カテゴリー: まだ見ぬ友人へ

自分がなんのために生まれてきたのか君は知っているか?

まだ見ぬ友人へ

 君はなんのために生まれてきた

 君は自分がなんのために生まれてきたのか、知っているか?

 人は自分がなんのために生まれるのか、選んで生まれてくるわけではない。

 だが、人は必ず何かのために生まれてきている。

 そして君はなんのために生まれてきたのか、知っているか?

 君は確実に何かのために生まれてきて、生きてきた。

 君は、これまでどんな人生を生きてきただろうか?

 これまでの人生を振り返って欲しい。

 君は、これまでの人生を生きるために生まれてきた。

 君は、今どんな人間になっている。

 君は今の君になるために、生まれてきた。

 君がどんなつもりか、どうなりたかったかは関係ない。

 事実どうであったかが、君の生まれてきた理由、そして君のなりたかった君だ。

 結果、そうなったならば、君はそのために生まれてきたのだ。

 わかるだろうか?

 結果があり、過去はそのためにあったと位置づけられる。

 過去は今によって消し飛びはしない。

 過去は今に至る過程であり、今に至るためには過去が必要だ。

 つまり、君はこれまでの人生のために生き、今の自分たるために生まれてきたのだ。

 これまでの人生がどんなものであっても、君はこれまでの人生のために生まれてきたのだ。

 わかるだろうか?

 人は何かのために生まれてきたが、それがなんのためかは自分自身がどう生きるかで変わっていくのだ。

 他人はほんの一部しかそれを知ることができない。

 君の苦労や、我慢や、喜びなど他人は知らない。

 だが、君だけは知っている。

 これまでの君の人生も、今の自分自身のことも、君だけは知っている。

 君が生まれてきた理由はあるし、君がこれまでなんのために生きてきたのかも理由はある。

 それに良い悪いもない。

 ただ、「そうである」というだけだ。

 そうである。

 だから、僕もそれについて何か言うわけではない。

 それはただの事実であって、それ以上でも以下でもない。

 本人の満足や不満足に合わせて、変わるものではない、ということだ。

 なんために生まれてきたのだろうか。

 僕もよく考える。

 ふとした時に、僕はよく過去を振り返り、今を見る。

 どれだけ生きられるかわからないのだから、今後どう生きるかで、最後まで生きた結果で、なんのために生まれなんのために生きたのかは変わってくるのだから。

 まだ終わっていない。

 まだ生きているのだから。

 これからどう生きるかで、今の結果は変わる可能性が大いにあるのだから、僕は時々見直すのだ。

 僕は今に不満はない。

 だが、不満がないことと、このまま終わっていいかどうかは全く別問題だ。

 もし明日死んで、これまでの人生のために生まれて生きたのだとしたら、全く足りない。

 こんなものでは全く足りない。

 だから時々見直すのだ。

 君もそうしてみるといい。

 君の命も、僕の命も、そして好きな人の命も嫌いな人の命も、変わらぬ価値があるのだから。

まだ見ぬ友人へ

 最上 雄基

 

君には理想の恋愛が思い描けるか

まだ見ぬ友人へ

 理想の恋愛を求める人は多いが、君には理想の恋愛が思い描けるだろうか?

 「だったらいいな」と思う理想の形は、人それぞれである。

 現実には理想などあり得ない。

 だが、時に理想の形に触れるようなものに出会い、人はそれが理想がやってきたのではないか、とときめいたりするものだ。

 現実は現実。起き得ることしか起きない。

 だが、その現実が現実であっても、本当に起きていたことが悪質なものとは限らないのだ。

 理想でないから、悪いものだとは限らない。

 僕には理想の願望が殆どない。

 願望を外に出していた子供時代に、それが恥ずかしいことだと気づいた。

 現実には大したことなど起きるわけもない。そうなると自分の人生に何もいいことがないように思えた。

 だが、現実を生きるのだから、現実に可能なことをし続けなくてはならない。

 確実にこうなるであろうと思う、一人で完結して結果を一人で確認していけることをやり続けなくてはならない、と思った。

 独りよがりな人は、自分の理想を押し付ける。

 理想を押し付けると、相手が自分の間違いや非を認めて、理想が現実になるとでも思えるのだろう。

 ある人は、僕を責め立てて僕が折れたら、本当に僕はそのように思った人に変わった、と思っていたという。

 人は変らない。他人が変えることなどできない。

 しかし、僕も理想の恋愛について述べてみようと思う。

 まず、僕は執念深い人や人を恨んでいる人が嫌いだ。

 人間が人間と争うことが、好きではない。

 どんな理由があっても、人を恨んで罵るために僕が必要な人は欲しくない。

 人の欠点や失敗も、現実を直視して受け入れる人がいい。

 自分自身の辛い気持ちも、受け入れる人がいい。

 だが、これは「人間の理想」の話になってしまうので、理想の恋愛の形ではない。

 

 僕は、贅沢をしない人が好きだ。

 貧乏くさいとか、ケチとか、そういう意味ではない。

 慎ましいという意味だ。

 自制している人でないと、僕の理想は始まらない。

 やたら豪遊したり、不要なものまで手に入れたい人が嫌いだ。

 好意を持たれると、プレゼント攻撃をしてくる人が昔いた。

 僕の都合や状況に関係なく、自分自身がどこに行ったとか何を買ったからとか、とにかく僕のことは関係なくプレゼントしてきた。

 断った。すると「私が好きでやってることだから気にしないで。」と言われた。

 拒否を拒否された。その人とはもうそこで終わった。
 僕の意思を無視された時点で、もう相手の世界に僕はいないとわかった。

 意思を受け入れるとは、僕自身がそういう考えなのだと存在させてもらうことだ。

 この場合ならば「僕は欲しくないのだ」という存在を受け入れた上で

 「私が好きでやっていることだからあなたが欲しくなくても私はプレゼントし続ける。」

 が僕を受け入れた形だ。実際、そのようになっている。
 それを続ければどうなるだろうか。僕は迷惑した。
 だが本人が好きでやるというのだから、もう諦めた。

 嫌でもスルーしていくしかなかった。

 その人は、「人が欲しくないからやめてというものを贈り続ける人」だったのだ。事実、そうなのだから。

 そのような人ではない、まともな人が相手ならばいいなと思う。

 理想の恋愛ならば

 お金は無いのだ。生きるには困らないが、余分に何かするほどはない。

 僕はそういう状況が、好きだ。

 生きるために苦労している方がいい。
 なんの努力もなく生きていけたら、人は駄目になってしまう。

 常に安心安全は、僕の望むところではない。
 未来が予測可能で、これからのことに全く不安がない。
 そんな状況は人を駄目にするし、もしそうなれているのならばもう自分の人生を捨てている。

 僕は、慎ましい人が好きだ。
 大人しいではない。慎ましいだ。

 心が清い人が好きだ。

 心が清い人は、自分の心はそんなに清くないと自覚している人だ。

 僕はやたら出かけるのが好きではない。

 みなメディアや流行に合わせて、いろんなところに行く。
 それも確かに面白いかもしれない。だがそうしたものは一人で行きたい場合が殆どだ。

 時間の無駄。
 僕はそう考えることが多い。
 そこに行ってみたいならば、大抵の場合は一人でも行ける。
 二人以上いないとよろしくない場合は、あまりない。

 だから、僕は自分の生きたいところに一人で行く。
 そして僕は自分の遊興のために金や時間を使うことが、嫌いだ。

 そんなことは、そもそもしたくない。
 したくないから、しない。我慢ではない。

 したいと思わないのだ。

 疲れる。面倒。そんな理由もあるが、他にやりたいことがあるから、やりたくない。

 現実に付き合えない恋人といると、あなたは時間のない国に行きたいと思えるだろう。それは現実ではなく、空想の恋愛をしている相手だから勘違いしてはならない。

 現実の恋愛ができる相手は、現実的なデートができる人だ。

 空想を求める人は、現実に起きたことにケチをつける。
 本人がやっていることは、何も悪くないと言い切る。

 だが、僕の理想の恋愛を考えれば、全く素敵な恋愛ではないのだ。
 相手の素敵な理想の恋愛を理解し、そこに存在するだけ。

 僕の理想の恋愛は微塵も始まらないが、それを知られたくない相手もいる。現実には恋愛したくない人の場合だ。

 理想の形は、黙っているものだ。
 現実に起きなくなるから、黙っているのだ。

 偽物を生み出すから、一人で抱えているのが理想だ。

 僕は、過去に本当に愛する人がいた。
 その恋愛の話をしない理由はある。
 恥ずかしいからだけではない。
 過去にその話をしたことで、別の女に真似されたことがあった。

 彼女ではない人間が、彼女の真似事をすることを僕は許さない。
 昔そんなことがあって、人には絶対に話さないようになった。

 大事な人を、今目の前にいるそれ以下の人に穢された気がしたのだ。
 聖域にあるような思い出を、踏みにじる女がいた。

 それも、何人もいた。

 彼女との思い出は、中身があった。
 今、実感しているからこそ、出てきた言葉にも感動があった。

 だが真似事をする女たちは、話を聞いて「それになればいいんだ」と思いこむ。真似をしたのだ。

 彼女には絶対に敵わない。真似事なのだから。

 彼女は心が清い人だった。
 人の気持ちがわかる人だった。
 だから愛していた。

 「生まれ変わったら今度こそ夫婦になりましょう。」

 と彼女は言った。これはもう出した話なので書いている。
 当然、書いていないことも色々ある。

 こうした話をすると、僕の相手への気持ちが彼女への気持ちと同じですらなく、状況もこれまでの展開も違うのに、「生まれ変わったら」を言う女が何人も出てきた。

 当然、僕は過去に最高にいい思い出として記憶しているのだから、言った途端に蘇るのは彼女の記憶であり、即彼女との比較が起きる。

 いい思い出だった。と言ったことを真似したらいい思い出になるわけではない。

 いい思い出に張り合ったのだから、記憶から彼女は呼び起こされる。
 普通は、相手が他の女を思い出すことを避けるものだ。
 だが、張り合いたい人は敢えて他の女を思い出して自分と比較するよう促す。

 こういう確実に失敗しかない恋愛をする人も、中にはいるのだ。

 金もないし、時間もそんなにない。

 そんな状況もいい。

 なんでも揃っている時は、心理的にかかわっていない相手ともうまく行く。

 形だけは作れるから。

 だが、何もない時こそ愛は試される。

 これは昔あった話だ。

 僕は日中に、遅咲きの桜がある場所を見つけた。

 彼女と花見には行けなかったので、僕はそれを覚えておいた。

 そして夜、うちに来ていた彼女に「コンビニに散歩に行こう」と誘った。

 手をつないで歩いて行った。桜のある場所まで歩いた。

 夜桜だった。

 当時の彼女は、ロマンチストではない。
 並み以上に神経症だった。

 だが、その時は僕の彼女なので、僕は彼女扱いをしていた。
 だからそのデートがあった。

 桜の木を僕が揺らすと、桜がちらちらと舞った。
 僕はもっと舞ってくれないかと思い、強く木を揺すった。

 すると強すぎたのか、すごい勢いで桜吹雪が舞い落ちてきた。

 それを見て、二人で笑った。

 それだけだった。
 そういうデートが僕の理想なのだ。

 形あるもので喜ぶのは、形が嬉しいからだ。

 本物が欲しい。

 だからこそ、なんでもない場所へ、なんでもないことを、そういうデートが好きだ。

 僕は究極を目指している。
 本物の愛を目指している。

 人に自慢できる形などどうでもいい。

 そんなことに時間を費やして、癒されるならばもう人生は終っている。

 否、人生を諦めている。

 いつかきっと、と心から信じるならば、そのいつかに備えてたった今も、奇跡が起きるに相応しい自分であろうと心がけて生きているものだ。

 普段の心掛けがない人間に、奇跡のような幸運などやってこない。

 結婚すれば幸せになれると夢みている人は、結婚にいい加減だ。
 だから結婚に失敗する。

 結婚すれば幸せになるわけではない。
 結婚という形をとれば、何かから逃げられるから楽になれると思っているだけだ。

 人生は苦労の連続だが、何を必要として生きているかは人により違う。

 理想の恋愛を現実に求めている人は、下手な画策はしない。

 その恋愛が起きるに相応しい人間として、日々を過ごしている。

 いつ起きるかはわからない。

 だから日々を過ごしながら、理想的なことが起きるに相応しい人間として、堕落せずに生きていくしかないのだ。

 この自分ならば、神はきっと奇跡を与えてくれる。

 自分自身が誰にも見られない時の自分を、そして自分の心の中にあるものを確認して、神に愛される資格があると確信できるならばきっと起きる。

 どんな形かはわからないが、きっと起きる。

 相手にとってはなんでもないことに、自分が驚くことがある。

 自分にとってはなんでもないことに、相手が驚くことがある。

 そしてその驚きは、自分に伝えられることは少ない。

 最初が肝心なのだ。

 最初から嫌だと思った人は、最後まで嫌な人だ。

 最初に恋愛を拒否したかった人は、最後までいい恋愛対象にならない。

 自分一人で恋愛したい人と、二人で恋愛したい人がいる。

 そこがまず大事なことだ。

 自分が拒否しても、相手は拒否する自分を責めることもある。

 それは自分と恋愛したい人ではない。

 一人で行うオナニーに付き合わせる相手として選ばれたのだ。

 これから行われる自慰行為の恋愛を、見ていなくてはならない。

 悦に浸る姿が、恥にならないように、思うことは言わずに相手に合わせていくのだ。

 最後まで本心は言わずに、ただ嘘をつきとおす。そういう恋愛をしたがる人もいるのだ。

 自分一人の妄想をやりたいのだ。現実に起きていないことは最初からわかっているのに。

 相手を黙らせて行う恋愛など嬉しくないと思うかもしれない。

 だが、実際には結構いるのだ。

 自慰行為は一人で悦に浸り、一人で満足して終わる。

 だからその人だけにとっての良い恋愛であり、相手など最初から存在しないのだ。

 そんな虚しいオナニー恋愛の人は放置して、心理的にはきちんと関われる恋愛を僕はしたい。

 心が清い人はいる。確実にいる。

 なぜいると言い切れるのか。

 僕の言う心が清い、は僕程度でいいからだ。

 つまり僕が存在している時点で、他にいると確信できる。

 自分の存在が、もう一人同じ人がいると確信できる要素だ。

 

 「こんな人がいるのか」

 とこの年になっても驚く人に出会う。

 その心情を、長々説明する相手は、実際のところなんとも思っていない。

 偽物の違いを教える。

 自分の気持ちがどうなのか、どんなに好きなのか、等々、長々と美しいことを語れる恋愛は、偽物だ。

 本物は、語れない。

 今、この瞬間にあるから。

 目の前にいるのに「こんなにあなたのことを思っていて」とうっとりしながら語れるならば、それは今ここに本物がないからだ。

 今ここに本物があるなら、そんなことを語っているわけがない。

 たった今も、起きている最中なのだから。

 目の前の恋人を放置して、自分たちが如何に素晴らしい恋愛をしているのか語り部になって一人で語る人がいる。

 それに合わせると、どうしても同じようなことを言わなくてはならなくなる。
 そうしなくてはかみ合わないからだ。

 だが、実際にはそんなことは起きない。

 現実の恋愛は、確認も説明もない。
 今何が起きているのか、口で説明するなどごっこ遊びにしかない現象だ。

 現実の恋愛は、何が起きているのか、わからない。

 起きてはいるが、これがなんなのかわからない。
 そんな状態が続く。

 緊張や不安がある。
 そしてときめきや焦燥感や、期待などがある。

 男は、本当に本気になっている相手に、まず簡単に手を出さない。

 セックスが先に来るような恋愛をする人は、それを本気にする気がない。

 何を理由にしてではない。
 そんなことはあってはならない。

 話をまとめるかどうかではない。
 男は先に肉体が来ると、もう終わったような気分になる。

 ゴールが先に来たら駄目なのだ。
 もう相手をそこまで知りたくなくなるから。
 興味が失せるから。

 男が努力して相手を知りたいと思わない。

 そして努力しなければ相手に対して思い入れもできない。

 だからこそ、素敵な人だと思う人がいたら、慎重に積み重ねなくてはならない。
 関係は大切にすればきちんと育つ。

 口論をしながら形だけ作ったような関係は、最初から本物ではない。

 本物に説明はない。

 どこの世界に、舞台の上でシナリオの打ち合わせをする役者がいるだろうか。

 そこが本番なのだから、そんなものはない。

 

 そして、恋愛は互いに約束して始めるものではない。

 ただ、自然になっていくものなのだ。

 切羽詰まっている人、結婚を焦るような人は、相手の条件ばかり気にする。
 婚活しているような人だ。

 相手と過ごす時間より、相手の条件が大事。
 形が大事。

 もう諦めたからだ。
 本人が諦めた時、全ては終る。

 どんな素敵な人もチャンスも可能性も、もう存在しない。

 自然に任せる生き方をすれば、どんなに辛い時でも本当にいい関係は少しずつ確実にできる。

 自分の人生を物理的に何か救ってくれなくても、物理的に駄目になった時に残ってくれるような人が、本物だ。

 何もない時も、あなたを愛してくれる人が、本物だ。

 何がなくても、あなたがいればそこにいてくれる人が、本物だ。

 あなたが何をしたか、何を言ったか、そして何を持っているか、そうしたことを批判したり評価したり、また自分自身もアピールしたりする人は、偽物なのだ。

 僕は「 あいしてる」というセリフを、言わないように昔恋人に頼まれた。
 「自分にだけ言って」と言われた。
 その通りにした。

 それ以来、その言葉は使っても本当に使ったことはない。
 感情がこもった時に、どんな気持ちになるのか僕は知っている。

 本当に相手を愛した時に言うと、どうなるのか。
 何もかも、体験していない人はわからない。

 気持ちを込める言葉を口から出した時、どうなるのか。

 それは込めるだけの本物の気持ちを持った人にしかわからないのだ。

 気持ちを込めた言葉を口にするとき、感動するだろう。

 どんなものかは、体験して知るといい。

 本物はいい。一度体験したら偽物になんの価値も感じない。

 形だけで感覚が伴わないものなんて、時間を費やすだけ無駄。

 ごっこ遊びにしかならない。

 

 僕が愛した人は、僕の嘘を見抜いた。

 僕と付き合っていたからだ。

 僕と付き合っていない恋人ならば、ただ疑う。

 嘘を見抜いている女役になろうとして、見抜かれているのに正直に言わないと責める。

 本当に見抜くだけの力がない。現実に僕が相手なのだから、「見抜かれた」と思うわけがない。疑り深い女だ、と僕は思うだけだ。

 愛する彼女は、僕を理解していた。
 普段の行動や言動から、僕の性格がわかっていた。

 だから嘘がわかるのだ。

 この人の性格でそんなことを思うわけがない、とわかるのだ。
 だから即言うのだ。

 「それ嘘でしょ」

 一人で恋愛できる人は、一人でもいい恋愛にしておいてくれる。

 自分が理想の恋愛をしたことにするためには、何を使ってでも良い恋愛にしなくてはならないからだ。

 現実に恋愛をしてもいいのだが、こうした人は実は恋愛そのものが「できない」のだ。

 人を恨む人は、人生の目的が復讐だ。

 だから現実の恋愛をして幸せになるという形は、望んでいないのだ。

 復讐のために利用するだけ。

 叶えたいのは復讐なのだ。

 実際に起きることだけを見るのだ。

 何をやめても、復讐だけはやめないだろう。

 僕の母がそういう人だった。

 父を恨み、見返すために死ぬまで一人で働き続けた。

 母の人生は、労働と貯蓄だった。

 将来のために金を貯める。それだけが人生だった。
 金を貯めるのが人生なのだから、勿論自分の楽しみのために金を使わなかった。第一の目的は貯蓄なのだから。

 老後のためだった。

 そして、その老後は来なかった。

 仕事さえ立派にやれていれば、誰も文句は言わない。

 母は批難されることを恐れた。
 結婚に失敗した女として批難されることを恐れた。

 母は人生の成功が結婚しかない人だった。
 一度の失敗に堪えられなかった。

 結婚して跡を継ぐためだけに存在していた母は、結婚に失敗したら「役立たず」でしかなかった。

 結婚して子供を産むための道具だと感じていた。
 だから、もう嫌になった。
 そして「私も一人で立派にできるもんね!」と見返したのだ。

 できないことをできるようになる。
 それが母の目的だった。

 できないかできるかではなく、やりたいかやりたくないかで選べない人だった。

 自分にできないことがあるのが許せない人。

 社会的に認められることがやりたかったのだ。

 社会的にその他大勢の一人としては認められ、たった一人の人間にさえ自分自身を認めてもらうことはできなかった。

 必要とされることはなかった。

 母は自分を捨てたからだ。

 

 僕は自分を捨てない。

 そこに意志ある存在として成り立ち、意志ある誰かと生きていく。

 良いか悪いか、正しいかどうか、そんなものはどうでもいいのだとわからない人もいる。

 それは誰でもわかっているが、一体自分は何がしたいのか、説明ではなく行動で示さなくてはならない。

 素敵な恋愛は、まず自分自身がそれに相応しい人間になってから起きる。

 素敵な人を見つけてから、その人に合わせて気に入られるなど無理なことなのだ。

 相手が「私に合わせて気に入られるようにこれから変わってくれればいい」という人でなくてはならないし、そんな人を相手に素敵な恋愛などあるわけがないのだから。

 自分に合わせて動く人は嫌だと言う人も、よく嘘で言っている。

 そういうことにしつつも、結局は自分の思い通りになってくれる人がいいのだ。

 そんな驚きも発見も新しいこともない、ただうまく行かないと叱られるような親子関係の恋愛は記憶にも残らない。

 何が起きるかわからない。

 小さな何かが。

 そこに一緒にいて、何が起きるかわからない。

 何もしなくても、ただ座っているだけでも、そこに居られる人がいい。

 シナリオが細かい人ほど、小さな行動や発言に口うるさい。

 それがその人にとっては細かくないと言う。

 つまり、その事実がそれほど大きくなるような人格だということだ。

 「皆がそう思う!」と言うならば、みんながそう思うと思えるほど、本人にとってはその小さなことが重大だということだ。

 現実は人の説明通りではない。
 「絶対そうだ!みんなはこうだ!」と言い切れる人がいたら、何もしてあげる必要はない。

 自分の言葉一つで現実を作る力がある人なのだから、自分一人くらい好き勝手していても、相手は他でいくらでも理想通りの世界を作るだろう。
 そういう魔法使いとは真剣に接しなくていい。

 人間には大したことはできない。

 自分一人のことしかできない。

 説明ひとつで他人の心や行動を動かし、現実を変えるなどできようはずもない。

 だからこそ、小さな現実にドキドキしたり、夢や希望を抱くのだ。

 

 まずは現実に存在することだ。

 現実に存在してから、全ては始まる。

 自分自身が人を操作しようと考えているうちは、自分を分かってもらおうとか認めてもらおうとかしているうちは、誰に出会っても現実のコミュニケーションは取れない。

 他人は「自分が頑張ったらその分何かしてくれる人」ではない。

 ご褒美をくれるのが他人ではないのだ。

 他で我慢した代償を支払ってくれるのが他人ではないのだ。

 今までの苦労の分だけ、誰かが夢を叶えてくれると思っている魔法使いがいる。

 自分が魔法使いの気分で生きているから、他人を魔法使いだと思うのだ。

 僕はそんな幼稚な夢は見ない。

 現実は現実だ。

 当たり前のことしか起きない。

 これまで起きたこともない、起きるわけもない夢がいきなり出てくるわけがないだろう。

 夢を見るのは自由だが、現実にしようとしたら、自分一人で夢を見るためにあれこれ画策して、バレバレの中でもなんとかして黙らせて、他人に我慢させて何かをさせたら一人で勝利気分にひたるしかない。

 まずいことになりそうな時は、相手を批難して罵るしかない。

 自分が批難されることを恐れる人は、相手を先に批難する。

 自分の過去にまずいことがある人は、相手が過去にしたことを何度でも掘り返す。

 なんとしてでも相手に悪者になってもらわなくてはならなくなったのだ。

 泥棒と同じだ。
 本人だけがその汚い人間として生きていく。
 周りはわからない。

 本人だけが知っている。
 

 心が綺麗な人は、どんなに嫌なことがあっても、相手を傷つける言いがかりをつけられない。

 僕はそのような人に出会った。

 もっと早くに出会いたかった、と思う人がいる。

 もっと早くに出会いたかったと思えるだけの人に、今でも出会うことができる。

 こんな人がいるなんて、と良くも悪くも思うことがある。

 悪い思い出にしかならない人は、忘れていい。

 良い思い出になる人は、これからも大事にすれば続くから。

 悪い思い出になる人は、思い通りにならないと縁が切れる。

 良い思い出になる人は、思い通りにしようとしていないから縁が切れない。

 

 僕は本当に、小さなデートの方がいい。

 もうだいぶ前、三歳の女の子とお母さんと、家族のように手をつないで朝のファミレスに行った。

 ただそれだけのことが幸せだし、そんな風に小さなことの方が僕には大切だ。

 その小さなことで大きな幸せを感じられる、仲間がいることが大切なのだ。

 人間関係は人がいなくては始まらない。

 形を求める人は形を大事にして人を大事にしない。

 だから本物の人間関係は始まらないのだ。

 「この形にならないなら、人間そのものを捨てる。」

 型にはめるために生きているのだ。自分自身が型にはまっているから、もう身動きが取れない。

 その地獄を生きていくために、一緒に型にはまってくれる人が欲しいのだ。

 我慢させて。恨まれながら。黙らせながら。

 

 地獄にいる人たちはつまらない恋愛をする。

 形だけだから派手だ。

 最もつまらない恋愛だ。

 僕の理想的な恋愛は、その辺で花を摘んできて、家に帰ってから活けるような日々を過ごす恋愛だ。

 そこにしかないものに価値を感じない人は、低レベルなのだ。

 人と形で、当たり前に形を優先できる人は、人と恋愛するわけではない。

 形を作った社会そのものに献上するために、恋愛するのだ。

 社会が「説明した」理想の形を存在させるために。

 

 君も理想の恋愛を思い描き、現実にしたいならばそれに相応しい人に先になっておくのだ。

 理想の恋愛は、理想の形を作らないことで作られていくのだ。

 自然に作られていくのだ。

 理想の心を持つことに専念することで、作られていくのだ。

 

 人を愛することは素晴らしい体験だ。

 うまくいくとか行かないではない。

 愛することに成功している時点で、もううまく行っているのだ。

 

 君も人を愛するといい。

 心に愛があれば、君自身が幸せになれるだろう。

 

君が幸せを感じられることを願って

最上 雄基

 

 

君は人間を知っているか

まだ見ぬ友人へ

 仲間として信頼できる家族の元に生まれなかった人は、心して生きねばならない理由がある。

 君は人間を知っているか。

 神経症者の子供は、心理的に危機に直面してしまうため、矛盾したコミュニケーションを受け入れてしまうという。

 完全に無力な幼児のうちに、自分の面倒を見てくれる親が危険な存在だと認識したら、どうなるだろうか?
 生きていけなくなる。

 人は認知の世界を生きる。認知の世界により「ここは安全だ」と認識することにより、なんとか生きていく。

 しかし、それはやがて外の世界に出ると更に危険な世界を生きねばならない結果となる。

 家のなかで争った方が、世界を敵に回すよりまだマシだ。

 家の中をまるく収めるため我慢して、外の世界で仲間も作れず、結局我慢してまるく収めている家の中に戻るしかなくなるのだ。

 危険を察知しないよう、彼らの感覚機能は停止してしまう。

 安心できる人がいないからではない。

 「安心だ」と感覚で実感する機能が停止してしまったのだ。

 それが「思ってもいないことを言うリスク」である。

 それが如何に危険なことか、重大なことか、僕の先生も再三著書に書いていた。

 そうなると、もはや支配の道しかない。

 だが、周りを黙らせて支配するだけの力を、一体どれだけの人が有せるだろうか?

 戦わずに済む方が遥かに安心で安全な人生になる。

 信じられないほど、現代社会人は自分たちが生きていると忘れている。

 僕たちは動物である。

 それを忘れている。

 人間は、人間を食っている。

 それは、気付く人だけが気づく事実なのだろう。

 確かに、考えると恐ろしい世界なのだ。

 正にこの世は地獄だ。

 愛とか信頼とか、それは人間が作り出した想像世界の言葉だ。

 そんなことより、生きるならば「安全な動物」を選ぶことだ。

 人を食っていない人を選ぶことだ。

 自分が人を食っているならば、食い続けるだけの力を有するしかない。

 24時間全ての人を監視しなくてはならないだろう。

 そしてそれをやっている人たちがいる。

 僕たちは自分たちがなんのために、誰のために、こんなことをして生きているのかさっぱりわかっていない。

 人の世は思うより、恐ろしいところだ。

 人が人を食っていると、知っている人もいる。気づいている人もいる。

 僕の先生も著書に書いていたが、他にもそう言っている人を見たことがある。

 人間が窮地になった時、露見するのだ。

 人間は人間を、食っている。と。

 神経症者は、家の中から外に出たことに気付いていない。

 家の中では安全が守られた方法を、外に出て知らない人たちの前でも維持している。

 その方法は親にしか通用しないのに、その方法はこの世界を生き抜く絶対の方法だと信じ込んでいる。

 どうあっても、絶対に何をしても安心な他人などいない。

 神経症者は、自ら自分を窮地に追い込む。

 そのひとつを挙げよう。

 安心な人だと確認するために、好意的な人に対して噛みつく。

 責めたり強引に要求を押し通す。

 それをした時点で、今生ではもうアウト。

 それがわかっていない。

 相手が何も反発しなくても、黙って受け入れて許してくれても、もう終わりなのだ。

 なぜかわかるだろうか?

 もう二度と、自分自身がその人に対して安心することができなくなるのだ。

 自分がやってしまったから、自分が気にするのだ。

 ただの八つ当たりや当てつけでしかない。

 過去から持ってきたため込んだ感情だ。

 それを吐き出してすっきりした時には、これまで安心していた相手に自分が不安を抱くようになっている。
 それからは、それまではなんとも思わないこともどんどん疑うようになっていく。

 疑うから、より攻撃的になり、安心するためにまた攻撃する。

 そしてまた不安になり、より疑うようになる。

 「きっと本当は嫌っているに違いない!」

 相手は散々尽くしてくれても、何度でも許してくれても、全くそんなことは関係ないのだ。

 人は自分の行動でのみ自分の感情を生むのだから。

 自分自身で首を絞めているだけだ。

 だから人を一切攻撃しない、操作しようとしない人は、人に対して安心している。

 妄想と戦っているようなものなのだ。

 「大丈夫か確認しよう」とした時点で、動機は「疑っているから確認して安心するため」だ。

 だから動機が行動により強化され、より疑いを増すのだ。

 安心するために自分が不安に陥るという、悪循環。

 「行動は元となった動機を強化する」ジョージ・ウェインバーグ

 だから神仏は信じていた方がいいのだ。その通りに生きていれば、自分の心が苦しくならずに済む方法ばかり記されているのだから。

 なんとなく、それをしていたら偉いと言われる、程度に考えてる人は不幸だ。

 ブッダの教えは悟りを開いた人間が残した、絶対の自然の法則なのだから。知っていて損はないし、実行すれば得しかない。

 現代社会では、沢山の人が人を食って生きている。
 まあ地獄なのだからそんなものだろう。

 僕がそれに気づいたのは、13歳の頃だった。
 俗世の醜さに驚き、恐れ、出家を願った時期があった。

 気付けば本当に恐ろしいものだ。
 僕も当時は子供だったので、孤独とか寂しいではなく「怖い」しかなかった。

 ナルシストは人の命を食う。
 だから危険な存在になるため、人に排除されるし、本人も人を排除する。

 自分から人を排除していることに気付いていないのだ。

 たまごから殻を破ることができず、殻の中で死んで行く。
 意志が生まれなかった。生存本能が心理的恐怖に負けた。
 精神の世界で負けたから、生存するのみになってしまった。

 この手のことは、気付いても言ってはいけない。
 当たり前だ。
 昔から人間の世はそうなのだが、気付くとみんな怖くなるから、人は認知の世界で「世の中はもっと良いものだ」と思って生きていくのだから。

 本当のことに気付いたら、世の中はパニックになる。

 嫌だなと思う。自分の先生が言っていたセリフを、自然と吐くようになっている。
 真似するつもりはないのに、自然とそうなっていく。
 こんなものなのだろう。

 本当のことを言える関係、というと、相手に対して思っている批判など、相手を傷つける内容のことだと思う人がいる。
 本当のことと言われてそれしか思いつけないあたり、完全に人間の敵だ。
 そんなことを言ったら平気なわけがない。

 言ったらまずいことを平気で思っているのが、スパイと呼ばれる人だ。

 だが、恐らく知っている人たちはもっと上の層で気づいている。

 敢えてそれが作り出されているということを。

 人間は人間を食って生きているが、社会では争わないようにして生きている。

 日本は全体が精神で屈してしまったから、仲間内で食い合っていてもなんの不思議もない。
 精神教育を受けてきた人々が、意思を持っている理由もわかる。

 人は自分が安心するためなら、どんな想像世界でも作り上げて思い込みの世界を生きる。

 だが、後が怖い。

 こんなはずではなかったのに!を繰り返すのが、現実を直視する勇気が出せない人だ。

 その勇気があるかないかが、現実の人生を決める。

 事実に沿った「大丈夫な理由」を確信の元に語ることと、自分を安心させるために「大丈夫なことになる理由」を作り上げるのは全く違うことだ。

 自分で理由を作っても、現実はそれに合わせて結果を出してくれない。

 自分がうまく理由を作れたら、それに合わせて現実が動くわけではない。

 自分の創作世界が作られるのが現実ではない。

 現実は完全に一致している必要がある。

 どんな結果であっても、確実に原因がある。

 感情的に考えて動く人は、現実との相違の分だけ予想外の結果に直面する。

 感情で現実が作れないから、周りに当たり散らしたり人に我慢させて現実を「でっち上げさせる」のだ。
 だが、母親ではあるまいし、他人に「だったことになる現実」を作らせるにはそれなりの支配力が必要だ。

 そこで必要とするのが権威だ。
 社会的な力を使うためには、自分自身の権力だけでなく、金が必要だ。

 だから安心な人生を生きるため、他人に文句を言わせない力を有するためにも「社会の言うなり」になって生きる必要性があるのだ。

 ナルシストは「私は!」と自分が正しいか悪いかの話ばかりしたがる。

 だが、社会は自分が正しいかどうかで動いているわけではない。

 自分の頑張りで人間まで支配したいなら、神にでもなればいい。

 だが、人が怖いどころか自分一人満足に動かせない「完璧な人」などいるだろうか。

 最も早いのは、不満を持たずに今ある環境に心から満足できる人になることだ。

 そうすれば、何もせずとも幸せになれる。

 僕はどうも感情的に行動できない。

 自分の感情を他人にぶつけて、責め立てたら「相手は自分を好きになってくれたり反省して自分の満足いくことをしたくなる」と思えない。

 なるわけがない。
 自分に合わせて動いてくれる親がいてこそ、そんな妄想ができるのではないだろうか?

 正直、僕は神経症の人が虐待されたことこそ疑問だ。

 親に虐待されていたら、この社会を死ぬまで一人で生き抜かなくてはならないとわかる。

 たった一人でだ。

 他人が敵になったらどうなる?死ぬまで危険だ。

 一人敵を作ることが、死ぬまでついて回る危険になる。

 相手が自分を恨んだらどうなると思う。相手は死ぬまでは同じ世界で生きている。

 自分がいない時もだ。そして相手は自分以外の沢山の人に出会う。

 怖くないのだろうか。相手一人だけが目の前にいても、その裏には今だけでなく今後出会う相手の背景に繋がる全ての人がついてくるのだ。

 そこまでの危険を負ってまで、「自分はこんなことをしてもらえた!」という体験をしてみたいものだろうか。

 例えば、今まであなたを恨んだ人がいたとしたら、今後十年経ってどこからともなくやってくるかもしれない。
 あなたが正しいかどうかは別として、あなた自身が相手に恨まれそうことをひとつもした覚えがないだろうか?

 実際には他人があなたを恨んでいるかどうかなどわからない。

 誰もが他人が何を考えているかは決して知ることはできない。

 だが、あなた自身にもし後ろ暗いことがあったら、怖くなるはずだ。
 気にしてもキリがないことだが、キリがないだけに気にならない生き方をしていなくては、自分自身の首を絞める。

 あなたが人に悪口を言えば、あなたは相手も言っているに違いないと疑うようになる。

 そしてあなたが悪口を言っていたのに相手が言っていなかったら、今後立場がまずくなるのはあなたの方なのだ。

 他人にとっては、あなたも相手も、どちらも他人なのだから。

 あなただけが相手を責めているように見えたら、あなたが何を説明しても見たままにしか他人は見ない。

 昔、悪口を言ってきた友人が「酷いやつ」と罵る相手が、どれほど酷いのか会ったことがある。

 すると、悪口を言っているその友人よりずっといいやつだった、ということがあった。

 他人は現実に何もされていない。だから実際に接してみて良い人だったら、むしろ何も知らずに出会った場合よりもっと好印象になるのだ。それは心理の仕組みだ。

 僕はこうしたことを自然に知った。気づいたという方がいいだろう。

 だから昔から、性格が悪い人に出会ったら、人には実際より良く思われそうなことを話すことにしている。

 それが、「生きる術」というものだ。

 戦うことなく、困らないように生きていくものだ。

 今は心理戦国時代。目に見えた戦いはなくなったが、人間という動物は変わらない。
 だから争いは全て心理戦になった。

 心の世界で起きている戦に勘付けないようでは、「良い子」にしている間に死んでいくしかない。

 戦わずして生きていくなど、無理なことなのだ。

 この世界そのものが、安全な世界ではないのだから。

 そして誰も守ってはくれない。誰だって、自分の命が最優先だ。

 良い子にしているかどうかは関係なく、人は自分一人が生きていくのも大変なのだから。

 気に入られて生きていきたいならば、他人の靴も舐めるくらいの覚悟で生きるしかない。

 外に出て支配的になりたいならば、その分親の尻でもぬぐって生きればいい。

 親の奴隷になって生きる方が、最悪だ。最も弱い人間なのだから。

 親と張り合う馬鹿者は、地獄から脱することはできないのだ。

 じゃあ親なんか知らない、と親を捨てた人間は、もう誰かもわからない存在があやふやな人。

 なんでもかんでも軽いノリで冗談めかして生きる人もいる。

 本人が冗談めかしていたらそうなるなら楽だが、単に現実が怖すぎて何も起きていないと思い込むことに必死なだけだ。

 とにかく、そのくらい人間は「現実が怖くて認識すら正確にできない」ものなのだ。

 おかしい!酷い!

 これは不幸と呼ぶものだが、不幸は人格が生み出した想像の産物だ。

 もし、あなたが心理的に不健康な人であって、今誰とも心から信頼し合って生きていないとする。

 その状態で、「これから出会う人たちは全て他人だから、あなた自身に無条件で警戒しているからね」と言われたらどうなる。事実そうなのだが。

 どんなに人間が好きな人でも、むしろ人間を信頼する人なら猶更、素早く危険を察知している。

 「信じてくれる人」という言葉を使う時、人間を食っている人は「自分の説明を鵜呑みにしてくれる人」を指している。

 それで誰にいいことがある。
 自分が安心するのだ。

 だから生きるのが怖くなった人は、人の脳内の認知の世界を支配することで、目の前に自分が想像した世界を作らせて安心するのだ。

 親が子供を使って安心しているように。

 これを酷いとか理想的ではないとか、そういう理由で事実そうであっても、「まかり通らせない力」があるのだ。
 そんなことに気付かれたら、もっとまずいことに気付かれるかもしれないから。

 ズルいとか酷いなんてものは、僕たち個人レベルで起きていることなどものの数にも入らない。

 どうせ僕たちは死んでも誰も気づかないような、米粒ほどもない存在なのだから。

 だから一応世間では「酷いねー」「そんなことがあるなんてねー」と言っているだけ言っていればいいのだ。

 本当に信頼できる人たちとは、きちんと今後について話し合い、力を合わせていればいいのだから。

 家族ごと権力に縋り付いているならば、下にいる人たちを蹴落とすことで必死になるだろう。

 他人と信頼とか、愛とか、口では綺麗ごとで表現しても「自分は立派にやれています!」と見せかける人生のために必死だ。

 バカな話だなと思うが、「親の力が無くなったらどうしよう」と不安になる人の多くが「親に望まれた人生を捨てて自分の望む人生を生きれば、そもそも親の力なんて必要ない」のだ。

 親の望む人生を生きるには、どうしても親の力が必要。
 だから親がまるで頼りになるように「見えている」だけ。
 「この人がいないと自分は生きていけない」と思い込ませ、不安だけ与えているのだ。

 本当に好きなことをして、本当に好きな人と生きていくならば、何も必要ないのだ。

 僕ならばそちらを選ぶ。

 「どうやっていこうか」と一緒に考えて、一緒に力を合わせる。その人生の方が充実するだろう。

 僕は事実として起きている世界を物質、精神。

 僕の認知の世界を物質、精神。

 と分けてバラバラに考えている。

 事実として起きていることはどうあっても変わらないから、そこだけ全て直視していればいい。

 それをどう解釈するかは自分次第で、それにより精神を保ち、これから生きていく力にするといい。

 言っておくが君よ、他人の中に親はいないし、親代わりもいないし、親の代わりに他人を使ったら人生おしまいだぞ。

 「誰か私をわかってくれる人さえいれば」

 と思っている人が、今後の未来が最も危険な人なのだからな。

 間違いなく最も他人と争いを起こし、今後もより一層争いの中で苦しんで生きる人だ。

 どうやって心の世界を使い、生きていけばいいのか。

 それを講座で教えると告知したが、既に予約も入っている。

 しかし、わかっていても誰も口に出してはいけないことなので僕も口には出さないが、こんな方法を教えてもいいのかね、とまだ少し考えてしまっている。

 世界が敵になるか味方になるか、これからの人生でたった一人、「自分対人類」で生きなくてはならないわけだが、君はどんな方法を編み出して生きてきただろうか?

 自分だけが人の仲間になろうとしても、人を食う人に出会ったら戦わなくてはならない。

 人を食うのだから、食われないようにしなくてはならない。

 ナルシストは人を食っている自覚がない。

 自分を救ってくれる!という素晴らしい出来事のように思いながら、癒されると感謝して人を食う。

 怖いだろう。だがそれが人間だ。最初からな。

 最初からだ。今更僕が言う事でもない。

 それが危険なことだから口に出さずにこの世を生きることは当たり前だと思うが、言っていることが本気だったら大多数の人が今後の人生は終っているな。

 希望を奪っているわけではない。現実を直視しないと、死ぬと言いたいのだ。

 もし僕が理想的でないことを言ったら、根拠なく「良いことだから」世間はもっといいものにしたがる人が出てくるだろう。

 だが、言っていたら本当になるならばそんなに楽なことはない。
 そして世間はもっといいものだと言うような人が、親も子も、伴侶も、「あいつは悪である」と叩くのだ。

 怖いだろう?だから、それが人間なのだ。

 自分を正当化しながら、仲間である人たちを「理由があるから正当なことだ」と言いながら叩くのだ。

 これは正義であると言いながら、大量に人を殺すことを正当化するように。

 それが集団ナルシシズムだ。

 そしてそれもまた、昔からずっとずっと、何千年も前からなにも変わることなくいつも通りなので、慌てることもない。

 ただ、僕たちは今後自分たちのいる場所にどんな波が来るか、せめて十年先まで脳内で確認してから、生きていればいいのだ。

 君は未来の予測をつけて生きているだろう?

 僕は怖いからそうしている。

 ただ現実を先の先まで見て、確認してから行動することにしている。

 人を簡単に批難している人は、何か強い力に守られているのだろう。

 「誰か自分をわかってくれる特別な人」などこの世にいるわけがないだろう?

 そんなことができる人がいても、自分が選ばれるまでには長い時間がかかる。

 そもそも、「事実そうである」と確信しているならば、自分の正当性など主張しなくていい。

 人に責められてもいちいち反応しなくてよい。

 どうせ現実はひとつしかない。

 放っておいて未来のために時間を使った方がいい。説明から現実は生まれてこないが、いちいち反応したらそれがあたかも本当のように見えるだけなのだから。

 この世は地獄、人は鬼。

 だが大抵の鬼は自分が鬼だと気づきたくないのだ。

 親が鬼なら自分も鬼に決まっているのにな。

 自分が鬼だと気づいた途端、周囲が「危険な状況だ」という認識に変わるからな。

 気付いても気づかなくても、危険なことには変わりない。

 だが気づかない方が気持ちは楽だ。人を罵って怒っているだけでいいのだから。

 その分対処どころか悪化する行動を取るから、未来は自分でも考えなかったくらいに最悪なものになるな。

 その日が楽しみだと思わないか。

 未来を見ないまま先を生きるなんて、まるでレールの無いジェットコースターに乗るようなものだな。

 幼児は確かに、八つ当たりをする。

 自分の気が済んだら、自分が楽になる。だから気が済んだらこれから良い展開になると思っている。

 自分が楽になって嬉しいから、みんなが自分の気持ちに合わせて動いてくれると思い込んでいるのだ。

 他人を知らない。親さえ知らない。

 自分以外は全て「他人」であると知らない。

 自分以外は、心底安心できる存在などいない。それが人間であると、まだ知らないのだ。

 バカな人は、自分が悪く思われそうなら、もっともっと相手を悪く言って、もっともっと周りに敵を作ろうとするのだ。

 自分の都合で人間を排除するため味方にしようとしている時点で、その人たちは全て敵になる。

 こういう道理がわからないのだろうな。当たり前なのだが。

 「私のために戦ってくれるなら私の味方!」と勘違いするのだ。

 自分が体験していない、見てもいないことを信じて人を叩く人は、確実に今後自分を叩いてくるだろう。
 やすやすと誰かの敵になれる人は、人を信用していない。自分のことも信用していない。

 それもまた、理由を書けば長くなる。

 とにかく、当たり前になんでもなく、ただ動物が生きているということだけは確実だ。

 人は人を捕食して寄生する。

 面白い生き物だ。子供の頃からずっと観察してきて、良かったよ。

 エメラルドゴキブリバチに似ている。

 脳を殺して、生ける屍にして寄生する。

 自分のために動くようにしてしまうのだ。

 そして最後には食う。

 食って殺す。

 人間みたいだろう?

 子供の脳の発達を停止させ、意思を失わせ、自分の意のままに動くようにして、自分が生きるために親が食う。

 だがこういうことは、言ってはいけないのだ。それくらい知っている。

 人間の世の中はもっといいものである「べき」であり、そんなことは起きていないことにしなくてはならないから。

 そうあるべきだから、本当はそうでないのに皆で必死に「そうであるかのように」生きているのだ。

 そして「そうであるかのような社会」まで作った。

 ここまでいくと、僕も街中にいると何も起きていないような気分になってくる。

 時々、「本当は何も起きていないんだ」と楽になりたくなるが、ふと我に返ればそんなことはないとわかる。

 人を見ていれば。

 確かに気づかないで嘆いて生きていた方が楽だ。

 不幸は楽だから、不幸でいた方がいいぞ。

 幸せになるほうが、遥かに辛い人生だ。僕も不幸な時の方がずっと楽だった。

 「なんかいいことないかなー」

 「誰か良い人に出会ったら」

 という根拠も確実性もない夢を描いて、「きっといつかは!」と夢物語さながらの人生を生きていた方が、幸せだぞ。

 何もいいことなんかない人生の方が、ずっと楽だから、もし君がそうならばそのまま「何も良いことなんかない人生」を送っていた方がいい。

 僕はもう元には戻れないが、幸せになんかならない方がいい。

 自分になんかならない方が、楽しい夢を見ていられるから。

 あり得ない夢を本気にできる頃に戻れるなら、僕も戻るかもしれない。

 だが、やはり現実に可能な夢を思い描けるようになると、どうしてもそちらが良くなるのだ。

 理由はひとつ。

 その方が面白いから。

 それだけだ。

 人生はつまらない方が、ずっと安心だぞ。

 不幸が辛いなんて思わないように。

 現実を直視して、「このままでは死ぬまでどうにもならない」と気づいてしまうことの方が、遥かに辛いから。

 人のせいにして、誰かがなんとかしてくれるとギリギリまで信じていた方が幸せだ。

 今はな。

君の友人 最上 雄基

ここ一回、本当に好きな人の心を手に入れる方が大事

まだ見ぬ友人へ

 やあ、元気か。

 このどうしようもない社会に飲まれて、くだらない目先のことに目くじらを立てているんじゃあるまいな。
 つまらないことに人生を費やすのはやめたまえ。自分の格が落ちるぞ。

 ムカつくやつが大好きな人は、好きな人に目を向けないものだとつくづく思う。

 昔出会った女子にも、デートだというのに口を開けばムカつく父親の話しかしないという人がいた。
 ムカつく父親の話を聞いて気の毒に思ったら、ロマンチックな恋愛に発展するなど聞いたことがない。

 可哀想から発展するのは、ときめきではない。

 さて、そんなわけで君は好きな人がいるか?

 今、なう、でなくてもいい。

 何かしてくれたから好き、というありがたさの好意ではなく、ときめきの好意だ。

 素敵だなあと見ていて思う人。明るくて優しい、と自分相手でなくても思う人。

 クラスの中でも人気者で、愛されている人はいたな。

 美少女でなくとも愛されている子はいた。

 とにかく、君が「いいなあー」と憧れて、「あんな人と付き合えたらなー」と思う相手が、今までいたことがあるだろうか?

 そういう相手がいたならば、嫌いな人をやっつけることよりその人に好かれる方が重要だ。

 ムカつくやつといくら戦争をしても、すっきりする日なんて来ない。

 だが、人は現金なもので、自分がうまく行くと戦争している相手のことなんかどうでも良くなるものなのだ。

 戦争にしか目が向かない人は、なんでも戦争につぎ込むからもうどうしようもない。


 だが、そうでないなら話は別だ。

 ちなみに、「好きになってくれる人募集中!」をやると、客観的に見て君を軽んじる人が集まりやすいから、気をつけた方がいい。

 好きになってもらわなくてもいい、好きになれるなら。

 好きになってくれる人が百人いても、全員嫌いな相手ならどうしようもない。

 頼むから好きにならないで!と追いかけてくる百人から君は逃げるかもしれないぞ。

 僕は追いかけられるのが好きではない。そういう動物ではない。

 自由がないからだ。追いかけるのは自由なので、そっちの方がいい。

 僕は自由が好きなんだ。

 もし、「あの娘はいいなあ」と思う娘がいたとする。

 君はどうする?

 他の異性にもモテモテだ。

 早速誰か声をかけにいった。あれこれ理由をつけて、どこかに誘っている。

 こんな様子を見て、君はどうする?

 「やばい!出し抜かれる!」と慌てるか?

 「どこに誘ったのかな…?俺もどこかに誘わなきゃ…!」と焦るか?

 それとも勝負を諦めて「別に俺は気になってないからいいけどwww」と嘘をついて、「こいつなら大丈夫そう」な安全パイ選びといくか?

 大丈夫だ。いい女は、相手を選ぶ。

 声をかけられても、あれこれ理由をつけてホイホイと誘われていったりしない。

 やばい感じは見抜いてくる。下心ありありな男はすぐに見透かされる。

 それが愛され女子だ。それも「親に愛され女子」だ。

 親に愛されないのに自分も愛さないならば、愛され女子になることは不可能だ。

 それは「愛されたい女子」だ。

 君は「愛されたい男子」ではないだろうな?

 男子はそうならなくていい。「愛する系男子」になっておけ。

 人気者の女子にはすぐに異性が寄っていく。そういう時は、放っておけ。

 慌てるんじゃない。慌てる乞食はもらいが少ない、と昔から言うものだ。

 愛され女子の心を射止めたいならば、くだらない私生活を送るんじゃないぞ。

 「あなたそんなことする人だったんだ…」とバレたら幻滅するような、人付き合いをするんじゃない。

 ネットで悪口どころか、最近の事件では「困らせてやろうと思った」なんてものがあった。

 ムカつくやつを困らせるために、相手の揚げ足を取ったり叩いたりしている男がいたら、どう思う?

 例え見えないところでやっていたとしても、それをやっている男と、そうでない男、人格に違いが出てくるに決まっているだろう。

 なにせ「ばれたくない」ことを抱えている人間は、必ず挙動不審になる。

 自分で想像してみるといい。確実だ。

 そこで、出会いはいつくるかわからないから日ごろの行いは大切なのだ。

 「今日入ってきた新入社員の子、すごく素敵な子だった!」

 そんな時、昨日までだらだらと怠惰に過ごし、自分のためにちっとも時間を費やさない生き方をしていたらどうなると思う?

 仕事でちょっと会話をしたら、ドキドキして「デートに誘いたいな」と思うかもしれない。

 「誘いたい!」は君の願望だ。君の欲求だ。

 だが、そのときの君を後押しする力は、日ごろの君の行いなのだ。

 「でも、俺デート服持ってないし…」
 「普段から外に出ないから店も知らないし…」
 「気の利いた会話なんてできないし…」

 そこで行き着くのはネットだ。

 「今、人気のデートに使える店ベスト10」
 「今どき男子のデート服」
 「女子ウケする会話と女子には禁句の話題」

 そんな感じのことを、次々調べて「こうすればいいのか!」とその気になるのが

 関の山だ。

 更には、一番乗りもできない。他の男子が声をかけてどこかに誘う。

 断られているのを見て喜びながら、「そこ、俺も誘おうと思っていたのに…」と怖気づく。

 そう、どいつもこいつも似たり寄ったり、それが「ステレオタイプ社会」だ。

 だからこそ、いいんだ。簡単で。

 そんな時こそ、気にするな。

 よく相手を見ろ。どういう話題を振ろうなんて考えるな。

 目の前にいる人を意識するな。地蔵だと思え。

 可愛い地蔵だと思え。

お地蔵さまは、愛されている。だから殆ど変わらない。似たようなものだ。

 狙われている系女子は、自ら「可哀想話」や「困ってる話」をしない。

 どうしよう、と困っていることがあったら即「どうしたの?!」と男が寄っていく。

 俺が俺が、と始まるから、気にするな。

 相手をよく見ているんだ。

 どんな人なのか。良いところもあるが、欠点もあるはずだ。苦手なもの。

 よく観察しているとわかる。何に強くて何に弱い人なのか。

 人は弱点を気にする。だからその弱点をカバーしろ。

 「この人、これじゃあ困ることがあるだろうな。」

 と先に予測していろ。目立とうとするな。

 相手の弱点を目立たないように、カバーしてやれ。

 愛するということは、あくまでも影に徹するということだ。

 自分が目立ったら意味がないんだよ。

 自分が目立っていいのは、相手の何かを目立たなくするときだけだ。

 自分が目立つことで、何かを霞ませるのだ。

 それは例えば、僕が天才であることによって、馬鹿の馬鹿を目立たなくするようなものだ。

 余計に目立つと思うだろう?違うな。現実は変わらないんだ。

 差が変わらないのだから、僕が謙虚になって「俺なんか普通だよ」と言ってしまったら、相手がよっぽど馬鹿みたいになるだろうが。

 だから僕は天才でいいんだ。

「お前がバカなんじゃねえ、俺が天才なんだ。お前はちょっと足りないだけだ。」

 という優しさだ。

 これに張り合ってくるやつは、本当の馬鹿だからしょうがないんだ。

 そんな時は、「君はすごいね!」と馬鹿にしてあげればいい。喜ぶから。バカだからな、仕方ないんだ。
 せっかく自分で墓を掘ったのだから、入るのくらいは手伝ってやるといい。優しさだ。

 せっかく掘ったのに、勿体ないからな。

 話を戻そう。君は相手が必要としそうなものを予測しておけ。

 想像力、推理力、観察眼、色々使え。

 そして自分のことも怠るな。

 自分のことを怠って人を助けたところで、相手は喜ばない。

 罪悪感を与えるだけだ。困っている人間に助けてもらっても、相手は嬉しくない。心配になる。

 だからまず自分のことを頑張ってやれ。

 自分のことを頑張っていれば、その時その時余裕が違うだろう。

 あくまでも余力で助けるんだ。

 余力がない時は、仕方ないのだ。

 精神だけは余力を持っておけ。物質的なことには限りがあるから。

 精神は鍛えればなんとかなる。物理的なものはいきなりは無理だ。

 精神もいきなりは無理だろう。だから日々鍛えておけ。

 小さなことしかできないならば、その力は一点集中させろ。

 その小さなひとつが、急所に直撃するようなものであればいい。

 できれば

「そんなこと気づいた人いなかった…」

 と感動されるくらいのことにしろ。

 話をするなら、相手の話をまず聞け。

 質問攻めにするな。自分が「良い話をしてやろう」とすると、相手を値踏みするように質問攻めにする。

 それでは相手は警戒する。気軽に話しても平気な話題にしておけ。

 言葉は少なく、でもいいんだ。

 向こうが知りたいと思う事なら、向こうから聞いてくるから。

 正直なところ、自分からアピールして「モテる」ということはあまりないのではないかと思う。

 普段から人に優しく接していろ。

 日ごろの行いは自分の評判を決めている。集団に後から入ってきた女子は、自分ではなく周りの意見も聞くのだから。

 周りの扱いから、その人を知ることも多いのだから。

 一人で気張っても駄目なのだ。

 相手を楽しませようとか、気楽にさせてあげたいとか、安心させてあげたいとか、そういう精神が必要だ。

 「と、いうことをしたら好かれるだろうから…」は一切考えるな。

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、だ。

 この人のために最も自分を捨てて尽くした人になる、と決めろ。

 本当にその方がいいのだ。目立つ必要はない。

 好かれたい人は、目立とうとする。

 だからそこに下心があると感じ取られる。

 何よりも、君自身がカッコいい男であることが第一なのだ。

 アピールしたくても、「この子にだけ」と親切にするな。相手は気が引けるから。

 自分だけ特別扱いされたら気が引ける。

 それが愛され女子の特徴だ。

 皆のことを常に考えているのが、愛され女子だ。

 特別扱いしたら喜ぶと思っているだろう?違うぞ。

 それは「愛されたいけど愛されていない系女子」だ。

 他人と比較されることを嫌う。自分が優位でも嬉しくはないのだ。

 全体の一部として、大事にするだけでもいいのだ。

 自分にだけ優しい、を求めていないからだ。

 「みんなに優しい人」の方が、愛され女子には愛される。

 愛され女子は、意思がある。自分が欲しい時は自分から手を伸ばす。

 故に、自分から好意を持つと自分から声をかけてくる。

 愛され女子が素敵だなと思う人は、「自分がなりたい部分を持つ人」だ。

 だからそれでいいのだ。

 向こうから声をかけてくる。愛され女子は偏見が少ない。

 君がダッセえな!と思うファッションセンスでも、頑張ってオシャレをしたときにはそれを嬉しく思うのだ。

 「頑張ってオシャレしてきたんだな」という頑張りを見抜くからだ。

 「うわ、ダッセ、この男ねえわー」という冷たい目はないのだ。

 心優しい人に出会ったら、君も素直になった方がいい。

 君は自分を安心させてもらおうとだけはするな。

 そんなことは求めなくても、できる人はやろうとする。

 君はできる限り、相手が安心できるように尽くせ。心を尽くせ。

 良いことを言うのも、格好をつけるのも、大きく見せるのも、全部自分が安心したいがためだ。

 ひとつも相手のためにしていることはない。

 だからそんなことをしている人は、嫌われるのだ。

 劣等感がどうしようもない人になると、好きな女に近づいては優しい声をかけられて、それを自慢にして優越感に浸るという馬鹿なことをする。

 そんな男が多い世の中もまたいいのだ。

 勇気もないのに近づく奴がいるからこそ、勇気ひとつで選ばれていけるのだから。

 周りをちょろちょろしている男がいるならば、自分は堂々としていろ。

 自信が無さそうにするな。相手が気を遣うから。

 誰だって自信がないところはある。

 だから堂々と「俺こういうのが駄目なんだよね」と弱点を出していろ。

 相手はその方が安心するから。

 そして「俺すげえ」と思ったはいいが、こんなことは自慢にもならないようなことを、その時の驚きを込めて自慢していろ。

 くだらないことでいい。どうせ人間なんてくだらない生き物だ。

 くだらない生き物は、基本くだらないことばかりするものだ。

 くだらない生き物だからこそ、時々ある良いことが素晴らしく感じられるのだ。

 チョロチョロする男がその辺にいるとどうなると思う?

 落ち着いてそこにいるだけで、相手からは良く見えるのだ。

 「ありがとう、チョロ男」と引き立ててくれることに感謝しろ。こっちは何もしていないのだから。

 落ち着きのないやつはいる。自信がないやつだ。

 自信がなくてどんよりしていても目立つが、男がチョロチョロしているのは嫌なものだな。

 大切なものは気持ちだ。姿勢だ。

 何もできないならば、せめて精神的には自分の愛で包み込むくらいの姿勢でいろ。

 君は女に「好きだ」と言ったことがあるか?

 どんな時に言うのが効果的だと思う?

 せっかくなので教えておこう。

 言葉は気持ちがこもらないと、相手に響かない。

 だから「こういう場面で告白だ!」とルールを決めないことだ。

 「告白にピッタリのデートスポット」なんてところに行ったら、最低だ。

 周りの雰囲気は大事だ。

 だがな、それも自分で考えろ。

 君が考えなくては意味がないのだ。告白するのは君なのだから。

 そしてお見合いではないのだから、もっと心に響くドラマチックな体験にした方がいい。

 それは、気持ちが高まった時だ。

 感情を伝えるのだから、感情が最高に高まった時が一番いい。

 一緒にいると、心から湧いてくる強い感覚があるだろう。

 そうだな、「このまま押し倒せないだろうか」と思うような感覚が高まってくる時だ。

 「この女と結婚できないだろうか?!」と思いついたりするような場面だ。

 そんな時、ドキドキしながらも「ようし、今度いい場所を見つけて、そこで告白するぞ!」と思う男は後で失敗する。

 今度なんて、ねえんだよ。

 今なんだよ。

 今起きているもんは、今なんだよ。

 「こいつが好きだなあ」と気持ちが高まってくると、じーんとするものがあるだろう。

 込み上げてくるものが。

 つい、話を聞き逃しながら見ていてしまうだろう。

 「なに?どうしたの?」

 と聞かれて、君は慌てて「やばいやばい!話聞いてなかった!」と返事をしようとしないだろうか?

 込み上げるものがあるなら、込み上げるものを感じ切れ。

 今起きているのだから。今必要なんだ。

 相手の顔を見ていたら、愛され女子は「なんかついてるかな…」とか思うかもしれない。

 それでも高まるものがあるならば、それを感じ切れ。

 愛され女子はお優しい。だから「今の話、あんまり興味なかった?」なんて気を遣うかもしれない。

 誰だって、相手が黙っていたら不安になる。

 だか高まっているものがあるならば、「これは今この人に感じているのだな」としっかり確認しろ。

 そして、相手に「興味なかった?」なんて聞かれて、慌てて「そんなことないよ!」とぶち壊しにするな。

 体の内側から感じるものをしっかりと自分自身で受け取り、会話の流れはぶち壊していい。

 内から起きるものをしっかり込めて

 「好きだ」

 と言え。

 確実に、100%、起きている感情を全て込めて言葉にしろ。

 気持ちを伝えるには、今起きているものを今込めなくてはならない。

 派手に演出しても、人気スポットを選んでも、周りの雰囲気と「憧れの流れ」に喜んでもらっているだけでは意味がないのだ。

 自分はこいつが好きなのだな、とまず自分が感じ切れ。

 自覚して、感じ切って確信を持って伝えろ。

 そうでなくては、どんなにいい言葉を言っても軽く聞こえる。

 言葉に意味があるのではない。気持ちを込めて初めて言葉は意味があるのだ。

 その言葉に込めた感情があれば、たった一言でも相手は感動する。

 それこそが、「本心」というものだ。

 できるだけオシャレで雰囲気のある場所、それもいい。

 だがそんなものに後押しされて、気持ちではついていけていないならば後はどうする?

 気張った時だけうまく行っても、付き合いが始まればこれからがあるのだ。

 これから共にい続けたいならば、無駄に格好をつけるな。

 いつもの自分の枠内から生み出したものでいい。それが君なのだから。

 君は心を込め切った言葉を吐いたことがあるか。

 自分の言葉に自分が感動するぞ。

 その感動ごと、相手に伝わるのだ。

 その気持ちを受け取れる人は、必ず受け取る。

 本心を、心を込めて伝えようとすると、それが案外難しいことを知るだろう。

 なんとかして次のデートにこぎつけようとか、告白をオッケーしてもらおうとか、打算的なことばかり考えて今を見ていないと、「自分の気持ち」を見過ごしてしまうのだ。

 最高に高まった時に勇気が出せず、駄目になってしまってから「あの時の気持ちを伝えたかったのに」と後悔するのだ。

 「今度」じゃねえんだよ。

 次にいつ、この気持ちが高まるかなんて自分にもわからないのだから。

 好き、という気持ちが高まった時に、伝えた方がいい。

 僕はそうしてきた。

 例え既に向こうから好きだと言われていても、既に付き合っていても、気持ちが高まった時には

 会話の流れはぶち壊しになっても

 気持ちを伝えることにしている。

 今しかないのだ、と思うからだ。

 気持ちが高まっていない時は、余計なことを考える。

 自ら用意した告白の場で「どうしたの?なんの話?」なんて聞かれて動揺する。

 「いや、その、話ってほどのもんじゃないんだけど…」なんて軽いノリにして、自分を安心させるために突っ走ってしまう。

 もし断られたら、なんて考えるな。

 答えが欲しいんじゃない。

 好きだと伝えたい。それが告白だ。

 好きだから、好きだと伝えた。それだけだ。

 だから答えなんて期待するな。

 何かしてもらうために伝えるわけじゃない。

 この気持ちを伝えるために、伝える。

 それが告白だ。

 「付き合ってください!」は「お願い」だ。

 お願いにはなんの気持ちがこもるのだ。自分の願望でしかない。

 相手はご褒美をくれる存在ではない。勘違いするな。

 伝えたいのが「好きだ」という気持ちならば、「好きだ」と気持ちを込めて言えばいい。

 それだけの気持ちが生まれてきたことに感謝するのだ。

「この人に出会わなければ、この気持ちは生まれなかったのだ。」

 という奇跡に、感謝した方がいい。

 人を好きになるのは素晴らしいことだ。

 まして異性ならば、努力とかいう問題ではない。

 好きだという気持ちがそこまで高まるには、それなりにやり取りがある。

 それなりに体験が伴って、込み上げるほどのものが生まれてくる。

 少しずつ相手を知って、より好きになっていく、の繰り返しだ。

 好きだという気持ちがあるだけならば、何も起きない。

 「付き合ってください!」があって初めて「お願いだけに断られる」があるのだ。

 だから本当に振られるのが怖いならば、何も期待するな。

 嫌われるのが怖いならば、何も期待するな。

 ただ、「俺はこの人が好きだ」という気持ちを大事にしていろ。

 本当の気持ちを込めた言葉を伝えた方がいい。

 本心がこもる言葉には、自分が感動するから。

 その言葉を口にして、自覚するのだ。

 「俺はこんなにこいつが好きなんだな」と。

 遠回しに伝えて、間接的に伝えて、または傷つかないように軽いノリで伝えて

 「求めている理想の反応」

 を引き出そうとするな。

 自分自身の感動体験を、ひとつ犠牲にするから。

 恋愛の価値がわかるか?

 友情とは違う価値だ。

 友情でこんなことは起きない。

 「俺たちでやろうぜ」

 「後は頼んだ!」

 「次は俺がやってやるからな。」

 「てめえはほんとムカつくやつだな。」

 「お前に会えて、良かったよ。」

 そんな言葉に、気持ちは込められている。

 だが、そこに込められる気持ちは恋愛のそれとは全く違う。

 もっと温かい、じんわりとするような、柔らかい気持ちだ。

 それが友情だ。

 恋愛は違う。

 強く、燃えるような、突き刺すような、苦しいような、泣きたいような、辛いような、心の中から言葉と共に何かが噴出してしまうのではないかと思うような、特別な感情だ。

 決して悪い感情ではないのに、伝えるのが辛い、言葉と共に涙が出てくるような強い強い感情だ。

 「お前が好きだ」

 と言うと、愛され女子は感情をそっくり受け取る。

 自分をバカにしている女子とは違う。茶化したり台無しにしたりしない。

 「これは本物の感情だ」とわかるから。勇気を出したとすぐにわかるからだ。

 それを受け取らないと相手は傷つくと知っているからだ。

 それが「拒否」になると知っているからだ。

 覚悟を決めたら、気持ちを伝えて相手の目をじっと見つめられるだろう。

 愛され女子はその気持ちを受け取り、しっかり感じ取るだろう。

 自分の目から涙が流れてきたら、相手も涙を流すだろう。

 愛され女子は、心を開いて生きている。

 だから心の扉を開けてきた人がすぐにわかる。

 心と心を通わせたら、相手も同じように感じてすぐに覚悟してくれる。

 そして彼女は君の目を見て、涙を流してこう言う。

 「私もあなたが好き。」

 それが真の両想いだ。

 告白なんかいらない。お願いなんかしなくても、互いの気持ちを確認できているから。

 そして、「好きだ」という言葉が「愛してる」に変わった時には、もっとすごいものがこみ上げているから、それは自分で確認したまえ。

 こういう話はあまり教えたくないのだが、世の中には愛が必要なのだと思うので君には教えた。

 もっといい恋愛をした方がいい。

 父親や母親の代わりに異性を愛したところで、こんな感動は味わえないのだから。

 覚悟を決めて、君は君自身で、傷ついても失敗しても、自分に正直に生きてくれ。

 君が君である限り、どんな失敗をしても、君はカッコいい。

 「この人の心さえ手に入るならば、何もいらない。」

 そのくらいの、大恋愛をした方がいい。

 うまく行ったやつを真似なんかするな。ただ自分に正直でいろ。

 傷ついてもいい。バカにされてもいい。失敗してもいい。

 心を開いて信じる勇気を鍛えていろ。

 今までの苦労は、全てのこの人に出会うためだったんだ。

 と感動できるような出会いだけは、無駄にしてくれるな。

 友人よ、僕は君が生涯にほんの数えるほどしか起きない感動に巡り合えることを、心から願っている。

 君の生きる糧になるような感動が、君の人生にやってくるように。

    好きになりたくても、自然と心から好きだと惹かれる人に出会うことなど、人生でそうそうないのだから。

    その一回を、決して逃さないでくれ。

 

君の友人

 最上 雄基

 

 

友人へ もし僕がこんな人間なら…

 ところで、友人よ。

 僕がもしこんな人間でも、好きになってくれるだろうか。


 僕は君がどんなに駄目な奴だと思える時も、君を肯定する。

 君が元気になれるよう、自信を持てるように。

 もし君に言われたことがわからなくても、傷つけないようにわかったふりをする。

 君のことが本当は嫌であっても、傷つけないように嫌だと言わない。

 僕は自信がないので、君に気に入られるようにできるだけ良さそうなことをする。

 一般的に誰も批難しないようなことをすれば、君も文句は言えないだろう。

 君に文句を言わせないためならば、僕はなんでもする。

 だから僕に文句は言ってはいけない。

 僕だって我慢して君のことをなんでも肯定してあげて、喜ぶことをしてあげるのだから。

 それは優しさだ。君のことが大事だからだ。

 君を傷つけないためにも、僕は君の前では君に気に入られるようにしているよ。

 僕は過去にトラウマを抱え、口下手でうまく話せないし、これという特技もない。

 やりたいことは特にない。

 特に夢もない。

 でも誰かにこんな僕をわかってもらいたいと願っている。

 僕がこんな風になったのは僕の母のせいなのだ。

 母だけではない、僕は色んな酷い目に遭ってきた。

 本当に酷い目に遭ったんだ。

 だから仕方ないんだ。

 でも君のことは好きだから、仲良くしたいと思う。

 これから仲良くしてくれる?

 僕のことを一番特別好きになってくれる?

 これまでしてきた苦労と不幸ならば、他人の比ではない。

 僕がどんなに辛かったかわかったら、僕ができなかったことを叶えてくれるだろう?

 やってくれないならば、君は僕がどんなに辛かったかわかってくれていない。


 わかってくれたなら、優しくしてくれるよね?

 知っても優しくしてくれないなら、君は酷い人間になるけどそれでもいい?

 僕と僕のことを知る全ての人を敵に回すことになるけど、みんなに批難されることになるけどそれでもいい?

 僕は何も悪くないんだから、僕を責めたりしないよね。

 僕は何も悪くないんだから。

 ちゃんと僕の話を聞いたら、僕が傷つかないようにしてくれなきゃだめだよ。

 過去にはいろんなことがあったんだから、人間ならきちんと配慮するべきだ。

 僕の母は未だに酷いんだ。

 どうしたらいいのかわからないくらい酷いんだ。

 僕が頑張っても頑張っても、「私がどんなに苦労してきたか」なんて不幸話をして、僕にいつまでも何かさせようとするんだよ。

 今でもこんなに辛い思いをしているんだ。

 この僕の苦労がわかった?

 わかったら助けてくれるよね。優しくしてくれるよね。

 わかったのに何もしてくれないとか、冷たいことは言わないよね。

 だってそういうのは「社会的に良くない」ことだから。

 君は僕を傷つけた人になってもいいのか。

 僕が傷つくんだぞ。いいのか。知らないぞ。

 皆に悪く思われるからな?

 皆が絶対に君が間違ってるって言うからな?

 でも僕は君が悪気はないってわかってるから、ちゃんとわかってくれればいいんだよ。

 人間として、やっぱり人には優しくしないといけないけど、そうできなかった君を僕は許してあげるから大丈夫だよ。



 さて、勿論こんな人間ではないが。

 実は僕も最近知らなかった事実を知ったのだ。


 今のように「自分の過去の不幸」を理由に何かしてもらおうとする人たちの世界では

 「より辛くて大変だった人」が勝利するんだ。

 争って誰が一番可哀想か決めるんだ。

 可哀想で正しい人で優しい人

 最優秀の人が、それ以下の人たちに言う事を聞いてもらえるらしい。


 新事実だ。社会では色んなルールで生きている人がいるものだ。

 結婚も勝った方が優勢になり支配できる関係のことらしい。

 僕はてっきり、愛し合った人がするものだと思っていた。


 結婚は支配関係だから、早くに相手に勝利しなくてはならないらしいぞ。

 君は知っていたか?僕は知らなかった。


 かつてのストーカー女子たちは、付き合いたくないと言うと無理にでも付き合おうとした。

 支配が目的だから、嫌がることを強行すれば嫌われるとわかっていても構わないんだ。

 勿論、付き合ってご満悦なのは支配欲が満たされているからだ。

 「これから思い通りにしてもらえる」というのは、「支配欲」というのだ。

 望みを叶えてもらえる!は支配欲。

 そんな人が存在するわけがない。現実の社会でやったらただの支配だ。

 相手から「〇〇ちゃんのためにどうしてもこれをしてあげたい!」とやってきたなら話は別だが。

 そんな時は本人の方が驚く。

 そう、本当に好かれる時、自分が一番驚く。

 あれも、これも、何も意図していないのに、あれこれしてくれる。起きる。

 だから感動するのだ。

 それが自分も好きな人だから。

 いい話だろう?それが現実だ。


 不幸、苦労、辛い過去、そして好意、有能さ、肩書、物や金。

 あらゆるものは、支配のためにある!

 それがナルシストというものだ。

 「全部思い通り」しか選択肢がない。

 または全部駄目、どちらかだ。

 楽しそうだろう。

 結構楽しいと思うぞ。

 しくじることが多いが、そんな時もまた次だ。

 人間はいくらでもいる。

 今泣いて好きだと言っても、相手が望み通りにならないならまた次だ。

 誰でもいいんだ。

 自分の世界に入ってくるならば。

 最高の演技。最高の扱い。

 支配さえできれば、相手が自分のことさえ好きになれば、あとは勝ったようなもの。

 気に入らなくなったら、今度は別の仲間に吹聴して周り、相手を孤立させたら全員で攻撃して終りだ。

 人間なんてポイ捨てしたっていくらでも代わりがいる。

 そんなことはどうでもいいんだ。

 それをいかにして「黙らせて自分が良い人だと思わせるか」だ。


 現実の自分がどんなことを考えてもしていても、現実になんか関係ないんだよ。

 愛や信頼が欲しいなんて嘘に決まってるだろ。

 君は信じていないか?

 バカなのか。


 そんなことを考えている人間が、人を責めたり自分の不幸話で気を引くわけがないだろう!

 甘えるのもいい加減にしろ!

 バカか!

 と一応叱っておこう。

 本気じゃないだろ?


 みんな本気じゃないよ。

 わかってるよ。ちゃんと。

 わかっていて言わないのが現実だと思っている人もいるんだよ。


 当然、信頼関係なんて「言ってはいけないこと」はひとつも思っていない関係だよ。


 我慢したり、装ったりしたらどうなると思う?

 そのまま仲良くなって行ったら地獄だ。

 疲れる。

 だからそのうち嫌になる。

 当たり前だろう!

 だから最初から本気じゃないんだよ!馬鹿か!

 ちゃんと人の気持ちを考えろ!

 人が何を思っているかきちんと見ていろ!


 結婚だって本気で「この人となら」と思ったわけないだろう。

 今の苦労から逃れられて、適当にそれなりになれそうってだけだよ!

 本気で幸せになれるなんて、考えてるわけがない。

 だったらいいな程度で、相手のことだってそこまで信じていないし何よりそこまで好きでもない。

 当然だ。

 だったらいいな、という夢を見たかっただけ。

 だから最初は夢を見られたんだからいいんだよ。

 でもよかったと思わないか。

 好きでもなんでもないから、捨てることになんの容赦もない。

 少しでも好きな人だったら、または情が移っていたら、そんなことはできない。

 女子だったら、如何にしていくらふんだくってやるかってくらいだよ。

 夢は見させてもらったし、後はこれからの生活のためにいくら金をもらえるかなってさ。

 酷い?

 バカか!そんなありきたりの話は、大人だったら常識だ!

 君は本当に馬鹿だな。

 みんなが口先で言っていることは、全部嘘なんだよ。

 そう言っている人ばかりになったからって、本当にそんな人が増えたと思ってるのか?

 寧ろその逆。思ってもいないことを言っていたら心は抑圧されて逆になっていくんだから。


 な?

 面白いなあ。

 なんでこうなったかって?

 「~するのが良いことです!」

 って言われたから。

 全部言われたからだよ。

 言われたからやっただけ。

 言われたから良いことをしているんだよ。

 言われた通りに生きているんだから、我慢して望まない人生送る分、少しはそれを使っていい目にでも合わないとさ。

 なんせ一生望んだ人生なんか生きないんだから。

 なんで?

 言われたから。

 それが良いことだって言われたし、みんなが言ってるから。

 言われた通りに生きるのが偉いんだ。

 そこは問題じゃない。

 言われた通りに生きるのは最初から決まっているから、それはいいんだ。

 ちゃんと正しいものに従えているか、が大事なんだよ。


 人生の成功は、ちゃんとしていたかどうかなのだから。

 人生が終わった時に、褒めてもらうため。

 誰に?馬鹿か君は。

 親に決まっているだろう。あとは知らない人たちとか、できるだけ多く。

 親は先に死んでしまうからね。

 でもあの世で待っているから、自分も死ぬまで気が抜けないんだよ。


 うちの母も今でも守っているよ。

 「こんなにちゃんとやってきた」ってね。

 誰に言われたちゃんと、なのか、もう知る人もいないし、僕もわからないけどね。


 母は馬鹿なのだと思っていたが、僕とは違う世界の住人なんだ。

 他人と張り合っているからこその満足感だよ。

 人と比較していなかったら、優越なんてできない。

 優越している時だけは、「これであってる!」と安心していられるんだよ。

 だから常に馬鹿にしている存在が必要なんだ。


 僕は母とは違う世界の住人なんだ。

 なかなか出会わないんだよ、同じ世界の住人に。


 僕は嫌なことをされても、恋人を、好きになった人を責めない。

 嫌なことをされたら、自分が試される時だ。

 愛が試される時。それは相手を受け入れられるかどうかだ。

 僕は心の世界で人と触れ合って生きてきた。

 だから「何をしたか言ったか」より、「どういうつもりだったのか」が大事なんだ。

 僕が気に入ることなんてない。

 当たり前だよな。

 「こういう風にしてほしい」なんて期待していたら、100パー誰一人自分が好きになれる人なんてできないからね。

 だったら自分一人でやればいいんだから。

 「もう!何してほしいの!」

 って母親なら言うよな。

 ていうか、自分から「これしてほしい」って言っちゃったら、嬉しくないよな。


 好かれるって「してほしい」なんてわかるわけないのに、相手が勝手にしてくれることだからな。

 自分だけが感激するんだから。

 「もっと!」って自分から要求したら、もう感激がなくなるからな。


 「してほしいことをしてくれたら好き」

 これじゃ人は選べないな。

 僕は人を選ぶんだ。

 「君がしてくれるから、嬉しい」

 
 可哀想な私って

 言葉がおかしいよな?

 いい加減気づけよって思わないか?


 「私って可哀想」

 言葉がおかしいだろ?

 気付かないか?

 そうか…

 こんな簡単なことなのにな

 気付かない人が多いのかもしれないな


 面白いから、黙っていよう


 支配の国では目的が支配だからいいんだよ。

 支配するとどうなると思う。嫌われるな?

 そう、だから目的達成は同時に人から嫌われることなんだよ。


 自分の思い通りにしてもらえる幸せと

 愛される目的は矛盾しているからな

 混在はできない。

 二者一択だ。

 そして皆は選んだんだよ。

 「思い通りにしてもらえる方」をね。

 好かれなくてもいいや!まずは思い通りにしてもらおう!ってね。

 「好きになってくれる人がいたら、望み通りにしてくれる」ではないだろ?

 好きになってくれた人に望み通りにしてもらおうとするから嫌われるんだ。


 好きになってくれたなら、好きにさせておけばいいんだから。


 人はどんな人を好きになるか知っているか?

 好きにさせてくれる人

 つまり「何もさせようとしてこない人」だよ。

 無欲な人が愛される。


 好きだから~して! が一番駄目だな

 好きだから、好きにしていて欲しい、ならいいんだが。


 簡単なことだろう?

 「この子が好きだから、この子の好きにしていてほしい」

 だったら親も嫌われない。


 好きだからこそなんて詭弁だよ。

 「好かれていると思いたいから、好きにさせない」んだからさ。


 要は、自分は嫌われてるんじゃないかって常に心配してるんだ。

 信じないから、その通りになる。

 好かれているかどうかより、そんなこと考えてる人間が「好きになった人間」か考えた方がいいよな。

 生涯誰一人理解せず、愛することなく、何が起きていたのかわからずに

 「~してもらえなかった」

 「でもみんなは正しいって言ってくれた」

 で終わるなんて、僕はごめんだなあ。


 心から信じたことは、必ず現実になる。


 いい話だろ?

 本当だぜ。

 心から信じたら、悪いことなんて起きないんだ。


 でもカッコいいと思わないか、最後までやり切ればだ。


 「思い通りにならない人間は、一人残らず批難して恨んできた人生」


 いいねえ。

 これもまたいい。

 僕が最初に目指して挫折した方の人生だ。

 これ、やり始めたらすぐ辛くなったんだよね。

 なんせ、人を「恨んで疑っている役」だからね。

 まともに友達とも仲良くできないんだよ。

 普通じゃダメ。

 もっと特別でないといけないから。


 僕は実力不足だったね。

 「そんなことより普通でいいから友達と仲良くしたい!」

 と泣き言を言って、あっさり素直に「あそぼー」と行ってしまう体たらくだったから。


 親が許せないから、当たり前のものは捨てて、まず無理なすごい結果を獲得しにいく。

 なんて人生にしなくて、良かったよ。

 僕程度の人間なんて、普通に当たり前のことだけして、当たり前に少しずつ仲良くなって、現実に起きて納得できる幸せだけ得ていれば十分なんだよ。

 その程度の人間なんだって諦めているからね。