ頑張ってちゃんと一番になっているのに、誰も褒めてくれないんだ。

 ちゃんとやってるのに。

 頑張っても頑張っても、これ以上ないくらい優秀にできても、みんなは僕のことを無視するんだよ。

 ひどいだろう?

 みんなにわかるように、みんなの前でやっているのに、僕がお母さんに言われたとおりにして頑張っているってことを、誰も褒めてくれないんだよ。

 僕のことは先にきちんと説明したんだから、皆は自分たちが僕の何を見なきゃいけないのかもうわかっているはずなのに、僕の話を無視して勝手なことばっかりするんだよ。

 僕のことをきちんと確認せずに、すぐに好き勝手に遊びに行ったり他の話をしだしたり、ちゃんと僕を中心に考えてくれないんだ。

 僕が一番大変なんだから、僕のことをもっとみんなで考えるべきなのに、わかっていないんだよ。

 友達の話を聞いても、僕より大変な子なんていないんだ。

 皆は家族がいて、当たり前のように食事は母親が作るんだ。自分で作ることもしない貴族みたいな連中ばかりなんだよ。

 僕はちゃんとやってるのに、楽して生きている連中は本当にどうしようもないんだ。

 お母さんも言ってたんだ。

 貴族みたいな連中は子供だって怠けているから、勉強もお前以下にしかできないって。努力してない証拠だって。

 でも本当なんだ。小学生はもう大人なのに、遊んでばかりいるんだ。

 そんな連中がちゃんと頑張っている僕のことを、話したにも拘わらず無視しているんだ。

 どうでもいい関係ない話ばかりして、僕のことを皆でちゃんと話し合わないんだ。

 それで僕は、死のうと思ったんだ。

 なぜか急に死にたくなったんだ。

 だっていいことがないんだ。生きていても。

 これ以上できないくらい頑張っているのに、ちっともいいことがないんだ。

 これ以上完璧な成績なんてないってくらい優秀なのに、みんなが僕をちゃんと認めないんだ。

 みんなは冷たいんだ。自分たちのことばっかり考えていて、好き勝手に遊んでいてちゃんと僕のことを考えていないんだ。

 僕はちゃんと頑張ってるんだから、僕に正当な評価をすべきなのに。

 学校の屋上から飛び降りようと思ったんだ。

 みんなが屋上に来て、止められたけど。

 でも僕は本気で死のうと思ってなかったんだ。

 ただ、みんなが僕を無視して勝手なことばかりするから、ちゃんと話を聞いて欲しかったんだ。

 僕のどこがちゃんとできていないって言うんだ。

 みんなよりずっと優秀なんだ。

 友達にも親切にしているし、困っていたら助けてもいる。

 きちんと全部やっているのに、それでもみんなは僕をちゃんと認めてくれないんだ。

 不公平だろう?

 おかしいだろう?

 僕はちゃんとできているんだから、当たり前にみんなが認めて僕を受け入れてくれるべきだろう?

 友達は自分たちが僕に何をすればいいのか、ちゃんとわかっていないんだ。鈍感なんだ。

 説明を聞けば、僕にどうしてあげればいいのかわかるようなものなのに、バカなんだ。

 でも僕は考えたんだ。

 どうしてみんなは僕を認める役なのに、僕は誰のことも評価するために見ていないのかなって。

 僕はちゃんと頑張ってる。

 ちゃんとできてる。

 多少のミスがあっても、友達の比じゃない。

 僕は友達より上だ。

 じゃあ、誰が判定する役なの?

 何かの試合で競争しても、優劣を競う相手は判定する人じゃない。

 僕は「みんなより優秀」にやっているんだから、皆ではない誰かがいるってことだよね?

 どこに認めてくれる人がいるの?誰が見てるの?

 僕の過去や今の状況で、僕がこんなに頑張ってるってわかってもらえたら、僕はみんなに求めているものをもらえるんじゃないの?

 僕は最初から「どんなことが起きているのか」を皆にわかるように説明したんだ。

 皆はこの人生がどんなものか知らない人たちだからね。途中参加の人たちだから、知らないんだよ。

 だから僕は全部説明してあげるんだ。
 すごい話なんだから、この人生は僕の人生なんだから、ちゃんと皆は僕の話を聞かなきゃダメだろ?

 皆は僕の人生に出てきた人たちなんだから。

 僕はちゃんとこれまでのことを説明して、皆が一緒に続きをできるようにしてあげてるんだよ。

 僕がどうしたいのかもちゃんと言ってるよ。

 みんながちゃんと理解したら、みんなの輪に迎え入れられるんじゃないの?

 これだけ頑張ってすごいねって。

 こんなに優秀で偉いねって。

 皆が気づいてからが、やっと自由にできる楽しい人生でしょ?

 僕が頑張ってるってわかってくれたら、母親もなんとかしてもらえるんでしょ?

 みんながなんとかしてくれるんだよね?

 だって僕は悪いことしてないんだから。

 僕は何も悪いことしてないのに、お母さんは僕の話も聞かないんだよ。

 ひどいだろう?

 だからちゃんと話を聞くように、誰かが気づいて言い聞かせてくれるんじゃないの?

 「ちゃんと子供の話を聞きなさい」って。

 僕が認められたら、誰かが僕がどんなにちゃんとできてる子なのか、母にきちんと教えてわからせてくれるんじゃないの?

 僕はただ、みんなと仲良くしたいんだ。

 でもまだ認められてないから、我慢して頑張ってるんだ。

 みんながちゃんと僕が頑張っていることに気づいてくれないと、何も始まらないからね。

 それまでは我慢なんだ。

 皆がちゃんと僕の人生に気づくまでは。

 でも頑張っても頑張ってもみんなが僕をわかってくれないから、もう死にたいんだ。

 この人生はダメだ。

 もう一度やり直したいんだよ。

 君はわかってくれるだろう?

 僕の説明を今までちゃんと聞いてくれていた?

 僕の人生がわかったら、可哀想になっただろう?

 君も途中参加の人だから、今いきなり出てきたんだから、ここがどんな世界かわかってないよね。

 だから僕はちゃんと説明したんだよ。

 もうわかっただろう?

 だから僕を見捨てたりしないよね。

 だってみんなの前では言ってないのに、僕が我慢して良い子にしてきたって話も君は知ったんだから。

 ここまでわかったら、もうどこにも行かないだろう?

 ここで僕を見捨てたら、君は冷たい人になるからね。

 寄り添ってくれる人が欲しいんだよ。

 僕がこうして我慢して生きていくために、一緒にいて認められる日まで仲良くしてくれる人が。

 きっとこうして我慢して良い子にしていれば、ちゃんとやっていれば、どこかから僕をわかってくれる人がやってくるって信じているんだ。

 こんなに良い子にしているんだから。

 神様はこんなに良い子にしている僕を見ているはずだから、きちんとおりこうさんにしている僕を救ってくれる人が必ずやってくるって信じているんだ。

 どこから?

 知らないよ、そんなの。でも僕はちゃんといい子にしてるよ。

 それはどんな人なのか?

 そんなのまだ会ってないんだから、知らないよ。

 今はどこにいるのかって?

 知らないよ。まだ出会ってもいないのに。

 でもこういう流れになっている時は、後から僕をわかってくれる人がやってくるってことだろ?

 それがないなら地獄だよ。

 ないと僕が困る。

 いつやってくるのかなあ。

 もう死にたいんだよ。そのくらい辛いんだよ。

 早く来てほしいんだよ。

 僕を救ってくれる誰か。

 その誰かに出会うまでは、ちゃんと僕の人生をいい話にして、僕が認められるだけの良い子でいないとね。

 友達は今頃何をしてるかって?

 さあ。

 そんなこと考えたこともない。

 だってもういなくなったよ。

 明日になったらまた出てくるんじゃないかな。

 どうせ僕が関わるのはほんのちょっとの友達だから、他はどうでもいいけどね。

 そこにいるだけのやつだから。

 殆どの人は、そこにいるだけの人間なんだよ。

 よくテレビでも主人公たち以外に後ろにその他大勢がいるだろ?

 殆どの友達はあれだよ。

 僕に関わるまでは、今何が起きているのかこの話すら知らないんだ。

 何も知らずにいるんだよ。

 だから僕のことをちゃんと考えられないんだ。

 知らない子はまだしょうがないよね。でも知ったやつは許されないよね。

 この話って何かって?

 だから、この話だよ。

 この話。今君と話しているだろ?

 この話だよ。

 君も出てきたばっかりだから知らないだろうけど、この話は僕が全部わかっているから大丈夫だよ。

 僕はとにかく、ずっと我慢して頑張るんだ。

 いつか誰かがやってくるまでは、僕はじっと我慢して頑張るんだ。

 僕は偉いだろう?だって誰もちゃんと見てくれないところでも、こうしてきちんと良い子にしているんだから。

 わかってくれない連中はきっと罰が当たるね。

 この話が全然わかってないんだから、あいつらは悪役だよ。

 きっと僕をわかってくれる人が現れたら、あいつらはやっつけてもらえるよ。

 全員死ねばいいのに。

 親がいる連中はみんな死ねばいいんだ。

 全員親がいなくなればいいんだ。

 こんなに可哀想な僕がちっとも報われていないなんて、こんな世界は無くなった方がいいよ。

 無くなってもう一回やり直し。

 ねえ、いつまで待っていればいいのかなあ。

 いつかはわかんないけど、僕はちゃんと良い子にしているからこれでいいんだよね。

 明日もまた頑張らないと。ちゃんと優等生を続けないと。

 ほんと仕事と同じだよね。

 良い子にし続ける苦労を少しはみんなもわかってほしいよ。

 小学生だからって好き勝手に遊んでいられる連中にさ。

 自由な連中はいいよなあ。

 僕はまだ誰もやってこないから、まだ自由にもなれない。

 好きに遊ぶこともできないんだからさ。

 遊びたいなら遊べばって?

 そういうわけにはいかないよ。

 ちゃんといい子にしていないと困る。

 誰が困るかって?僕だよ。

 ちゃんとしてないと、認めてもらえないだろう?

 ちゃんとしてるから誰かがやってきた時に救ってもらえるんだ。

 それは誰が決めたのかって?

 わかんない。

 わかんないけど、ちゃんとしてないと。

 救われてどうなりたいのか?

 みんなをやっつけてもらって、今までの僕がどんなに偉かったかわかってもらうんだ。

 みんなにちゃんと言い聞かせてもらうんだ。

 みんなもわかったら、きっと泣いて謝るよ。

 僕がどんなに頑張ってるのか知りもしないで、無視して好き勝手に遊んでいたんだから。

 それで誰かに懲らしめてもらって、そうしたらみんなも反省して僕と仲良くしようとするよ。

 なんで仲良くしたがるのかって?

 悪いことしたのは自分たちだから。

 あと

 僕が可哀想な子だから。

 こんなに可哀想な子なのに、こんなに頑張って優秀になっていて、偉いだろう?

 皆は可哀想な子だって、説明したからもう知ってるんだよ。

 だから僕と贅沢に生きてきた他の子たちの努力は、全然違うんだ。

 僕の方が絶対大変なんだから、僕が一番優遇されるべきなんだよ。

 殆どの子は、死んでいいくらい贅沢。もう何も叶わずにこれからどんどん不幸になっても問題ないくらい贅沢。

 最初からずっと親がいるんだ。ずっと親が一緒なんだ。

 そんな人間はみんな不幸になればいいんだよ。苦労なんて知らないんだから。

 これを見ている人間も、もし両親がいるのに平気な顔で生きているならこれからどんどん不幸になればいい。

 僕はみんなより不幸なのにみんなよりずっと優秀でずっと努力してる。

 僕は言われたとおりにちゃんと良い子にしてるんだよ。

 僕はどこに行っても堂々としていられるよ。だってみんなが良い子だって認めることしかしてないから。完璧に良い子がすることしかしてないんだ。

 宿題を忘れたことなんて一度もないよ。
 テストだって一問でも間違えたら必ず後で復習して完璧に理解できるようにしてる。

 ケチのつけようがないくらい完璧にするって決めたんだ。
 だってちょっとでも失敗すると、お母さんがうるさいからね。

 だったら最初からミスしなければいいって気づいたんだ。

 批難されるような部分を残さず、完璧に問題ない状態になればいいんだって気づいたんだ。

 でももう疲れてきたんだよ。

 もう嫌なんだよ。

 あんな悪い子たちと僕では比較にならないのに、世の中は理不尽だと思うだろう?

 悪い子たちって誰か?

 親がいるのに平気でサボっていて、成績も完璧じゃないのに予習も復習もせずに言われたこともきちんと守らないような連中だよ。

 なんで親が何も言わないのかって?

 親がダメな親だから。

 宿題を忘れた子供に平気な顔で優しくするんだ。ちゃんと教育しなきゃダメなのに。

 子供も平気で笑っているんだよ。頭おかしいんだね。

 僕だってどんなに努力していてもミスはするんだ。

 だからこれを無くすためにはもっともっと努力しなきゃならない。

 サボってるやつらなんて問題外だよ。

 ちゃんとしてないと。

 いつまで?

 知らない。誰かが認めてくれるまで。

 それまでは?

 それまでは…ずっと良い子で居続けるしかないよ。

 だってそう言われたからね。それに、それは確かに良いことだからね。

 良いことをしているのが良い子だからね。

 認めてもらえるまで良い子でいないと。

 こんな僕をどこかで誰かが見ていないのかな。こんなに良い子なのに。

 死んで生まれ変わりたいよ。

神殿

 生まれ変わる時は、今生の全てを裁かれるんだ。

 閻魔様がいて、嘘をついた人間は舌を抜かれるんだ。

 迷信だけどね。

 この世は人間が作ってるし、人間しかいないんだから。

 僕、いい子だよね?

 だってちゃんと良い子にしてきたもんね?

 優秀な子でいたもんね?

 こんなにいい子はほかにいないよね?

 なんだろう、誰か見てる気がする。

 ねえ、僕はいい子だよね?

 君もそう思うだろう?

 こんなに優しい良い子はいないよね?

 優しい良い子って、僕みたいな子なのかな。

 これが「優しい良い子」なのかな。

 優しい良い子なのに、皆が冷たいんだよ。

 そうだよね?

 僕はこんなに優しくしてきた良い子だよ。

 親切なこと沢山してきたよ。

 良い子にしてずっとちゃんと待ってるよ。

 誰かを。お母さんかな。知らない人かな。誰か。

 誰かが来るから。

 そんなこと誰に教えられたのかって?

 わかんない。

 なんでわかんないのに待ってるのかって?

 わかんないけど、良い子にしてるから。

 「こうしてろ」って言われたから、その通りにしてる。

 それが「良いこと」だから。良いことだけしてるんだから、良い子だよ。

 それなのにあいつらは…。

 え?優しい子は人を怨むのかって?

 違うよ。僕は優しいけどあいつらがひどい連中だからだよ。

 苦労もしないのに甘えてばかりで親も子供もろくなもんじゃないって、お母さんも言ってた。

 だからそんな連中とは仲良くしないんだ。

 僕が好きな友達も、ろくなもんじゃないってお母さんは言うから、僕は自分から仲良くはできないんだ。

 自分からは仲良くできないんだよ。まともなのがいないから。ちゃんとした優等生ならいいんだけどね。そうでないのとは関わってはいけないんだ。

 僕は間違ってないよね?

 なんだろう。誰か見てるんだ。ずっと。どこからか。

 小さい頃も誰か見てる感じがしたんだ。

 ずっと。ずっと遠くから誰か見てる気がするんだ。

 まだ五歳くらいの時は、誰かいると思って大きな声で「だれ!」って叫んだんだよ。

 ねえ、この僕の人生を誰が見てるんだろう?

 話さないとわからない他人は、僕の人生を見てる人かな?

 話してくれれば僕もわかるけど、話がわかっただけで本当かどうか知らない。

 大体、ほとんどの子の話は僕には想像もつかないから気持ちもわからない。

 全然理解できない。想像つかないから、頭の中には何も思い浮かんでないよ。

 じゃあ、僕の話もみんなは想像がつかないんじゃないかな?

 僕はみんなと違うから想像がつかないんだ。じゃあ、違うのは向こうも同じだから、向こうにも想像がつかないんじゃないかな。

 もし説明されても想像もできなかったら、誰が僕のことわかってくれるの?

 僕の話をちゃんと想像するためには、僕とできるだけ似たような過去が必要なんだ。

 僕と似たような過去の子が現れるまで、誰にもわかってもらえないってことだよね。

 僕と同じような、できるだけ僕とそっくりな過去を持つ誰かが現れないと、いつまでも僕の気持ちはわかってもらえないんだ。

 それまで、いつになるかわからない、いるかもわからないその誰かに会えるまで、僕はずっとこうして生きていかなきゃならない。

 なんでそうしなきゃならないかって?

 僕がどんなに辛かったのか、我慢して頑張ってるのか、わかってほしいから。

 誰に?
 誰か。

 誰でもいい。

 そうしたらきっとうまくいく。何がって?

 何がだろう。

 何がうまくいくんだろう。

 僕が同じような子を待っているんだから、向こうもずっと待っているよね。

 僕とそっくりな過去なのに、僕と同じようなことをしている子が、僕とは正反対のことをしてくれるかな。

 僕と同じような過去なのに、待っている僕の反対に探して生きているかな。

 ねえ。誰か見てる。

ブッダ

 僕はちゃんと決まりを守ってるよ。良いことをしてるよ。

 ねえ、僕はお釈迦様の教えを聞いて育ったんだ。

 でもあんなの迷信だよね。宗教だからね。

 ああいうのは信じる人がいるだけの、どうでもいい道徳だろ?

 だったらいいよねってだけの話で、趣味みたいなものだろ?

 「どんな時も、人のことを考えろ」って教えられたんだ。

 だから僕は人のこと考えて、言われたこときちんとやってるんだ。

 お母さんに殴られても罵倒されても、お母さんは大変なんだからしょうがないって我慢してるよ。

 友達のことも考えてるから、親切にしてあげてるんだよ。

 先生に言われたこともちゃんと守ってる。全部守ってるよ。

 ねえ、なんかぞわぞわするんだ。どこかで誰か見てるんだよ。

 なんか怖いんだ。

 ねえ、僕は良い子だよね?

 ねえ、良い子って、誰が良い子だって決めるのかな。

 僕は、誰にとって今良い子なのかな?

 お母さんは僕にとっては良い母親じゃないんだ。

 それは、僕に嫌なことをするからなんだ。

 じゃあ、僕が良い子かどうか決めるのは誰?

 僕が自分のこと良い子って決められるんだから、お母さんが良い母親かどうかは、お母さんが決めていいことになるよね。

 ねえ、生きてる人間って僕だけなの?

 過去がある人間って僕しかいないだろ?君だって途中から出てきた人だから。

 ねえ、皆は過去がないのにどこから来たの?

 君はいきなり出てくるだろ?

 いきなり出てくる人たちって、どこから来るの?

 ねえ。これ、本物なの?

 これが、この今生きている人生が、お釈迦様の言った「前世の業から始まる今生」なの?

 ねえ、もし、もしもこの人生をちゃんと見ている人間がいないなら、本当にどこかから僕を誰かが見てるの?

 天から。

 ずっと誰かが見てる感じがするんだ。

 これはお釈迦様が天から見てるからなの?

 僕はすごくいい子だよ。一番の優等生だよ。

 でもそれって、天から見ても同じかな。

 何千年も天から人間を見ている存在から見ても、僕は本当に良い子かな?

 天が裁く時も、僕は本当に良い子かな?

 悪いのはみんなだよ。僕のこと信じてくれないんだ。

 僕は誰を信じてるんだろう?

 僕をちゃんと信じてくれた人。

 どうやって信じてるかわかるのかって?

 僕のことがわかったら、僕の嫌なことはしなくなるはずだろ?

 嫌なことって?

 僕の過去や今がわかったら、僕に何をしてあげればいいのかちゃんとわかるだろ?

 それをしてくれないやつは全員意地悪なんだ。

 僕はどうして誰にもしてないのかって?

 だって僕以外に苦労してる子は一人もいないから。

 なんでわかるのかって。

 なんで?

 だってあの子たちは苦労してない。

 苦労してないのは見てればわかるよ。

 苦労してる人間が、明るく楽しく遊んでいるわけないだろ。

 辛い目に遭ってたら、辛い顔をしてるだろ。

 そうじゃないと辛い目に遭って生きてるってわかんないだろ。

 「辛い子は暗い子」そうだろ?

 明るい子は苦労してない子。辛いことがないから明るいんだろ?

 違うの?

 だって辛いのに明るい顔なんてできないだろ?

 嫌なことがあったら、誰かが聞いて慰めてくれて、わかってくれるまでそのままじゃないか。

 それまではとりあえず良い子にし続けるしかないよね。

 ねえ、もしこのまま我慢して頑張っていても、十代になっても二十代になっても、中年になってもずっと「僕をわかってくれる人」が出てこなかったらどうしたらいいの?

 これ、何してればいいやつなの?

 どうすると良くなるの?

 ブッダ

 この話、いつ終わるの?

 この話?

 これ、お話なの?

 僕が生きてるこの毎日、これ何?

 これ、なんなの?

 お話じゃないの?

 そのうち終わるんだよね?

 だってこんな毎日じゃ辛すぎるから。

 とりあえず、決められたことだけきちんとやっていれば大丈夫だよね?

 何も悪くないんだから。何も悪いことしてないんだから。

 ねえ、これでいいんだよね?

 これで大丈夫なんだよね?

 死んだら全部終わり。

 これまでも沢山の人が生まれて死んだ。

 僕には過去があるけど、僕以外の、お母さんにも、知らないけど友達にも多分ある。

 ねえ、僕はみんなにとって良い子だったかな。

 僕は親切にしてきたけど、優しくしてきたけど、友達は嬉しかったかな。

 なんで僕のこと好きにならないのかな。

 ねえ、嬉しいことって僕が決めてその通りになるのかな。

 嬉しいことしてあげたって思ってるけど、喜ばないことって嬉しくないことじゃないの?

 嬉しいことされたら喜ぶよね。

 僕が喜ばない時、それが嬉しくない時なんだ。

 お母さんは「こんなにしてやってるのに!贅沢だ!我儘だ!」って怒るから、謝ってお礼を言うんだよ。

 本当は嬉しくないんだ。

 本当は嬉しくないんだよ。

 でも僕は、良い子だから、だから「喜んであげてる」んだ。

 お母さんが傷つくからね。喜んであげてるんだ。

 友達のすることも褒めてあげて、喜んであげてるんだ。良い子だから。

 そうしたらみんな傷つかないだろ?

 誰も傷つかない世界がいいだろ?

 よく喜んでくれる子がいるんだ。その子は好きな友達なんだ。

 もし、その子が喜んでいるのも「僕を傷つけないため」だったとしたら、僕はどう思うだろう。

 今まで喜んでくれたことも、褒めてくれたことも、全部僕が傷つかないようにしてくれていたんならどうだろう。

 僕と同じように、本当はそんなこと思ってなくても「良い子」だからやってくれているとしたら。

 僕は、すごく傷つく。

 だって本気にして信じちゃったんだから。

 嘘だったら傷つく。

 だったら最初から褒めなくていいし、喜ばなくていい。

 そうか、でもそれだと「僕が不機嫌になるから」そういうわけにはいかないんだ。

 望んだとおりに喜ばないと、望んだとおりに褒めないと、僕が不機嫌になるから。

 僕はお母さんそっくりなんだ。

 僕は、あんな風に見えてるんだね。

 僕は、母親と同じなんだ。

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 僕はね、もうやめたんだ。

 その瞬間のことはよく覚えてないけど、突然、とにかく言葉にできないほどすごい勢いでいろんなことがわかったんだ。

 そして結論だけが出たんだよ。

 「間違っているのは全部僕の方だった」

 これが、前世の業。

 これが生まれた時に背負う業。

 親にそっくりになって、親と同じことをして、嘆く。

 僕は最初から地獄に生まれて地獄に生きていたんだよ。

 だからもうやめたんだ。

 「僕は良い子にしなきゃいけないから」って思ってたんだよ。

 「何かがそのうち認めてくれる」って信じてたから。思い込んでいたから。

 「誰も見てないから、認められるなんてことは起きないけど、もしそうなら何がしたいの?」

 そう聞かれたら

 「勉強ばっかりやってないで、皆と遊んでもっと面白いことやりたい」

 だからそうしたんだ。

 あるのかわからない「認めてくれる何者か」がいると仮定して生きてたんだ。

 もしそんな神様みたいな存在が、人間の中から突然現れることが「ない」と先にわかっていたら、こんな我慢しない。

 諦めたんだ。

 無いものは無い。

 最初から無いんだ。

 でも僕は、それから勇気を出して今までやらなかったことをやるようになったんだ。

 友達の中にいても「それはしてはいけないことだ!」と言いたがる優等生だった。

 でも、いいんだ。

 ここにいる僕も仲間だから。

 僕は仲間と楽しいことがしたいから。

 決まりをきちんと守っている。ということに絶大な価値があると思ってたんだ。

 でも世界は沢山あるんだよ。

 世界の中に世界が沢山あるんだ。

 僕の母が作る世界もあるけど、そうでない世界もある。

 どの世界にも決まりはあるけど、そこにいる仲間たちが決まりを決めているんだ。

 同じ決まりを守りたい人がそこに集まるんだよ。

 僕は人より多く得られなくてもいい。

 平等であればいい。

 僕が一番多くもらって、皆が我慢する集団になるより、皆が平等で、一人も後ろ暗くない、惨めにならない方がいい。

 だから僕は平等であることが一番だと思う仲間と、同じ世界を作ることにしたんだ。

 お母さんの作る世界は、同じことの繰り返しなんだ。

 お母さんの前はお父さんが支配していて、誰か一人が喜んでいるのを、周りが我慢して恨んでいるんだ。

 もう。そんなことは嫌なんだ。

 僕は争いが嫌なんだよ。

 僕は人を憎みたくないんだ。恨みたくないんだ。

 誰から見てわからなくても、自分の心が醜いままで生きる苦しみの方が辛いんだ。

 「心の苦しみ」は内側から湧いてくるから、それがわかるのは僕だけなんだ。

 だから自分の心が醜くて苦しむのは、自分だけなんだよ。

 自業自得。

 お釈迦様の掌の上で僕は卑怯な鬼として生きていたんだ。

 自分の心は自分にしかわからない。

 そして自分しか感じない。

 誰もがそうなんだ。

 僕が誰にもわかってもらえないように、僕もわかってあげられない。

 内から湧いてくるものの苦しみは。

 わからないからこそ、きっとこんな風だって同じものを感じられるように、想像して、相手になりきって、同じ感覚を疑似体験するんだよ。

 それが正確ではないかもしれないけど、他人にできる精一杯のことはそれだけだ。

 そしてそんなことより、信じた方が早いんだよ。

 いちいち確認しようなんて疑っているより、必死で想像するより、ただ信じた方が早いんだ。

 信じて裏切られるかもしれない。

 でも疑って裏切るかもしれない。

 だから選ぶんだよ。

 僕は信じて裏切られる人になる方を選んだんだ。

 どうしてもわからない時は、信じるしかない。

 信じることもできない人間になるよりは、その方がいい。

 人類の神が天から降りてきても、後ろ暗くないように生きる。

 その方が、遥かに安心なんだ。

 僕は自分がなりたかった良い子なんかじゃない。

 醜い衝動や危険な発想が沢山出てくる人間だ。

 だからこそ、それを知っているからこそ、その衝動のままに生きていかないよう、僕が僕を教え諭して生きていくんだよ。

 それが戒めというものだ。

 君がもし、今も自分を偽って生きているならば、よく考えてほしい。

 一体誰を待って生きているのかを。

 僕の家ではこう教えられた。

 「人を謀ったら切腹」

 僕は自分を謀っていた。

 だから僕は切腹して死んだんだ。

 自分を偽る自分を殺し、本物の僕で生きることにしたんだ。

 君が君である時しか、この人生は君のものにはならない。

 誰かの人生を生きて、来るわけもない何かを待ち続けることのないよう。

  過去なんて誰にもわからなくていい。

 たった今を共に過ごし、たった今面白いことが起きて、たった今みんなで笑う。

 それがみんな同じ気持ちになるってことなんだ。


まだ見ぬ友人 最上 雄基より


俺はやれる、と思うために、やる

 人は何もせずにいると意欲が無くなっていきます

 行動しないでいると、やれる気がしなくなります

 自分の心の中にしか生きない人といると、精気を吸い取られて行きます

 自分のやりたいことを実行することで、意思を強く持つのです

 動画 34分

男の生き方

まだ見ぬ友人へ

 僕の父は、権威主義で暴力的な人だった。
 男として良くないことだと思っている。

 そんな時、同じようにならないためにも自分の生き方を考えるものだ。

 男なら、他人と競い、他人と争うな。
 男なら、仲間と共に切磋琢磨し、志を同じくしろ。

 男なら、守るために戦え。
 そのために覚悟を決めろ。

 争いとは、守るものがない足の引っ張り合いである。
 争いとは、戦わずしても生きて行ける相手といがみ合うことである。

 戦いとは、守るための抵抗である。

 大事なものを守るための抵抗である。

 そんな風に、僕は自分の生き方を決めている。
 君はどうだろうか?

 手本にならない父や母がいたならば、どう生きるべきかは自分で考えろ。

 君の親は君にしかわからないのだから。

 君がどうありたいのかも、君にしかわからないのだから。

 

最上 雄基

いつまでも自分が救われない理由

 今、僕は成田にいる。
 時々、意識して遠くまで行くようにしている。

 遠距離を移動することで、考えが進むからだ。

 そして君よ、わかったぞ。

 なぜいつまでも自分が救われないのか。
 僕が今まで教えてきたことは、正しい。

 それはわかっている。

 何ができないのか、心の中で。
 それがわからなかった。

 他人がわからないのかと思っていた。
 だがそうではない。

 僕は自分の心の中に発生するものを、全く恐れない。
 だからそこはもう考えなくていいものだと思ってしまっていた。

 自分自身に「こうあって欲しい」という願望が、僕にはない。

 子供の頃も、自分がしていることを全部自覚していた。

 心の中に発生するものを、心の中で形にできない。

 それが原因なのだ。

 怖いのだろう。

 恐らく、自分が恐ろしいのだろう。

 それでは、毒親と呼ばれる親の元に生まれたら、自分の意思で生きられる日など死ぬまで来ないだろう。

 自分の心が恐ろしい。

 そんなことがあるのか。自分なのに。

 そしてそれはただの心の中なのに。

 そうだった。
 スーザン・フォワードの行うセラピー。

 あれはそういう意味だったのか。
 全くわからなかった。

 「欲求不満」という意味なのだと思っていた。
 恨みつらみの親への手紙を書くという方法。

 そうではないらしい。
 そういうことか。

 自覚できない敵意。
 子供は親に対して敵意を自覚できないという。

 なぜ?

 それがレジリエンス・パーソナリティなのか。
 みな親なんていない、というような境遇で生まれ育っている。

 僕たちは恐らく全員、親と敵対することを恐れていない。

 だからなのか。
 グズグズと恨み言を言い続ける人に僕がイライラしてきたのは。
 友達にも昔からイライラした。

 相手にむかつくことも批難することもなんとも思わない。

 気迫が足りない。
 恨む。許さない。という強い憎しみから来る気迫が足りない。

 生半可な気持ちで、人を悪人に仕立て上げる。
 それが許せなかったのだ。

 人間と人間が争いになることを、なんとも思わない。
 その争いを生み出す精神が嫌なのだ。

 半端。

 恨むでもない。憎むでもない。
 好意でもない。

 なんなのかわからない。はっきりしない。

 好きなのか嫌いなのか何もはっきりしない。

 だから僕は何かイライラしたのだ。

 これが「甘え」というものなのだろうか。
 好きでも嫌いでもない。
 好きと言いながら気に入らないと許さない。

 要は、誰も好きではない。
 でもハッキリ嫌う人もいない。

 ただ辛い辛いと嘆く。

 自分が辛い、痛い、苦しい。

 それ以外にない。
 そしてそれは誰でも同じだ。

 心の中では「良い子」が親にやられているのではないだろうか?

 そのままなのではないだろうか?

 だとしたら、納得がいく。

 心の中で自分はいつまでも良い子。
 良い子ってなんだ。

 良い子って。

 そんなものはいない。

 いい人も悪い人も心の中にはいない。

 激しい憎しみ、怒り、敵意、嫉妬。

 それでこそ人間だ。

 他人に親を求めるという行為。
 僕には無い。

 他人の女に母など求めない。

 他人に親など求めたいやつは、「親子」という関係に最悪なイメージがついていない人間だ。

 僕は親子になりたくない。
 他人に母になってもらいたくない。

 優しい素敵な女なら、女であって欲しい。

 なんでも許してくれる、わかってくれる、そんな母親代わりは要らない。

 母親が要らないからだ。
 二度三度親子関係などあってたまるか。

 人はひとつしか親子を体験できない。
 そしてそれが自分にとって唯一の親子だ。

 僕は親子がそんなにいいものだと思っていない。最初から思っていない。

 それなりのいい思い出でもなければ、親子なんて関係は、二度と作りたいと思わないだろう。

 まして親代わりになってもらって許された時、向こうからは自分が子供に見えている。

 せっかく見つけた素敵な女がいたら、僕は相手から子供に見える男でありたくない。
 だが、大多数の人は他人の目に子供にうつりたがる。

 つまり、大事な人としては決して選ばれることのない、他人なら「要らない」存在になりたがるのだ。

 親子でどんないい思いをしたら、他人にまで親を求めるのか。

 僕にとっての親はそんなにいい存在ではない。
 ひとつしか体験できない親子の関係で、親子は最初だけで充分である、と僕は思った。

 もう一度…と求めたくないくらい、もううんざりだ。
 それが僕にとっての親子なのだ。

 いつまでも思い出して時間を過ごしたくないほどに、あんなものは一度で十分だ。

 君はどうだ?

 もう一度、自分が頑張って他人とでもその関係を作りたいか?

 うまくいくならば、やり直したいほどならば、君は既に相当恵まれているぞ。

孤独と戦え 自分をわかってもらおうとするな

 自分をわかってくれる人

 そんな人はいない

 と思って生きた方がいい
 自分の境遇をわかってくれたとしても、それをどう思うかはわからない

 「知ってくれた」
 だから何かしてくれるわけではない
 自分に必要なものを用意して待っている人などいるわけがない

 自分が知らない誰かに必要なものを用意して待っていないのだから

 自分に必要なものを持ってくる人を待っていたら、寿命が尽きてしまう


 幸せとは、無いものは無いと諦めて生きる道にある


 僕も自分の話を聞いてくれる人が欲しいと思うことはある

 だが、誰も聞いてくれる人はいない

 話しても話しても理解されない
 だから諦めている

 わからなくても、「わからない」と言いながら頑張って聞いてくれる人がいるならば、それだけで幸運なことなのである

 僕にはやりたいことがある

 三十を過ぎた頃に、人の心理についてその仕組みを考えていた際、自分でももう忘れてしまったのだが「世界はこうなっているのだ」と全て理解したと思ったことがある

 当時、それを図面のようにして絵に描いた

 これが全てだ、と思った

 「涅槃」と呼ばれるらしきものを見る体験をしたころだ

 これを、どこかに、と思い、僕は理論として確立するためにこの分野に足を踏み入れた

 だが、これを持っていく先がわからなかった
 どこにいっても、「まだ存在しない理論」を出す場が無かった

 どこに行けばいいのかわからないまま、色々なところで学んでいる際に加藤諦三先生に出会った

 その際も、僕は既にある神経症の定義について異を唱え意見した
 それが教授との出会いであった

 僕はアルベルトを親友とした
 アインシュタインである
 彼もまたそうだったのだと彼の存在を励みに、彼の言葉を相談相手にしてきた

 この理論を確立するためには、この分野に滞在しなくてはならない
 故に、僕は今カウンセラーをしている
 研究したいからだ

 ひらめく時は、一気に全体が見えてくる
 その時一気にやらないと、消えていく

 だが、それは自分では理解できても、うまく言葉に表して形にすることができない

 最近になり、僕は再び仏教について学び、そして曼荼羅について理解し、自分でも教えを説いている

 あれは体得なのだ、と教えた際、僕はある寺の生徒に「こんな風になっているのだと思う」と説明した
 自分の体験からすると、こうなっているはずだ、と

 すると、その後生徒はある図を僕に教えてくれた
 それは曼荼羅の悟りの肯定までを示した順序の図解だった

 僕はとにかくただ体得が先だった
 理屈は知らない
 僕が思うことを説明していると、生徒は「ぞっとした」と言った

 「確かにそう言われている」と知るものを見せてくれた

 言われていても、それがどういう意味なのか体得していない人には理解できない

 僕はそれを自分の言葉で説明している

 生徒は更に、曼荼羅の図解ともうひとつのものを見せてくれた

 似ている、同じことなのではないか、と

 それは、アインシュタインの相対性理論の図解だった

 それを見て「これは全部同じことを言っている」と答えた

 そして今、知りもしなかった「特殊相対性理論」を知り、わかった

 なぜかは知らないが、このアインシュタインの理論を理解できる人は少ないのだと言う


 高速で移動する物体の中では、時間の進み方が遅くなり空間が短くなる

 これが特殊相対性理論だ

 僕は図説を見て理解した

 これは、神経症の時間の進み方と同じだ

 神経症者と心理的に健康な人、その定義にはハッキリとした線引きが無い
 段階となっている
 つまり二種類に分かれているわけではないのだ

 それは高速で移動する物体と同じであり、その時間の速さは認知している時間の長さで「今」という時間の速さが割り出される
 認知している時間の長さが神経症度に比例する

 ということなのだ
 と気付いた
 やはり全く同じ
 この理論はあらゆるところに存在していると思われる

 所謂「宇宙の真理」のようなものだ
 物事の本質なのだ

 そういうことか、とまた頭の中で理論を構築しているが、これを話す相手もいない
 話して理解できるかどうかもわからない

 図解して説明したところで、ポカーンとするかもしれない

 誰かに聞いてもらいたいが、聞いてくれる相手がいない
 誰も僕が言う事を、わかってくれない

 僕もそんなことはある

 子供の頃からだ
 誰も僕の説明することを、わかってくれない

 小学生の頃、先生に教科書にないことを質問した
 自分がどう考えるか説明した
 先生は
 「それはまだ小学生ではやらないことだから」
 と言って、教えてくれなかった
 知りたくても教えてくれる人はいない

 全員で同じ進み方で、同じスピードで進まなくてはならない
 それが僕は嫌だった

 だから僕も人にわかってもらうことを諦めた


 それでも、入り口は仏教だが「一般的に誰も理解して教えていないこと」を教え続けていたお陰で、こうしてお寺の生徒が僕に気付いたことを運んできてくれた

 僕は物理学のことなど全くわからない
 難しいことを言われたら、恐らくわからない

 だがアインシュタインの理論は理解できる

 彼はこの美しい理論を完成させた時、いや、気付いた時、説明を生み出せた時、どう表現したらいいのかわからないが、きっと感動しただろう


 全部同じことなのだ

 この理論から考えると、神経症治療に必要なものも見えてくる

 認知の世界は、時間と空間の理論であるこの特殊相対性理論と同じなのだ

 つまり、物質的な世界だけではなく、もうひとつある人間の脳内の世界、認知の世界にも同じ状況が作られ、そしてその仕組みは同じということになる


 ここまで読んで、どう思っただろうか?

 難しいだろうか

 僕は日々そんなことを考えている

 だから、好きとか嫌いとか、そんなことで大騒ぎして「私をわかって」と言っている人の相手などしていられないのだ
 その人を理解してその人を喜ばせることは、僕にとって未知の理論を完成させられるかどうかに全く関係なく、またその価値は僕にとって重くはない

 「好きなことをする」

 その意味を誤解する人が多いが、気になることがある、ということだ

 知りたい、もっとやりたい、そんなことがあるのだ


 アインシュタインも完成までに長い年月をかけた

 僕も諦めずに頑張ろう、といつも思う
 そして僕より賢い人が完成させてくれるならば、それでも構わない

 お前は間違っている!と言いに来る人が、この理論を理解し、完成させどこかで発表してくれて構わない

 僕はただ、完成したものが見たいだけなのだ

 「私をわかってない!」と憤慨する人を解析するように理解したところで、宇宙の真理などわからない

 自分自身の存在の偉大さを、重く考えすぎているのだ

 そこまで他人は、「私」という存在そのものに、強烈な関心など持たない

 「私の存在」そして「私の人生」

 それをなんとかして他人に自分のこと以上に重く考えてもらい、自分が自分を扱うより遥かに重く扱ってほしい、というのがナルシストの願いだ

 だが、それは自分だけではなく他人の人生の価値も自分の人生に合わせて背負うことになり、責任は重大になる

 「私」という存在が、「それでいい!ありがとう」と喜んだ

 たったそれだけのことが、「私の満足」が、他人にとって人生を揺るがすほどの偉大な価値だと思えている
 それがナルシストだ

 「そんなことはないけど」と言いながら、結局は「私を私以上に偉大に扱え」と要求する

 口では何を言っても、「皆で私のために生きろ」と求めている

 皆が私のために生きたら、皆が幸せになるのだろうか?

 私の幸せのために皆が不満を持つことになったら、後でどんなことになるか考えないのだろうか?


 僕にとっては、ナルシストほどつまらない人間はいないと思える

 すごい価値があることを教えてくれる、見せてくれるのかと思ったら

 「どこかで他の人が言ったこと」ばかり述べる

 この人だけが、世界でこれを述べられる

 という独自の考えも表現も、何も持たない

 それをどれだけ長く見ても、なんの発見もない

 それを人に見せびらかすためだけに、生きているという

 「見て!」とわざわざ他人に知ってもらうならば、他にはない価値を見せつけなければならない

 この社会に存在するものなど、誰もがどこかで見たことがあるかもしれないのだから

 日本だけで、億を超える人間がいる

 その中の一人である自分が、他人との競争を勝ち抜き、自分の求めることをしてくれる人を探さなくてはならない
 そんな人生は、徒労に終わるしかない


 と僕ならば思う

 そして全く興味がない

 この理論を、誰かに説明してわかるだろうか?と考えている

 僕の尊敬する友人には、博士と呼ばれる人もいる
 彼なら理解できるだろうか?と考えている

 高速で移動する物体の中では、時間が遅くなる

 この理論をまず理解できていることが先だ


 僕は物理が苦手だった
 理解する気がさらさらなかった

 もっと数学のように面倒なものなのだと思っていた

 だが、それは偏見だった

 特殊相対性理論の「本質」の部分を知り、即座に理解できた

 こういうものだったのか、と偏見で捉えていたことに気付いた

 数字の問題ではない
 ただの本質

 そうである
 というだけの話だったのだ

 確かに、そうだ
 百年の中の今と、一日の中の今は時間の速度が違う
 この今が止まってしまえば、時間論で言われている通りに今の荒野が広がる

 時間は進まない

 本来はそうだが、無常であることがこの世の全て

 つまりその時間は止まるのではなく、逆に速くなる

 静止したものはこの宇宙に存在しない
 アインシュタインもそう結論づけている

 そうだ、そうなんだ、と納得した

 僕も誰にもわかってもらえない
 だが僕がアルベルトの結論に同意する限り、彼は僕の友人だ

 時間の流れは同じであるように思えて、そうではない

 そうではないのだ

 そして時が止まった世界はどこにもない


 アルベルトは、自分の部屋に友人を呼び、その理論を聞いてもらったという

 それが彼の研究室だ
 彼がいる限り、彼の研究をそこで話している限り、そこは彼の研究室だ

 仲間とは、自分の説明を同じように理解してくれる人のことではない

 仲間とは、同じ方を目指し、共に歩いていく者たちだ

 だから誰も聞いてくれなくても、理解してくれなくても、僕には仲間がいる


 君も、誰かにわかってもらおうとしない方がいい

 同意にはなんの意味もない

 本当に同意しているのか、同意したふりをしているのか

 なんのためにそう言っているのかさえ、言葉ではわからないのだから


 だが、君が皆と共に手を取り合って平等な世界を生きようとするならば、仲間は沢山できる

 まだ一人だとしても、仲間はもういるのだ

 少なくともその時、僕は既に君の仲間だ